死にたいと思い15年経つ。それはまだストレスという言葉を知らなかった頃から死にたいと思っていた。父親にストレスという言葉の意味を教えてもらった時、(この気持ちの正体はストレスだったのか!)と思った、と同時に父親に「ストレスなんて言葉、子供が使うなんて。子供より大人の方が辛い」という旨を言われた。だから私は、ストレスという言葉を自分の気持ちを周りにいうことはなかった。小学4年生に上がったころ、私と同じ歳の子2人が自殺したニュースがテレビで流れてきた。それを見た母親が「神様がせっかくつくった命なのに」と言った。ますます自分の死にたい気持ちが言えなくなった。その頃、学校では怒鳴る先生が担任だった。毎日いつ怒鳴られるか怖くて、いざとなったら窓から飛び降りて外にある鉄棒に頭をぶつけて死のうかと思っていた。食べ物に毒が入っているという考えに陥る症状が出ているにも関わらず、給食を残すには先生の許可が必要だった。毎日、死んでもいいやという思いでご飯を食べていた。あれは自分にとっては自殺行為だった。次の年に担任になったのは宿題を多く出す先生だった。小学生にも関わらず、深夜2時まで起きて宿題をこなしても終わらなかった。度々、算数に目を回して嘔吐していた。次の担任も怒鳴る先生だった。先生の機嫌を周りのクラスメイトが必死にとっていたのを思い出す。長期休みの宿題が先生の説明不足もあってクラスメイトの1人しか完璧にこなしていないことになっていた。しかも説明不足は生徒に擦りつけ高圧的態度で「(そういう説明がないからと言って)サボっていい理由になるのですか?」と言われた。そしてクラスメイトが自殺未遂をしたら命の尊さを生徒に説いていた。中学生になったら「いじめはいじめられた側にも非がある」と言ったり、そもそも日本語がよくわからない先生がいたりした。そもそも中学生になるとは思いもよらなかったため、受験したい高校もなく、ネクタイで首を吊り不登校になった。あっという間に昼夜逆転し、高校には落ちた。高校に上がっても昼夜逆転は治らず出席日数が足りず私立で申し訳ない罪悪感もあり退学した。そして17歳で自殺未遂をした。医療保護入院になった。その時に精神科医に「思春期ですから」と言われて、思春期になる前から死にたかったと言い返せなかった。18歳には措置入院で拘束される。21歳になり思春期ではなくなったが任意入院した。小学校がトラウマだとようやく整理できたのが最近で、小学生の時の担任に怒鳴られる夢や小学校で自殺する夢をよく見る。さすがに酷い状況になってしまったので、教育委員会に問い合わせたものの「教育の範囲内」との回答をされた。勉強が罰の道具として扱われたのが嫌だっただけで、最近勉強が好きだということに気がついた。高校に再び入り直したいが、高校に入るには中学校に行かなきゃいけないらしくて、学校らしき建物を見ただけで号泣してしまう私には無理だった。青い障害者手帳も持ち、受けられる支援がないか探した。ところが、相談先は、子ども/高校生まで/働いている方/引きこもり/虐待を受けた方/DVを受けた方/働きたいと思っている方/生活困窮者/発達障害者 のみで私が受けられる支援はなさそうだった。他人が助けたいという対象にならなければ、助けてくれないことを思い知った。父親も母親も先生も教育委員会もNPO法人も私のことを可哀想で助けなければいけない対象ではなかったのだ。もちろん、総合的なこころの相談窓口はあるが、その手のものはどこも繋がらなくて、誰も私を助けてくれないのだ。そういった支援を受けられる人がその人なりの辛さもあると言われても羨ましくて羨ましくて仕方ない。死にたいと思いながら、「あなたたちは今自由です」と言われて、貧困な国の授業を受けた時の絶望感をわかってくれる人がいなくて、死にたくなっている。今日も、誰にも助けて貰えず、救われず、死にたいと思って1人で生きています。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
可哀想な人を助けたい人の“可哀想”
感想2
子どもにとって学校の先生は親(家族)の次くらいに身近な大人だと思っています。だからこそ、私達の人格形成や人生にとても影響を及ぼす存在でもあると感じています。私自身も小中の担任の先生に良い思いが全く無いです。私にとって先生は「逆らってはいけない存在」で、怒られないように必死に機嫌を伺っていました。今でも「先生」という存在にアレルギー反応が出たり、自分より立場が上の人に対して従順になろうとする自分がいます。そんなことを思い出したり、考えたりしながら、あなたの経験談を読ませてもらっていました。そして、改めてその理不尽さにやるせない気持ちにもなっています。
そして、あなたは学校の先生だけでなく、精神科医や両親、そして教育委員会など他の大人からもたくさん傷つけられてきたり理解されない言葉を浴びてきたのですよね…。それがタイトルや文中にある「他人が助けたいという対象にならなければ、助けてくれないことを思い知った。…私のことを可哀想で助けなければいけない対象ではなかったのだ」という言葉から私は強く感じ取りました。私自身が今現在、「支援者」という立場にいることも相まって、特に心に刺さった言葉なのかもしれないとも考えています。属性や状態でカテゴライズされた支援は様々ある一方で、学び直しなどの「機会」に対する支援って全然ないのだなと…。人間は様々な機会や経験をする中で育っていくと教わったことがあり、死にトリを利用してくれる人の多くは機会や経験をたくさん奪われてきた方たちだとも感じています。そう考えるとあなたが必要としている支援ってすごく大事で、でも今の社会に足りないものなんだなと痛感させられました。死にトリの関連サイトにある「生きづLABO」(https://ikidulabo.lifelink.or.jp/)では勉強会や交流などの機会を作ろうとしているので、もしよかったら覗いてみてほしいです。経験談の投稿、ありがとうございました。
感想1
経験談の投稿、ありがとうございます。
いくつかの点が自分の経験(した気持ち)と重なる部分があり、深く頷けましたが、なかなか希望の見つけづらい問題だとも分かるので、ぐるぐる悩みながら感想を書いています。
私自身、助けてほしいときに制度に当てはまらず「支援を受けられる人がその人なりの辛さもあると言われても羨ましくて羨ましくて仕方ない」という気持ちを抱いたことがあります。今となれば、「どうして自分は助けてもらえないんだ」という悲しさが、そういった思考や感情を生み出したのだと受け止められますが、当時はどこにも出せずに絶望だけが深まっていった記憶があります。
「思春期ですから」と精神科に言われて言い返せなかったというエピソードも、子どものときに大人にそうやって決めつけられたら、自分も何も言えなくなったことを思い出しました。あなたはその他にも、自分の気持ちを言えない(相手の論や感情を前に、自分の言いたいことを引っ込めるしかなくなってしまう)経験を多くしてきていて、孤独感や絶望感をどれほど味わってきたのだろう…と想像すると、子どもを理不尽に抑圧する社会に腹立たしさを抱きます。子どもの気持ちを抑圧するような大人にだけはなりたくない、という悔しさだけで自分は人生を進んできた部分がありますが、自分の力が及ぶ範囲はあまりにささやかでもどかしくなります。
それでも、あなたがつらかった出来事や自分の気持ちを言葉にして経験談で伝えてくれたということは、どんな暴力も人の気持ちを本当に殺すことはできない、という事実も示していると思います。あなたの詳しい事情はわからないのですが、中学に行かずとも高校に入ることはできるはずですし、高校卒業程度認定試験に合格すれば大学受験もできますし、通信の大学であれば受験が必要ないところもあります。(私は中学校不登校で、高校には行かず高校卒業程度認定試験に合格して、通信の短大に入りました)
あまり簡単に励ましの言葉はかけられませんが、せめてこれからは好きなことを、好きなようにやれる機会があなたにあってほしいと思います。