経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

「死にたい」の基盤と人間不信

前回の経験談の投稿から数ヶ月。私はまだ社会からはみ出したままです。いまは通院と服薬を続けながら、大学のカウンセリングを受けています。まだ先のことは考えられません。

私は、再び経験談を書くにあたり、「死にたい」の基盤になった体験について考えました。そうしたら、いくつかトラウマになっている経験があることがわかりました。今回は、その中のいくつかを書いてみようと思います。

1つ目は、小学校の頃に、休み時間をひとりで過ごすことを許されなかったことです。他の方の経験談を読んで、わたしにもあったなあと思い出しました。ひとりで遊んでいたらよく先生に怒られました。お楽しみ会のドッジボールに行きたくなくて教室で絵を描いていたら、先生がすごい剣幕で叱って、私が泣いてしまったこともありました。1人でいることは自分の選択のひとつだったのに、尊重してもらえなかったことが傷になっています。今は思う存分ひとりを楽しめるけれど、時折思い出して辛くなります。

2つ目は、高校生活です。周りとうまく関われず、たくさん失敗して、傷つけられ、裏切られました。先生や親から理不尽な対応をされ、初めて「死にたい」と思って家の窓の前で泣きました。あの日のことは、今でも忘れずにはっきり覚えています。地獄のような状況でも、辞めずに3年間通った自分は偉かったと思います。

3つ目は、短大での経験です。信じていた教授から、過度に厳しい叱責をされ、詳しくは伏せますが理不尽な目に遭いました。あの時教授から逃げたことをずっと責めてしまっていましたが、今では「自分のために逃げられて良かった」と思えます。また、教授に障がいについて理解してもらえずに無神経なことを言われたこともありました。私は、他人には絶対に価値観を押し付けず、寄り添おうと決めています。

私はこの3つが、「死にたい」の基盤だと思っています。死にトリに書くことで、また思い出してしまったり知り合いに見つかってしまったりというリスクはありますが、トラウマを克服して前に進みたいと思い、書かせていただきました。振り返ってみると、今まで傷ついてきたぶん人が怖くなって、警戒心が増してしまったことが今の状況に関係しているのかなと思います。

信じたら裏切られた、ということが1度でもあると、なかなか他人を心から信じられません。また酷い目に遭うんじゃないか、裏切られたらどうしよう等、どうしても不安が出てきてしまいます。私は相手の表情や声色にとても敏感なのですが、それも対人恐怖に関係しているのかな、と思っています。でも、ここで言いたいのは、私は、本当は誰のせいにもしたくないんです。でも、そう思っていたらどうしようもなくなります。今更訴えたり告発する気もありません。ただ、辛い記憶を乗り越えたいのです。

人は本当は皆んな優しいのでしょうか。
どこまで信じたらいいんでしょうか。

感想1

経験談への投稿ありがとうございます。
あなたの死にたい気持ちをつくるに至った、三つの土台。読ませていただきました。

一人で遊ぶことを怒った先生・・。突然のことに、とても驚いただろうし怖かったのではないかと想像しています。「1人でいることは自分の選択肢のひとつだった」と書いてくれましたが、自分のペースでやりたいこと・やりたくないことを選ぶのは何も間違っていないはずなのにと思いました。

高校生活も、なかなかに苦しい日々だったのですね。初めて「死にたい」と思って家の窓の前で泣いたという描写に、胸がキュッとしました。逃げ場のない状況で、なんとか3年間耐え凌いで過ごされたのですかね。当時の経験を「自分は偉かった」と書いてくれたことに、少しだけ安心しています。

やっとつらい状況から卒業できたと思ったら、短大でも大変なことがあったのですね。信じていた分、逃げるに至った局面は大きな葛藤があったのではと想像します。「自分のために逃げられてよかった」との部分に、うんうんと深く頷いています。

自分の苦しい過去を言語化してアウトプットすることは勇気がいると思います。今回、こうして書いてくれたことに労いと敬意を示したい思いです。
最後の段落を読みながら「人を信じる」というのはそもそもどういうことなのか、と考えていました。他者と関わるとき、嬉しいときもあれば傷つくときもあって、信じるというのは案外不安定で不確実なものなのかもしれない・・なんて思い浮かびましたが、どうなんでしょうかね・・

私自身は、人は優しいときもあるし、優しくないときもあるなと思っています。優しさは確かに必要なことだし、あるに越したことはないですが、期待をすると苦しくなるなぁとも感じます。もしかしたら、白黒とハッキリしないことなのかもしれませんがどうなんでしょうかね・・(二回目)
「ただ、辛い記憶を乗り越えたい」との言葉は、素直に応援したい思いです。また良かったら話を聞かせてください。

感想2

 経験談の投稿、ありがとうございました。初めの方にあった「私はまだ社会からはみ出したままです。」という部分が、私は気になっています。どうして気になったかというと、なんだかこの言葉に投稿者さんの息苦しさが詰まっていそうな気がしたからです。そもそも、はみ出している状態ってどんな状態なんだろう?と思いました。社会に適応できていないと感じている状態なのでしょうか。(投稿者さんにぜひお聞きしてみたいです。)どちらかというと、私は投稿者さんにはみ出していると感じさせている「社会」に問題があると思いました。
 そしてこんなに自分のトラウマを文字に起こすのには相当なエネルギーが必要だったんじゃないかなと私は思いました。私にもトラウマがありますが、自分にはできるかどうかわかりません。トラウマを語ることができるということは、トラウマから今現在、「距離を取れている」ということだと、以前大学の時お世話になった先生に私は言われました。そしてトラウマと向き合うと、だんだんとトラウマは色あせていくそうです。投稿者さんはカウンセリングを受けたり、こうして経験談を投稿したりと、よく向き合っていらっしゃるから、徐々に色あせていくのではないかな…と私は思いました。
 また、投稿者さんはどこかで人を信じたい思いや期待したい思いがあり、その実際とのギャップに苦しんでこられたのかな…と私は想像してみました。私はどこかで人に期待し過ぎてしまい、裏切られた気持ちになることが多々あるので、私と似た部分がもしかすると投稿者さんにもあったりするのかな…と想像をしてみました。(私の想像なので違っていたらすみません。)
 こうして辛い記憶を乗り越える手助けになるかは分からないのですが、気持ちを書きだす場所として、死にトリの中に「とりコミュ」というコンテンツがありますので、もし良かったら利用してみて欲しいです。(投稿者さんと同じような思いを抱えている方の投稿もあるかもしれません。)またお待ちしていますね。

お返事1

感想ありがとうございます。改めて振り返ると、当時は「教師や親が全て」「今いる環境が全て」という世界にいたような気がします。今でこそ、世界は広くて逃げ場もあるということを知っていますが、10代でそれを理解することはなかなかに厳しかったと思います。運営さんからの感想を読み、辛くて毎日耐えていた日々が報われたような気がします。おこがましく聞こえるかもしれませんが、自分の経験で、今も逃げられなくて毎日生きるのが辛い人たちが動き出すきっかけになれたら嬉しいです。逃げることは甘えではなく選択です。
今回は本当にありがとうございました。

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