経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

母のお人形という呪縛

Sさん (20代半ば)インタビュー
今は支援に関わる仕事に就き、心理学の勉強もしている。その背景にあるのは母の人形として育ってきた幼少期の経験。年齢・住所を偽り、全国各地の児童さ相談所や子どものための相談機関に相談したことがある、相談機関マスターでもあるSさんに子どもの頃のことを聞いてみました。

お母さんの豹変~いじめ~初めての解離

 死にたいが始まったのは、13歳くらい。きっかけはお母さんとかから「お前、いらない」ってめちゃめちゃ言われてたことと、学校に行ってもあまりうまくいかなかったこと。その二つが重なって、死にたいって思った。
 本当のお父さんは私が生まれてすぐ離婚。2番目のお父さんがいたけどDVで失踪して、その後から今までお母さんの彼氏がいる。小さい頃はお嬢様だった。ブランド服しか着ないし、大きいピアノも買ってもらったし、習い事も週6日。
 でもその時も気を遣って生きてた。楽しいとか、嫌とか、感情はなかった。義父が酒乱になってDVになって、「こいつは俺の子じゃないのに、誰の金で飯食ってるんだ」ってなっていった。お母さんはそれでも完璧に子育てしようとしてたけど、学校で私がクラスメイトに影で意地悪したのがばれて先生がすごい剣幕で家に来て母を責めたわけ。それでお母さんは傷ついたらしくて、先生が帰った後に3時間くらい殴られ続けて。義父がさすがに死ぬからやめろって止めたくらい。それから殴るのが始まって「いらない」みたいな。
 毎日「いらない」だったらまだ楽だったんだけど、いきなりシカトされてずーっとシカト期間が続いたと思ったら、いきなり優しくなったり。機嫌によってすごい変わる。

隠れて意地悪

 クラスメイトへの意地悪は些細なことだった。靴ひもを結ぶのがすごくとろい子で、すごいとろいのは家ではよくないことだったからイライラして、「行こうって言ってんじゃん!」ってつねった。でも、結局つねってないって突き通したから誰もその事実は知らなくて。そういう暴力的な傾向は自分が保育園のときからあって、保育園のお友達の家に行ったら弟がいて、その子が部屋に入ってきそうになった時に邪魔だから、そこにいるの知っててバン!ってドア閉めてけがをさせたこともある。でも、それも誰も知らない。
 そのお友達はプリキュアの変装服をもっていて、それが羨ましくて。家はがちなドレスだったから、そういう服がほしかったけど買ってもらえなくて。お姉ちゃん・弟で可愛がられているのも腹が立った。

学校でのいじめ、そして解離へ

 学校で6年間ずっといじめられてた。小学校1年生の時の学習発表会でピンクのドレス着て行って、周りの保護者からいじめられた。「何あの子?」みたいな感じで学習発表会の時に来ていたブランド物のコートをタバコで焼かれて。それから友だちにもいじめられるようになって。でも家ではいい子を装っていたから、お母さんたちはいじめられてるのは知らない。「今日友達と外で遊んだんだ」っていう嘘をつくようになってた。
 9歳の時に初めて解離しはじめた。
 義父とお母さんが喧嘩して髪引っ張ったりとかシャワーかけられたりとか包丁向けたりとかガラス割れたりとかしていた時に、自分は玄関で見ていて。それで、「警察呼んで」って言われたから呼ぼうかなって思ったんだけどもう怖くて震えていてどうにもならなくて。そうしたら、お義父さんが出ていった。その時、お母さんが「ごめんね」って私の方にくると思ったのに、お母さんはお義父さんを裸足で追いかけていって、砂利道なのに。1人になって、「え?」ってなった。その時に、体はすごく震えているのに自分でも変だなって思うくらいめっちゃ爆笑した。そこで解離した。
 そしたら、今度は暴力を仕向けるようになって。楽しくなっちゃって。お義父さんとお母さんが喧嘩するように仕向けるようになっていった。あのへんから狂った。
 犬をいじめてたし。友だちいじめてたし。なんか大変だった(心理学で勉強した通り)。家で飼っている犬をいじめていたんだけど、やっちゃったあとに後悔して、号泣して抱きしめたりとかしていた。学校で人いじめたりするのも、止めて欲しいから職員室の前でやったりしていた。でも、見つけられなかったのか止められなかった。いじめ終わったらめっちゃ号泣してた。いつも、変だった。

お母さんへの適応、中学高校時代

 小学校でいじめられていたから、今思ったら配慮なんだけどその人たちと全部離れて。1年生の時に友達ができてテニス部に入った。でも、全然うまくなくて、他の上手な可愛い子に腹が立ちすぎて、いじめてた。人間関係がドロドロになって部活行かなくなって髪染めて、なりきれない不良みたいな感じになった。学校行きたくないんだけど、家ではいい子だったから「行きたくない」って言えなくて。
 家では髪染めるのもいい子と関係なかった。いい子の基準は可愛くいること・お母さんに服従すること・素直でいることぐらいかな。髪の色とか勉強とかじゃない。
 お母さんの所有物だから、そのお母さんを際立たせる存在みたいな。あと、お母さんがほしい時に行かないといけなくて、いらないときには行っちゃだめだったから、その判別も難しかった。お母さんが何を望んでいるのかだけをずっと考える。お義父さんも5~6歳の時から性的なまなざしで見てきた。お風呂とかでいたずらしてきた。9歳くらいもズボン履いていたら怒るとか。
 あと、当時はお金のことで喧嘩していて。自分なりの配慮だったのか、食事をまともに取らなかった。節約のために。食事は8歳くらいから自分で作っていたんだけど、ご飯は食べたふり。その間はケチャップ、ソース、歯磨き粉とかを食べて生きていた。お母さんは閉店までパチンコから帰ってこなかった。パパの子どもじゃないのに誰の金で飯食ってんだって言われてたから。そんな状態がおかしいな?って思ったことはない。

 18~19歳くらいから、死にたいって思ったのを言語化して、誰かに伝えようって思ってたんだけど。崩れてからはODし始めるしロープ買うし包丁向けるし。他へ相談することでわき上がってきたお母さんへの敵意は自分でもそれをコントロールできなくなっちゃって、頭がおかしくなっちゃってだから、ひたすら死にたいになる。
 お母さんと実際に顔を合わせたら、何でかわからないけどキレてた。お母さんがどんな反応をしていたかも、よくわからない。その時は死にたいのピークで覚えてない。もう家は出ていた。大学入ってからはもうずっと彼氏の家に泊まってたりとかして。まあDVだったけど(笑) 。

インタビューを終えて

 Sさんに「今、毒親って言葉がよく聞かれるけど、どう思う?」と聞いてみました。自ら毒親育ちだと認めながら『束縛?かな』と答えました。さらに、『虐待とまではいかなくても苦しめられてる人?そういう存在が少しずつ見えてきて、毒親という言葉が誕生したのかなって思ってる』とも。
 そもそも日本では虐待の意味がちょっと誤って認識されています。もともとは英語のchild abuseが虐待と訳されました。しかし、abuseは本来「濫用」「不正使用」「目的を間違った使用」って意味なので、毒親は間違いなくchild abuseと言えます。虐待という訳をあててしまったため、「暴力をふるう、理不尽に攻撃するなど、積極的に加害する」意味合いが強くなってしまいましたが、毒親は本来の意味でいけば虐待ど真ん中で、その経験は子どもの心身に長期間にわたり深刻な影響を与えることはネコさんの今を見てもよくわかります。
 何が一番のダメージだったかとの問いには『あの、ころころ変わるやつ。仲良くしてくれる時もあれば、殴られる時もある』とのこと。それはダブルバインド(※:相反する強い価値観やメッセージが同時に突きつけられること)として、子どもの心の育ちを蝕みます。
自分で自分を守ることができない子どもは回避のしようがなく、自分の魂を殺すしかなくなってしまいます。
 Sさんは解離と虚言癖という方法で生き抜くことになりますがその知恵や努力を紹介します。

「解離」=使い分け機能
「相談ショッピング」=トラウマ成仏制度

かまってくれる人を探しまくる インタビュー

 いろいろなところに相談しまくったのは18歳。18歳になったら児童相談所が見向きもしてくれなくなるから。自分が不当な扱いを受けてきたって知るのが15~16歳あたりなんだけど、気づいても行動に移せないし、どうにもならなくて。でも、18歳になっちゃって。大学に行っても、担任の先生がいないから。それまで自分がかまってもらえる相手がずっと先生だったから、そこがいなくなったことも不安でどうしようどうしようって。変な方向に行ってODとかも始めたし。
 まずはネットサーフィンして、Twitterでかまってくれる人たち探して、夜までずっとスカイプしているみたいな感じ。でも、自分がこんなに苦しいのは病気なんじゃないかと思い始めて、そこでアダルトチルドレンを知った。その時は、なりたい職業のために一生懸命だったし、大学の友達も楽しかったから。いつも怖かったし一人な気はしたけど、日常生活は充実していたかな。表面上は。20歳くらいまでは。夜は援交とかもして。お金もらって。死にたい気持ちはずっとあるけど、考える時間もなく行動に移す時間もなく。ただ、大学になると渋谷に行ったりしていて。千葉とか渋谷あたりを徘徊して深夜にボーッとしてた。

本気でかまってくれる人と出会う

 19歳の時に自分の過去を振り返るようになったら、年齢が嫌になって。だから、生年月日も抹消したし、年齢も抹消し始めて。ずっと残ってる9歳の解離した自分っていうのがいて、それが成仏していないから結局2人で生きているみたいな感じになっている。その子が暴れると今の自分が記憶とかもちょっとよくわからなくなって、いろんな地域の児相に電話して…。とりあえず18歳より若い子として児相とかに電話した。他の地域の人になりすます。バレないように下調べしてもした。とにかく幼少期からのいろいろがあって、満たされなさすぎて。それをどうやったら解消されるんだろうって考えた上での行動。
 自分のリアル体験を元に、今やられているかのように電話していた。児相もそうだし相談センターとか、子ども家庭支援センターとかもかけた。ホットライン系は嫌だった。相談員さんがころころ変わったり誰に当たるかわからないのが嫌だった。そんなの満たされないじゃん。
 バレたこともある。電話だけじゃなく、会いに行ったこともあって、この子は自傷他害の恐れがあるってなると警察に通報されちゃうから。警察から電話が来て調べられて、どうもこの子は違うところの子だ。そこで終わる。
 そんなとき、某地域のある相談員さんに出会った。紙を破ってちぎって投げたりとか、子どもっぽいことしても怒らない人。怒られないっていうか「やってもいいけど拾えよ」みたいな感じで。何やってもいいんだって思って。それがよかった。かまって欲しくて脱走とかもするんだけど、必ず走って追いかけてくれたりとか。すると、だんだん治ってくるというか。満たされるというか。実は成仏制度というのがあって、自分の中で。2歳が成仏したら3歳になれて、3歳が成仏したら4歳になれるっていう考えが生まれてきて。自分の中では2歳、4歳、6歳、9歳、13歳がいた。それがその相談員さんに付き合ってもらうことで9歳だけになった。だけど、9歳の子はまだ成仏されていない。
 わざわざ遠くの地域に行くのにお金はかかるけど、そんなの関係ない。どれだけでも使う。

自己治療の方法は変わったけれど

 今も解離は健在。最近は夜に意味もわからずめっちゃ不安になって、やばい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたいみたいにはなることはある。その時は、最悪ODするけど(笑)でも気づいたら大丈夫になってるんじゃないかな。あと、かかんない電話に電話して、かからないのもわかっているけど、切ってまたかけるのを繰り返しているうちに寝ちゃう。
「只今、使われておりません」っていうやつ。
 いろんなところに18歳前の設定でたくさん電話してた時は、「死にたい」って言うし、実際に行って会って、そういうこともやる。大人が本気で子どものことを考えてこんな顔になるんだっていうのを見るのが大好きだったから。もうやめようとは思わなかったけど、そういうふうにする自分はおかしいと思っていた。でも、やめられなかった。よし、やるぞ!みたいな感じで繰り返す。
 バレる心配なんてしていない。こんな声だから。(註:声は高めで、確かに子どもと言われても違和感はない)。やっぱり18歳以上の私は、過去の出来事として見られるじゃん。だからそれなりの分別のつく大人扱いされるじゃない?そうじゃないんだよなって思っていて始まった。
 話を聴いてほしいというより、一緒にその時間を過ごしてほしいに近い。死にたいってなったら何もならないから、とりあえずその時間を過ごしたら一時的には落ち着くかもしれない。9歳の自分まで成仏させてくれた相談員さんみたいな人に出会わなかったら、落ち着いても、やっては消えやっては消えを繰り返していた。対処療法にしかならないから。
 今は仕事とは別に心理の勉強をしている。でも、相談機関とか臨床心理士とか心理療法とかそういうことではないなって思っていて。じゃあ何が必要なのか?それを考えるためにやっている。病院にも行ったけど全然カウンセリングは役に立たなかったから。50分の枠組みの中で、心理士は自分のこととかを話してはいけないから機械的になるし、自分にとっては違っていた。でも、発達障がいと虐待とか、そういう枠で相談をしたりうけたりするのも窮屈だなって。
 昔は友達とか全然だめだったけど、同じく心理を勉強している友達と遊ぶようになって、楽しくなった。だから、友達に会いに行くために仕事頑張る、みたいに切り替えがうまくできるようになった。しんどくなったら、友達に正式なルートでいけるようになったから(笑)しんどいとかも普通に言える関係。その友達との出会いは大きい。教育心理の人で、アタッチメントについて一緒に考えたりとか。共通の話題がある。心理やる人ってたぶんどこかで傷ついた経験がある人たちだから、その人たちと話しているのは楽かな。

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