経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

家族との別居が辛い

2年前に夫婦円満調停を申し立てた結果、期待に反し別居となって1年、夫婦仲が悪化して3年になろうとしています。
原因は、私の暴言とのことです。喧嘩している時は売り言葉に買い言葉で確かに言ってはならない言葉を投げたのも事実です。普段からと言われましたが、決してそうでないという思いと、気づかないうちに家内を否定する態度をとっていたという自覚もあります。険悪な状態になってから全てが家内から否定されてるのを感じます
戻るためには家内を否定することは避けて、私の言い分を捨て私が全て悪い、二度としないと伝えていますが、夫婦仲の状況は変わらず、別居は調停で決まったのだから、それを覆そうとする私に対して家内は怒っています。
LINEでの謝罪ややり直したい気持ちを時々真剣に伝えるのですが、返信がないか、あったとしても、余計に怒らしている内容の返信です。
何もしないと事態は動かない思いが私にはあり、どうすればいいのか悩み続けています。
別居は東京家庭裁判所の夫婦円満調停の際に、家内が提案し私が同意した結果です。同意したのも家庭内別居状態で、私が元に戻したく謝罪しても収拾がつかなく更に夫婦喧嘩が激しくなる状況で、休日は朝から夜まで私が外出するという日々が続きました。高校生の子供も私に全て責任があると思っており会話も無い状態で、食事や洗濯も別々でした。その状況を続けることは、子供にも良くないと考えてのことです。
この状態になる前も喧嘩は多かったのも事実ですが、家族で生活している中で良かった思い出も多くあります。その事が離婚に踏み切れない今です。
私が家族のことを思っての生活の過ごし方に欠けていたことは否定出来ません。日常を当たり前のように接してました。
喧嘩や不満な態度を家内から示された時に、私はそれに言い訳をしたり、逆に家内が間違っていると責めたりしていました。
その積み重ねが家内の精神状態を我慢の限界を越えてしまったのが3年前でした。
何とか考え直してほしいという気持ちがあっても、拒否されてることに行き場がありません。せめて子供との交流があればいいのですがそれも叶わない状態です。
子供との交流は、調停調書に、子供が望む場合は家内は妨げてはいけないと夫婦合意で書かれてますが、子供からの信頼が無い今は全く交流が無い状況で、子のことを思う度に、精神的にまいっています。
我慢するべきと周りから言われますが、私も頑張ろうと思っても、挫けてしまいます。
家内は、謝罪とかのLINEはしないように言ってるのは、精神的な病にかかってるから安定するまでしないようにと言ってるにも拘わらず、時々謝罪のLINEを送ることに、相変わらず代わってないと逆に怒りをかってます。
仕事中は仕事に専念できていますが、先が見えない不安があります。特に休日は孤独感でどうしようもないです。

感想1

自分自身の中にどうにかしたい思いがあるほど、我慢するのが最適だとわかっても、「何もしない」あるいは「我慢する」という選択を取れなくて…それってなぜなんだろう、とあなたの経験談を読んで改めて考えていました。
「何もしない」「待つ」ということで事態が好転する場合もあると思いますし、我慢出来ないことで事態が悪化してしまうこともあるのだと思います。だからこそ、周りの方は「我慢するべき」と言っているのだろうと思います。そして、そのことは冷静になるとあなた自身も気づいていることなのだろうと思います。ただそれでも、「何もしない」という選択が難しいのは「自分自身が落ち着かない」という強い気持ちが存在するからではないかと思います。あなたの経験談からはひしひしと「落ち着かない」「どうにかしたい」という自分自身側の気持ちが伝わってきました。自分から溢れだす気持ちが強ければ強いほど、それは他者から見た時には「自分勝手」に捉えられてしまう可能性のあることなのかな…と。
何だか、厳しいことを書いてしまった気持ちにもなっていますが、あなたが強い孤独感にさいなまれて、苦しいことも伝わってきました。私はその苦しさから解放される方法はあなた自身の中にあると思っています。こうして心の苦しさを開示し、他者に伝えることができるからこそ、この機会に自分の姿に向き合い、自分自身の力で苦しみから解放されることを願っています。

感想2

投稿を読みました。
パートナーとの関係がうまくいかなくなり、また、お子さんと交流できないという状況から、あなたは孤独感を抱いているのかなと想像しました。
あなたはあなたなりにいろいろと考え、あなたなりに動いているように読みましたが、残念ながら、人間関係というのは無理なものは無理なのかなと私自身は考えています。仮にパートナーという関係性になった相手だとしても、自分と相手は当然違う人間であり、違う考え方や違う気持ちがあり、違う人生があるものだと思っています(人は日々変化もしていくものですしね)。自分がどんなに手を尽くしたとしても「相手にとって」それが心地よいものでないのであれば、それは無理なんだろうと思うのです(私自身のこれまでの経験上、そのように強く感じています)。

「良い思い出」があるためになかなか離婚に踏み切れないとも書かれてありました。しかしながら「無理なものは無理」である以上、「良い思い出」があなたやあなたのパートナー、お子さんを縛る(ように私には見えてしまいます)のも違うのかなと私は思っています。お子さんは高校生ということで、これから自身の人生を本格的に決めていくことになるだろうと思われます。これもまた当然の話ですが、親子であったとしてもそれぞれ別の人間であり、別の人生があるため、親は子どもから何かアプローチがされない限り、黙って尊重するものなのかなと考えています。そうだとすると、親としてできることはお子さんを縛らないこと(尊重すること)なのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
あなたの中にある交流したい気持ち、お子さんに会いたい気持ち、孤独感は理解したいと思いますが、パートナーやお子さんを大切に思うなら、それをパートナーやお子さんに向けないかたちで受け止めることができるはずです。そうしたことが難しい場合には、あなたは「パートナーやお子さんから見たら」恐怖の対象になってしまいかねないため、そうした気持ちを大切に扱う(=身近な人を大切にする)ための勉強会や自助グループなどの力を借りてもらえたらと思いました。

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