経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

気付けば

気付けば、いじめられていた。

いじめっ子が優しかったのは覚えている。僕をひとり放課後に呼び出して、優しく、壁に打ちつけてくれた。
「どーん」
その無邪気な声よ。暴力(?)はその一回しかない。

酷いのは、言葉の方だった。
学校では「ガイジ」と言われた(当方自閉症であり、間違いではない。必要な支援を、「特別扱い」と受け取られていたようだ)。
そろばん教室では「トイレの水を飲める人」と言われた(うんちくを披露したのが悪いのだが)。
それ以外は最早、覚えてもいない。
小学3年生の頃にはもう、自殺を考えていた。
どうしても浮きがちだった僕の救いは、「死」そのものだったのだ。

親も信用ならない人だった。
母親はよくヒステリーを起こして、僕を訳のわからない理由で2〜3時間説教した。
父親は子供より仕事だった。
両親はよく喧嘩をした。
僕は常に厳戒態勢を強いられた。
あたふたして起こした行動が、新たな説教の火種になるのだった。

支援者はいたが信用できなかった。
親は勝手にカウンセラーを見つけては、何も言わずに未知の場所に連れていった(自閉症の特性をまるで無視している)。
雑居ビルにあるマンションの個室用のドアを、誰がメンタルクリニックの入口だと思うのだろうか。

気付けば、四面楚歌だった。

保健室登校をしていた時、クラスメートにこう言われた。
「薬を大量服薬したら死ねるって」

気付けば、救急車で運ばれていた。

死ねなかったのだ。
救急車は泣き叫ぶ母親も乗せて走っていた。
退院後、母親の束縛に耐えきれず2度目のODをした。
支えられていることが負担になり、逃れたくて死にたくなったのだった。

その直後に進学した高校は優しいところだった。
希死念慮に苦しめられていたがだいぶマシになっていた。
ずっと高校にいたいと思っていた。

大学選びを失敗し、自分が合わないところに進学してしまった。
本当に進みたい道を父親に言っても、退学させてくれなかった。
歯を食いしばって耐えるしかないのに、それさえできない自分が腹立たしかった。
自傷に苦しむ子供がいる先生に恵まれたのが、唯一の幸いだった。希死念慮が脳のバグであることを教えてもらった。
それでも、小3からのバグを抑えることなど困難だった。

中学生の頃の友達と再会し、共に創作を始めた。
お互いに、境遇がよく似ていたーその友達に希死念慮がないことを除いては。
友達は自分にかかる圧力を論理的に昇華し、有名な学校に進学していた。

気付けば、ハサミと一緒に寝ていた。
あと一歩で血が出るところだった。

現在は自分に合わない大学で、希死念慮に苦しみながら過ごしている。
一時期に比べればだいぶマシにはなってきたが、それでもしんどいことには変わりがない。

感想1

読みました。感想を書く上で必要な情報だと思うのでまずお伝えすると、私は自閉スペクトラム症です。

全体に、わかるなあと思いながら読みました(全然わかってなかったらすみません)。
私は、よくわからない世界に放り込まれた異星人のような感覚で世界を眺め、よくわからないなりにどうにかせねばといつも焦って生きている感じがあります。
救いは「死」そのものというあなたの思いは、いじめられたことや家庭のことが大きく影響しているとは思いますが、そういった慢性的な「ズレ」「理解してもらえなさ」「理解できなさ」も関係しているのではないかと私は感じました。

「親は勝手にカウンセラーを見つけては、何も言わずに未知の場所に連れていった(自閉症の特性をまるで無視している)。」という一文は、とても共感できる表現です。それ以上なんと表現していいかわからないくらいに、本当にその通りでしかないと思います。
私の言いたいことを頑張って表現すると…、あなたの文章の表現の節々にも、内容にも、「自分の感じ方や特性を無視して世界がまわっていく」という諦めや失望のようなものを感じていて、そこに勝手に共感しているのだと思います。

でもあなたはそのような気持ちがあると同時に、合う環境や話せる人と出会えると楽になる部分があることも知っているし、自己理解もしているし…私はそれは一つの力であり可能性であると感じています。
だから今の環境が自分に合っていないとわかっているにも関わらず、それを変えることができないのは、なんとも悔しいというか…自分の願いがあって、それは本来実現の難しいものでもないはずなのに、それが叶わない世界ってなんなのだろうと思ってしまいます。

私は「共につくる」関係性にこれまで安心感や救いのようなものを感じてきたので、「友達と共に創作を始めた」という部分を興味深く読みました。(ちなみに私が共につくってきた・つくろうとしてきたものは、理論という概念的なものから、野外キャンプの食事みたいな物理的なものまで大小含めて様々です。今は、誰も排除しない空間をどうやったらつくれるかが一番の関心な気がします)
何かを「共につくる」関係性が、あなたにもっと見つかればいいのかなと思ったりします。
そういう意味では、経験談を投稿する→読んで思ったことを書く、というのも、「共につくる」感覚が私にはあったりします。あくまで私が勝手に感じているだけですが。

経験談の投稿、ありがとうございました。

感想2

その時々で投稿者さんの目に映ってきた世界(情景)がそこに実際いたわけではないのに、リアルに思い浮かんでくるような感覚になりながら読んでいました。
学校や家庭での出来事は投稿者さんの尊厳をまるで無視されているように感じ、勝手ではあるのですが周囲の言動には憤りを覚えてしまいます。
タイトルや文中にある「気づけば」という表現から、自分の知らないところで世界が回っている感覚というのか世界から取り残されているような感覚もあるのではないかなと想像していました。自分と周囲との間で生じるズレに関して、投稿者さんは理解をしているからこそ「僕の救いは、「死」そのものだったのだ。」という答えに行き着いたのだと私は感じました。
これまで蓄積されたダメージの回復は容易ではないとは思うのですが、環境や出会う人によっては少しでも回復する可能性はあるのではないかと感じています(高校では希死念慮がだいぶマシになったこと、大学でも自傷に苦しむ子供がいる先生との出会いで救われたと書いていたので)。
これから先の人生において苦しみを伴うことは続くかもしれませんがその中でも、投稿者さんなりの昇華ができることを願っていると共に、気づいたら周囲から向けられる悪意やエゴの影響について機会があれば投稿者さんと一緒にお話ししてみたいなと私は思いました。また良ければいつでも死にトリに参加してくださいね。経験談の投稿ありがとうございました。

お返事1

感想をありがとうございます。読んでいるうちに、なぜか涙が出てきました。

希死念慮の原因になっているのが「世界から取り残されているような感覚」、つまり「よくわからないなりにどうにかせねばといつも焦って生きている感じ」なのだと気付かせていただきました。僕はASDかつHSPです。ASDもHSPも常人の10倍の刺激を感じると死にトリに書いてあったので、僕は常人の100倍の刺激量を受け取っていることになります(単純計算ですが)。こんなに敏感な僕に寄り添って世界が回るわけがありません。トップスピードで周りが動いているように見えるので、取り残された感覚になるのも当然の話です。

そんな世界を変えたくて、自分で世界を創ること、つまり創作をしているのだと思います。しかし、第四の壁が存在している限り、その世界の住人にはなれません。チームの監督になってもASDの特性の1つであるコミュニケーションの障害は治らず… ただ救いになっているのも確かなので、ASD + HSPという特性を抱えながら、一歩ずつ前に進んでいこうと思います。

ちなみに物語の主題は「誰もが自分らしく生きられるユートピア」です。特性が似ていると、考えていることも似るのでしょうか。安心できました。

一緒にこのページを作っていただき、ありがとうございます。

優しい言葉が集うこの場所が、ずっと続いていきますように。

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