Mさん(30代)インタビュー
小さい頃からとても真面目。通知表にもずっと「真面目で責任感が強くて~」とか書かれていた。委員とかもいっぱいやって、親に言われなくても勉強も一応頑張って、進学校に進学。習い事もプール、塾、ピアノ、バレエ、英語教室などに数多く、取り組む。右肩上がりの人生が就職によってガタンと落ち、その後、結婚によってさらにどん底へ落ちてしまった経験を聞きました。
過酷な職場の中で徐々に自分を見失う
大学は地元から離れていてそこで就職しましたが、とにかく忙しくて。一番忙しい店舗に配属されて、そこで病みました。10連勤とかは当たり前で、新入社員だから誰よりも早く行かなきゃいけないというのがあって。
始発で行って終電で帰るような生活が続きました。新入社員が3人いて、毎日、店長と副店長に呼ばれて説教される時間がありました。お前らはここができていないから、明日はここをできるようにしろと。入ってそれが毎日続いてたから、今日は何言われるんだろう?っていう恐怖心が出てきました。入社して4か月目くらいで、挨拶回りでおはようございますって言ってる間から涙が止まらなくなって、仕事にならなくなりました。
「大丈夫?」って言われても「大丈夫です」としか言えなくて、それが続いて、それから仕事中ぼーっとしてることが多くなりました。上司の勧めで受診した心療内科では働き始めたばかりなので情緒不安定ぐらいのことを言われましたが、地下鉄にも乗れない、朝も起きれないとなっていって、うつ病の診断を受けました。
死にたい気持ちの起こり
私は入社時、無理を言って配属部門の希望を通してもらっていたので、仕事できなくなって迷惑かけてて、すごい申し訳ないって思ってたら、どんどんどんどん、死にたくなりました。地下鉄飛び込もうと試みたりだとか、道路飛び出してみたりだとか、包丁握ってずっと1日中家に閉じこもったり、という状態が続きました。何か月して、雇ってもらえたのに役に立っていない気持ちから「復職したいです」と言って戻りました。でも、休職中に他の同期の新入社員との差ができてしまったことを目の当たりにして、そのプレッシャーもあり、結局やめることにしました。
弱い自分が悪かったという思い
今でも、やっぱり自分が悪かったんだなって。もっと強くない自分が悪かったなって思う気持ちがあります。新入社員は仕事覚えるために、だれよりも頑張る必要があると思っていたから、つらかったけど、おかしいとも思わなかったし、他の会社もそうなんだって思ってました。でも、後で周囲から聞くと、「え?そんなのないよ」とか「普通に帰れるよ」と聞くとで、「え?そうなんだ…」と思う一方で、「期待されて配属されたのだから、期待に答えなきゃ」という気持ちが強く、期待に応えられなかった自分がやっぱり弱かったんだと思います。
希望に満ちた社会人生活を描きながら、自分の期待通りの社会人になれなかったMさんは地元に戻り、バイト先で知り合った年下の男性と結婚した。自分のメンタルの病気のことも伝え、理解してくれたという。当時を振り返り、「すごい結婚したかったし、焦っていたと思う。」と語った。
突然の虐待…実はずっと精神的DV、モラハラが…
忘れもしない上の子が2歳の時でした。元夫が仕事で忙しい時に「パパ、パパ、遊ぼう!」と駆け寄った子どもの頬をいきなりパーン!と殴りました。ミミズ腫れになりました。それまで兆候などもまったくありませんでした。さすがにびっくりして、「何やってるの!」と詰め寄りました。でも、「邪魔をしているのは子どもの方だ。子どもの方が悪いだろう」と言ってきたのです。
元夫はめちゃめちゃ理論的な人です。最初から「俺についてこい」というタイプで、私は「はい、ついていきます」と言うとおりについて行ってました。結婚してからずっと、「俺についてこい、俺が正しいんだ」という関係性が当たり前になっていたのだと思います。正論を言われたら何も言い返せなかった。口喧嘩で勝ったこともありません。
ビンタ以来、たびたび子どもに手を挙げるようになりました。そのきっかけがよくわからないのです。生きなりスイッチが入るようでした。スイッチ入っちゃうと子どもに行くかもしれないって思うとなるべくスイッチが入らないように、元夫の顔色をうかがい、逆鱗に触れないように気を遣うようになりました。下の子が生まれて、最初の内はよかったけれど、自我が芽生えて自己主張するようになると下の子にも同じように手を挙げるようになりました。私は、それを止められなかった…。元夫は「それが普通だ」「言ってきかないなら、手をあげるしかないだろ?」って言っていたので、その時はおかしいと思えずに、「そういうもんなんだ」と思っていましたね。
Mさんは周囲の助けもあり、離婚のために動き出すが、なかなかうまく進まなかった。「自分が悪いのかもしれない」「元夫が正しいのではないか」という気持ちに支配されていたからだ。何とか実家に戻り別居し、離婚調停に持ち込んだが、調停は不調に終わり、裁判までもつれこみ、結審まで数年もかかった。
暴力被害の後遺症
そういう結婚生活のなかで子どもを育てていたので、母子だけの生活になって私もカーっとなると殴ったりけったりまではしなくても、お尻パンってたたいたりしちゃうんです。それが、虐待になっているんじゃないかってすごく不安で…。本当は手を挙げたくはないけど、何回言っても言うことを聞かない、必死になぐさめてもダメでカッとなって「もういい加減にして!」ってパンって叩くと、「あ、今叩いた。私もあの人みたいになってるんじゃないか。」って悩むことがすごく多くなりました。それを、保健師さんに相談すると「お母さんなら誰にでもあるから、そこまで心配しなくてもいいよ。」って言われました。でも、殴ったり蹴ったりしてた元夫は虐待でお尻を叩いた私は虐待じゃないの?どこからが虐待なの?なにが虐待なの?やっぱり私は虐待してるんじゃないかって、すごく強く思うようになっちゃって、子どもとの接し方がわからないんですよ。
1人の人間としてみてあげようとしてるんだけど、やっぱりどこかで自分の言うとおりに従わせようとしていることにふと気づく…。これじゃだめだって思っても、そうしたら育て方がわからなくなっちゃって。育て方がわからないって保健師さんに言ってるんですけど何も解決しません。泣いているのを放っておたら近所から「大丈夫ですか?」ってなるし、泣き止まないから、イライラして叩いたらこれ虐待だって、元夫のようにはなりたくないって思っているはずなのに、同じことしてる…自分はなんて最低なんだって自分をどんどん責めていきます。負のスパイラルです。それでどんどん体調が悪くなり、動けなくなり、親に迷惑かけたくないのに迷惑をかける。そして、また自己嫌悪に陥る。止まらない負のスパイラルです。何をどうしたらいいのかがわからない。
子育てしながら希死念慮と向き合う
離婚問題を抱えてからの記憶は曖昧ですが、リスカはしていました。一度は夜中に担当の心理士の先生に遺書を書いて、夜通しぼっーっとしていたこともありました。数か月前は部屋と部屋の間に隙間にベルトをかけて、首を吊りました。結局痛くて、とっちゃって、「なんだよ。死にきれないのかよ。」って思いました。たぶん子どもがいなかったら死んでると思うんですよね。なにも後悔がないから。疲れちゃったからもういいやってなったと思うんです。やっぱり子どもがいるから、私が死んだあとどうなっちゃうんだろうっていうのがずっと頭にあって、死にたいけど死ぬことができない。死んだら楽なんだろうなってずっと思うけど、やっぱり残して逝けないと。それで、未遂やった後に可哀そうだから子どもも一緒にすればいいかって思いました。でも、その時に偶然、保健師さんから「最近どうですか?」って連絡がきました。「この間、実は未遂をしてしまいました。子ども残されたら可哀そうだから一緒に行こうと思います」みたいなことをぼそっと言ったみたいで、保健師さんがすぐに動いてくれて、そこでいろいろな相談機関につながりました。
インタビューを終えて
Mさんの「死にたい」の背景には社会人になった時に職場から受けた扱いと、結婚した時に元夫からの扱いの影響力の大きさが見えてきます。「一人の人間として」の扱いではなく、あたかも「会社の歯車」「夫の召使」など道具や所有物のように扱われた経験。しかも、そうした扱いを受けてもおかしいと思えず、むしろ「自分が悪い」と思っていました。その背景には「○○しなければならない」という強い理想の姿があり、女性として、妻として、母として「こうあらねばならない」という役割意識の強さが感じられます。また、会社や元夫といった自分より権力のある者から繰り返し存在や価値を否定され続けることで、自らの感覚も力も意思も希望も奪われていった経験が自責の念を強化していきました。その中で「もう、死ぬしかない」と思うのは無理もなく、自然だとすら思えてきます。
人一倍真面目で、責任感が強いヒツジさんは、仕事でも結婚でも失敗をしてしまったという思いもあり、子育てだけは失敗したくないと思います。しかし、実際には子育てもうまくいきません。子どもとの向き合い方がわからずに、時には子どもに強く当たってしまいます。背景には強い自己否定とストレス、そしてプレッシャーがあります。一人で頑張ろうと思うほど、自己否定もストレスもプレッシャーも強くなるばかりですから、余計にやめられなくなります。孤立して、自分で悪いってわかって追い詰められてやっていることだから自責すればするほど、さらに追い詰められるので止められるわけがない。それはしんどいです。(虐待が増え続けるのも、他の若者たちが抱える多くの依存の問題も同じ根本だと思っています)Mさんが直面している子育ての悩みは、単に子育ての問題ではなく、今まで被害や抑圧をうけていた自分の問題と言えます。抑圧環境に置かれた人が解放されるためには時間がかかりますし、自分一人の力には限界があります。だから、人の助けを借りることが大切なのです。特に子どもたちがそこにいるのですから、一人で抱え込まないこと。また、周囲の人たちはそうした人たちが孤立しないよう、自己責任や監視や批判のまなざしで追い詰めずに、背景を理解して、支えることが求められます。