経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

「普通、当たり前」のプレッシャーが「死にたい」に変わる時~学校編

Kさん(20代前半)
 両親ときょうだい4人の6人家族。毎年みんなでキャンプに行く仲良し家族。幼いころから引っ込み思案で、できるだけ人前に立たないようにしているタイプの子。
 家族との関係は良好で、普通に友達もいる。虐められているわけでもないし、勉強も別に苦手ではない。そんな彼女が学校に行けなくなるって、一体どういうこと?聞いてみました。

幼少期から中学まで~引っ込み思案の普通の子ども

 もともと変化や友達を作るのは苦手だった。新学期とか入学はすごく嫌いで…。でも、小学校は学校行かないとかは全然なかった。むしろ学校に行かない人はなんなの?って思ってた(笑)
 中学は合唱部の練習がきつくて学校よりも部活が嫌で。理不尽に怒られたり、厳しかったから。先輩と先生が怖かった。楽譜を家に持ち帰るのも許可制で、次の日に持ってくるのを忘れたら連帯責任を取らされた。やめたいとは思うけど、「やめる」と言う方が怖くて。やめる時は顧問の先生、先輩と、何でやめるのか、どうしたら続けられるのか話し合いをしなくてはならなくて。そんなことをするくらいならやめない方がましだなと思って何とか3年続けた。
 部活とは別人でクラスではおとなしかった。友達はいたけど、クラス行事とかはあまり…頑張った、楽しかった、という思い出はあんまりないかも。勉強は好きだって思いこませて、いい子でいようとしていた。自分はわりと勉強が好きで、テストでもいい点がとれる「いい子」っていう自己暗示(笑)。たぶん当時は無意識でやってたと思う。小学生から優等生みたいな感じに思われていて、中学生になってもそのままっていう流れかな。家で「勉強しろ」とは1回も言われたことない。何より部活休まないために学校に行かなきゃならない。真面目でいなきゃって、思ってた。

なぜか学校に行けなくなった高校時代

 高校で地元を離れて下宿暮らしが始まった。最初の1年くらいはわりと普通にやっていて、休みもしなかった。学校に行けなくなったのは2年生GWごろから。朝に行かなきゃと思って準備までするけど、外に出られない出たくない…。とにかく人に会うのが嫌になってしまって出られなくなって。休むとさらに行きづらくなってという負のスパイラルが起きてたと思う。たぶん何かあったわけではないと思う。
 月・火行って、水~日まで休んで週明け頑張るみたいな感じ。休むのが続いて、いよいよ親に知られることになったけど、怒られはしなかった。とりあえず、心配された。親にはどうして行けないのか聞かれたと思う。でも自分でもわからないんだよって。そこから土日だけ実家に帰ることになったけど、全然よくならなかった。それが続くとやっぱり、原因もわかないし「何でこんなにダメなんだろう」っていうのがずっと頭の中にあって。
 日中は寝てるだけ。寝てなくても寝っ転がってる、ずーっと。「太陽がこんなに明るいのに何してるんだろうな、自分」って思いながら。

考え方が変わっても、楽にはならず~死にたい・消えたい

 2年生の秋くらいかな、スクールカウンセラーの先生を保健室の先生に紹介してもらって、話をきいてもらうことになって。どうして外に出られないのかとか、下宿の廊下にカメラがついていてそれが嫌とか、1歩出たら誰かの目に触れられるっていうのがすごくストレスっていう話をして。ずっと休んでいる中で学校に行くっていうのもすごく嫌で、学校に行って何かを言われるのもすごく嫌だった。
 誰でも嫌だった、「ひと」っていう存在が。誰もそんな自分のことなんて気にしちゃいないのはわかってるけど、人が怖い。人が嫌だ。あ、でも家族はそこに含まれない。会う会わないというよりは、「見られる・見られない」のほうが恐怖。カウンセラーに話したら自分の中でも少しすっきりして、頑張らないことを目標にしようっていう話にはなった。「行けないって思った日は1日行けなかったなぁってなるんじゃなくて、今日は休む日だって決めて休もう!」って。そういう考え方もあるんだな~と思った。でも休むのは気楽にはならなかった(笑)。考え方はわかっても、自分には置き換えられなかった。結局は変わらず、行ったり休んだりを繰り返して、2年生の冬になったと思う。
 死にたいって思ったのは、「行けない・行かなきゃいけない・行けない」っていうのが続いて、どれくらいたったのかな。とにかく苦しくて、苦しいけどこの脱出方法もわからないから、いっそ消えたい!みたいな。死ぬと周りに影響があるから1番望ましいのは消えること。死ぬんじゃなくて。

 不登校を発端に希死念慮を抱えたKさんは引きこもり状態になりました。下宿からは「もう手に負えない」と追われることになります。そんなとき、学校の友人が自宅に下宿しないかと誘ってくれました。友人は学校に行けない時にKさんの心配よりむしろ、「私の友達がいなくなる!せっかく、価値観のあう友達を見つけたのに…私の話を聞いて!」とI(アイ)メッセージで声をかけていました。友人宅で下宿をし、何とか高校を卒業しましたが、進学も就職もしませんでした。

死にたいは常識アレルギー

 何とか高校を卒業して、でも進路がなくて、とりあえず実家に戻ってどうしようかなってなってたんだけど。その時もダメで、常識とかみんなの意見が正しいっていうのがあって、何もしてない自分は何なんだろう…って。学校にも行ってなければ仕事もしてないし、職をそんなに探しているわけでもないし。そんな人間まわりにいない、自分はおかしいって。
それで鬱々となって。それまでは高校の時ほどの死にたいはなかったけど、自分の存在が疎ましい、自分を認めたくない…っていうのはあって。結局1年後にパートで働く場所が見つかって、その変化が良い方に向かっていった。それまでは一歩でも逸れたら、もうダメ人間、終わり、みたいな。終了~!って。だからもうダメなんだ、終わりなんだってなって。一応何かしてる証拠のためにハローワーク行って仕事を探してみるかと。そしたらなぜかとんとん拍子に決まっちゃって、パートから今は正社員になっちゃった(笑)。
 やってみたら、いろんな人がいるんだなっていうのがわかって。まず自分が19歳でパートしていることに別に誰も聞いてこないのがあって、「1年どこにいたの?」とか「正社員は目指さないの?」とか嫌だなと思ってけど、なかった。あと、自分より年上の男性がパートで働いていて、その人の生い立ちを聞いたら、いろんなところでいろんな仕事をしていてたり。そういうのを聞いてたら、誰がどう生きようとどうでもいいし、正解も不正解もないんだなって気づいた。そこでやっと開けたんだと思う。あとは仕事が接客だったから、従業員同士がそこまで顔を合わせないし、お客さんも常連さんはいても長時間同じ空間にいるわけじゃないから、それもよかった。

どんな支援があったらよかった?

 アドバイスとかしてくれるよりも、それこそ人の話を聞いたほうが私はよかったのかなとは思う。どうしても自分の意識がずーっと内側に入っているから、少しでも外側の方に目が向けられてた方が楽…。今は意識的に人の目を気にしなくなったのか、どうでもよくなったのかわからないけど、自分がよければどうでもいいやって(笑)。
 学校が自分の好きなことをみんながやっている感じだったら楽だったかな。勉強なりクラスの自分の中の位置なり周りの目なり、全部うかがって探って…はもう疲れる。やらなきゃいけない、こうじゃなきゃいけないっていうのがなければね。みんな好きなことをやればいいんじゃない?勉強したかったらすればいいし、絵描きたければ絵を描けばいいし(笑)。友達も話したいときに話せばいい。同年代だけじゃなくてもいいし。
 先生の対応をもうちょっとどうにかしたらいいのにって思うけど…担任の先生に対してプレッシャーをあまり感じたことはないかな。「心配してる」「大丈夫か」っていう感じがあまりなかったり、親に連絡するのもギリギリだったり待ってくれてたし、直接相談しても「最近どうなの?」とか「家で何してるの?」とかそんな感じの軽い話しかしない感じで。深刻にとらえないのがすごくよかった。あと、保健室の先生も、詳しい内容は結局話してないけど、いつも雑談してくれて気が楽だったかな。

インタビューを終えて

 Kさんの生きづらさを聞いていくと、既存の主流コミュニティ(学校)がKさんに合っていなかったという、非常に単純な背景が見えてきました。メインストリームに違和感があり、何となく乗り切れない、それでいて「自分」を持っている人ははじかれてしまう。でも、はじかれて生きていくほど個人は強くない…。社会科の授業で憲法の理念として「基本的人権の尊重」と言葉だけは習いますが、若い子たちがKYという言葉にナーバスになったり、ぼっち(独りぼっち)を恐れたり、強い同調圧力を感じたりする現実を見てみると、「個の尊重」などということは実はすごく非現実的なことのように思われます。
 そんな中で、Kさんの「支援されるよりも、いろんな人を見たかった」という意見は印象的でした。いろんな生き方があって、いろんな人生があると思えるような機会があれば生きやすかったことを表しています。不登校の支援を見てもそうですが、主流から外れる人がいたら、だいたいは主流に戻すことが第一に検討されます。そもそもの主流のあり方が間違っているかもしれないのに、それを問い直す方向になかなか向かいません。あくまでも前提であるメインストリームは揺るぎない価値観としてなぜかあまりにも強く存在しています。そのことにより外れた人たちは焦り、煽られてしまいます。どんどん人に会いたくなくなって、社会の目に触れるのが嫌になるわけです。Kさんの「人と会いたくない」はすなわち「常識とは会いたくない」ということです。あまりにも多くの人たち(主に支援者)が『常識』を引き連れて、途方に暮れている人の前にやってくるからです。
 Kさんの話は『常識』を考え直そうと問いかけます。私たちの多くはあまりにも常識に無頓着になっていないか?

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