経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

解消した呪いと新たに見つかる視点

1回目はこちらから。
https://shinitori.net/docs/?p=3158

この奇怪な文章に寄せられた感想を読んだ時、「やっと受け止めてもらえた」と思えました。あの文章から、様々なことを考察してくださったことが嬉しかったですし、感謝の気持ちでいっぱいです。特に1番目の感想を書かれた方の考察がドンピシャリでした。

・母親の子どもの頃の私に対する関わりが「世話」のつもりが「支配」になっていたこと(過干渉の可能性)
・客観的な視点に立つ経験を、数学を通じて育んでいたこと
・数学では「みんなに合わせる必要がない」ために、心理的安全性が保たれていたこと
・急な変化によるダメージが大きく受けやすいこと
・“『普通側に合わせろ』という意図が透けて見える”ことの苦痛

何より、嬉しかった理解は、
・『一番欲しい時に、ニーズに合う助け』がなかったこと
を見抜いてくださったこと。このしんどさに、気がついてくださってありがとうございました。初めて、自分の考えが曲解されることなく伝わった瞬間でした。

あれからだいぶ回復して、元気になったので、もう一度この体験談を書いてみることにしました。地の文で書いたので、敬語を省略してあります。

まさか2回目を書くとは想定していなかった。あの頃の私は希死念慮の症状から逃れたくて、私の身に降りかかっていた不幸を書きなぐった。どこか客観的に書いた文章も、今読み返すと随分と歪にみえる。視点の移動も激しい。それは、苦しい状況の中でも読みやすい文章を作ろうとした結果とはいえ、やはり調子の悪い時に作文すると整合性をとるので精一杯だった。「無理はするものではない」ことが身に沁みる。
事前に断っておくと、私は数学が好きな大学院生なので、これから先、宗教系の話はただの知識として扱っている。苦手な方は別の表現に読み替えるか、読み飛ばして欲しい。勿論、その文章が抜けても意味が読み取れるように執筆する予定なので、安心して欲しい。元来文章とはそう書くものというポリシーだ。

 さて、1回目の経験談を書いてから1年経った。今の私が抱える生きづらさは前回より減った。その理由の大きな要因は、”自分が特に何も気にしなくても、素のままでいられる場所”を見つけられたことだろう。この場所を見つけられたのは嬉しい。ただ、その前に私自身の感情に気づくきっかけになったのは観劇だった。

旧約聖書では神様は7日で世界を作ったという。神様ですら、1日目には「世界を天と地に分ける」など大きな作業をしている。私にとっては、「自分が心地いいと思えるものと、そうでないものに分ける」は20年以上かかった。だって、身近な他人にとって心地がいいことや都合のいいことを知っていても、自分にとって心地がいいことは一つも知らなかったから。
この世の中に生きている人のうち、「今日の自分は元気なほうだな!」や「今日はちょっと調子が悪いかも?」って気が付くスキルは一体いつ身につくんだろう。私は25年近くかかった。虚弱体質であることや、年がら年中風邪をひいていた小学生時代を振り返ると、何の症状もない日は数日あればいいほうだった。風邪が治っていても、季節の変わり目でアトピー体質の肌は荒れていたり、肌が治ったと思ったら咳をしていたり。こんな日常を送っていて、アレルギーを気にした食生活まで追加された7歳の私には目まぐるしい。やらなければならないことのオンパレードに頭が爆発しそうだった。

こんな生活をしていたら、自分が心地いいものを探したり、元気であることを知ることよりも、毎日の宿題や明日の持ち物を用意すること、塾の宿題に追われてしまうのは仕方がないことなのだろう。私自身には、計画的に物事を実行する力はなく、そのための大人のフォローもない。そんな私には、オーバーワークだった。それは執筆している今日まで続く呪いだ。
特に持病を持つことなく、家族やコミュニティに恵まれて平凡な日々を送れている人には、きっと上にあげたことなど日常の中で見つけられるんだろう。大きく調子を崩すことなく、自然と身につけていくことのできる素敵な才能の持ち主だ。私にとっては、アルバイト先の同僚講師や同じ趣味を持つ友人たちがまさにそうで、彼らとの交流はこれからも続けられたらいいと思う。私が持っていない視点で生きている人たちだから。

観劇で見つけたきっかけを、日常の中で活かせるように工夫して。工夫したものを実際に活用しては、その都度修正をする。そんな3年間だった。何よりおなかが震えるほど笑っていられたのは、観劇の時くらいだった。本当は感情あふれる自分だったのに、いつの間にか、小さな器に閉じ込めていたようだった。心の不自由さがずっとある日常から解放される観劇は、今日も続いている。

同時に5年かけてカウンセリングや私の持つ発達障害(ASD:自閉スペクトラム症、ADHD:注意欠如多動症)への理解が進んだ。それにより不調時と復調時のwaisの変化から、いくつかの特徴を見つけることができた。それは、

・不調の時に見られる特徴
・調子のいい時にみられる特徴と
・それぞれの調子の時にやりやすいミス

だった。これらに対策を施すことで、

・オーバーワークになる自分をコントロールする方法 (予定を詰めすぎない。)
・体力や気持ちにゆとりのある生活を送りやすくする方法の一つ (小さなゴールを作っては潜り抜けること)

を見つけた。

 人生の忘れ物が多すぎて、回収しきれないだろうと予測していた2020年の秋に、人生初の休学をした。あれから2年半。指導教員とはどうしてもそりが合わず、所属ゼミを変更した。
合理的配慮をしても合わない相手とは、一緒に仕事をすることはできない。たとえどんなに魅力的な仕事内容であっても。まあ個人的な思いとしては、関わるだけでイライラするわ、私の心の琴線を素手で触れられている不快感を、なかったことにできなかった。相手が想いを言葉にするスキルを持っていなかったり、私に伝える言葉を省略されてしまっては、どんなに一生懸命意思をくみ取っても、こちらが誤読したことを責められるばかり。徒労に終わってしまう。こんな日々を後1年続けられる余力は、もう私には残されていない。私は指導教員の《人間として自然と持つ弱さ》を受け入れられないのだ。

 私は、『コミュニケ―ションを続ける努力は、自分ひとりがやり続けるだけではいけない』という考えだ。この努力を一緒にやってくれる人でなければ、一方的にやつれて、自然と去っていくことは容易に想像がつく。致し方ない部分もあるが、こうなってしまうと、相手に耐え切れる人種のみが残ってしまう。多様さが失われ、新しい風なんて吹かない。風通しの悪いところは、誰にとっても居心地が悪くなってしまう。
そんな想像ができない人とは一緒にいられない。これは私にとっても戒めなのだ。もう私は、仏様でいられないのだ。自分の身体と精神を25年かけて削り続けてきたのだ。『ただこの世界で息をして、私として生きていく』、それだけのために。
その優しさに甘えなければ生きていけない人とは、申し訳ないが距離を置かせてもらう。0円で私の優しさと知識と時間に依存した人への罰である。

こんな調子で、私を大切にしてくれていても、どうしても関わり続けることができない人とは距離を置いた。復学届も提出し、2023年4月から再出発している。
合わない人間関係を築くスキルばかりつけて、今日まで生き残ってきた。そんな私が社会に出る前に、《気遣いを過剰にやり続けることなく、継続できる関係性を築ける最後のチャンスを、自ら手にすること》、それがとても大事だ。大切な経験だ。私が私として伸び伸びいられる、子どものようで大人のような、そんな経験。

そして、この経験を持って、私は社会に出たい。騒がしくて時に物騒な心を語っても、「あなたらしいね。」と言われる人に出会うことを、やめられないのだ。

 1回目の体験談を投稿し、ただ”死”への距離をとり続けて1年。“死”が頭にちらつかなくなった。いまはただ、新しい指導教官の書いた論文に喰らいつく自分に「仕事しろ」と活を入れることが少しだけできるようになった。好きなことなら無理ができ、1日に複数の予定を入れても、くたばらなくなった。

 復学してよかった、と心から思える。合理的配慮の影響もあって、安心感のあるゼミの運営になっている。それでいて、修士学生として求められる技量の部分には妥協がない。こういう世界を、ずっと待っていた。
そして、自分の意見を受け入れてもらえる。その上で議論が始まるのは、数学の世界ならではの光景だと思う。『主張の正しさ』にこだわるが故に言葉が厳しくなる人もいる世界で、『その場にいる人が理解するまで、待っている。』のは、数学の世界のいいところだ。こういう文化が世の中に広まれば、少しは生きやすくなるのではないかと思う。ちなみに数学のゼミ中では割とある光景で、とある大学では先生もわからなくなった時に数分程度待ってもらうことがあるそうだ。他の分野のゼミはどうなっているのかわからない。ちょっと気になる。

私のいる大学では、時々著名な専門家を招いて講演が行われる。
でも、本当に聞くべきなのは、専門家の話だけなのか。こんな特異な経験をした人間の話を聞くことも大切なのではないだろうか。当事者の話を聴いて、考えて。この世界で互いに心地よく生きるための方法を話し合って。その手助けとして専門家がいるのが適切ではないだろうか。そうやってルールなり、マナーなりを作って、定期的に見直しをする。というのはどうだろうか。

それも一つの当事者の在り方なのかもしれない。
キャンパスの、講演ホールのある建物で、そんなことを考える。

 就職活動もいずれやらなくてはいけない私だが、今の疑問は、

「合理的配慮は、話し合って決めなければ実効性が弱くなる代物だというのに、なぜ当事者側が配慮の具体的な中身まで考える必要があるんだろう。まるで当事者ならなんでも知っていて、非当事者は当事者の言い分さえ飲めば互いに仕事ができると考えているように見える。その様は当事者が頭を下げているのを、非当事者が椅子に座ってふんぞり返っているように見える。」
ちなみに実際にやられたことでもあるのだが、少々被害的にものを考えすぎているかもしれない。まだまだASD特性と調和して生きるには時間が必要だ。そして、非当事者との歩み寄りも。

不幸語りではなく、これからの世界をより良くするための材料として、私の経験をここに残します。どうか、ただの不幸を減らせますように。考える生き物たる『人間』の可能性に賭けます。死にトリの取り組みが今後も続くことを、願っています。

感想1

2回目の投稿をありがとうございます。1回目の投稿と2回目の投稿を読みました。どちらも貴方だと思いましたし、同時に(当たり前のことだけれど)1回の接点(投稿)ではその人の一面を知るにすぎないのだと感じました。コミュニケーション(互いを知る)というのは、何往復もの積み重ねということでしょうか。もちろんこの投稿には記されていないたくさんの貴方がいると思っています。
2回目の投稿について、素直に気持ちを伝えると、私はただただ圧倒され、感想を書くことが畏れ多い、そんな気持ちになっています。これは私側の課題であり貴方の投稿を否定するような意図はありません。これまでも何度か感想を届けてきましたが、自分自身の未熟さを突きつけられたということかもしれません。わかったような気になって感想を書いていた自分が恥ずかしい、そういうことなのだろうと思います。それほど説得力がありました。
 うまく感想がかけないので、素直に吸収したことを要約します。すでにうまく書けないことで悩んでいるということは、うまく書こうとしている嫌な自分を認めつつ。
① 私にとっては、「自分が心地いいと思えるものと、そうでないものに分ける」は20年以上かかった。だって、身近な他人にとって心地がいいことや都合のいいことを知っていても、自分にとって心地がいいことは一つも知らなかったから。 
 →確かに周囲に意識をつかっていると、自分が心地いいと思えるものを知ることができないと思いました。私の人生が目の前のことをこなすことが中心になっているのはそういうことかもしれないと整理することができました。
② 特に持病を持つことなく、家族やコミュニティに恵まれて平凡な日々を送れている人には、(省略)素敵な才能の持ち主だ。(省略 )彼らとの交流はこれからも続けられたらいいと思う。私が持っていない視点で生きている人たちだから。
→生きやすい要素を持った人が生きにくい背景のある人に歩みよるべきだという価値観が自分の中にあったことに気がつくことができました。貴方は、生きやすい要素を持った人を敵視したり、どうせ理解してくれない人と決めつけずに、受け入れる感覚があるのですね。多様性とか違いを生かすとかこの世に溢れている言葉を理解しているつもりだったのに、私の理解は一方的だったのだと思います。
③ 私は、『コミュニケ―ションを続ける努力は、自分ひとりがやり続けるだけではいけない』という考えだ。(省略)相手に耐え切れる人種のみが残ってしまう。多様さが失われ、新しい風なんて吹かない。風通しの悪いところは、誰にとっても居心地が悪くなってしまう。
→DVやハラスメントの構図はこういう面もあるのかもしれない!
④ そんな想像ができない人とは一緒にいられない。これは私にとっても戒めなのだ。   もう私は、仏様でいられないのだ。(省略)その優しさに甘えなければ生きていけない人とは、申し訳ないが距離を置かせてもらう。0円で私の優しさと知識と時間に依存した人への罰である。
 →面白い表現だと思い気分が高揚しました。
⑤ 合わない人間関係を築くスキルばかりつけて、今日まで生き残ってきた。(省略)騒がしくて時に物騒な心を語っても、「あなたらしいね。」と言われる人に出会うことを、やめられないのだ。
→私の気持ちを正確な言葉で表せないのですが好きな一文です。
⑥ 「合理的配慮は、話し合って決めなければ実効性が弱くなる代物だというのに、なぜ当事者側が配慮の具体的な中身まで考える必要があるんだろう。まるで当事者ならなんでも知っていて、非当事者は当事者の言い分さえ飲めば互いに仕事ができると考えているように見える。その様は当事者が頭を下げているのを、非当事者が椅子に座ってふんぞり返っているように見える。」
→この10年私が生業としてきたことの本質がここに凝縮されていると思いました。おそらく配慮をする側にいることが多かったと思っていますが(配慮をしてもらっていた自覚もある)、配慮について少しはわかりはじめていたとは思うけれど、でもやっぱり全然わかっていなかったのだと思います。なんだか振り出しに戻ることができた気持ちで、貴方の投稿に出会えたことを感謝しています。
 最後に。数学という学問を私は誤解していました。それぞれが主張しその場にいる人が理解するまで待っている世界とは想像もできず数学に苦手意識を持っていたからです。知ることができて嬉しかったです。

感想2

まず、経験談というコンテンツをこのように活用することができるのかという新たな気づきがありました。自分がぼんやりと感じていた課題意識というのか仮説のようなものに対してヒントになったような気がしています。
経験談は感じたこと、考えていることを率直に表現してもらい、それを読んだ私たちが限られた情報ではありますが、そこに込められた思いや背景を想像して、理解しようとして、受け止める。そして感じたことを自分なりに返す。とてもシンプルなことですが、そのプロセスが何らかの意味があると思って経験談というコンテンツを続けています。今回2度目を書いてくれたことで、本当の意味で「受け止められた」と感じる経験が大切であり、そのための一つの在り方として経験談を通じた対話に意味があるのだろうと感じました。同時に、リアルな生活の場には「受け止める」という機会が少なく、一方的にジャッジされたり、思考停止で何かに従うことが多く、お互いに受け止め合うことが難しい現実があることを再認識しています。
私は死にたい気持ちやこんな世の中で生きていたくないと思い苦しむ人たちに用意されている支援が一般的には相談が主流であることに少々違和感と疑問がありました。
その疑問はあなたが書いてくれた「その様は当事者が頭を下げているのを、非当事者が椅子に座ってふんぞり返っているように見える」というところに少し通じるものがあります。どこか、支援する側だけが特権のように安全なところにいて、苦しみ戦っているような現場には近づくことなく、遠くから大変ですね…わかりますと共感しているようなそぶりを見せるようなイメージです。私は必要なのは支援というより、一緒に考えたり、一緒に苦しむことなのかなと考えていました。特定の人たちが背負わされている荷物(負担や負荷)に気づき、背負わせてきてしまった片棒を自分たちも担いでいることを真摯に受け止め、この先、その荷物を自分たちも持つためには何ができるか考えたいと思っています。
そう考えると、あなたは自分の力で切り開いているフロンティアだと思いました。「自分の身体と精神を25年かけて削り続けてきた」と表現したように、周囲と分かり合うため、調和するために並々ならぬ努力をしてきたことを想像しています。その中で、気づいたことや学んだことを試行錯誤しながら、確立してきたのだろうと思いました。でも、その努力はフェアではないものだろうと感じています。あなたは「少々被害的かも」と控えめに書かれていましたが、私は被害的でも何でもないと思いました。「非当事者との歩み寄り」という表現もありましたが、歩み寄るというのはコミュニケーションと同様、どちらか一方では成立しないことだと思っています。どちらか一方が身を削らないと成り立たない関係はフェアではないし、それを当事者に暗黙に強いることがあってはならないと思います。ただし、気づかないうちにそれをやってしまっているのだろうとも思っています。私は、歩み寄りも確かに必要かと思うのですが、一方的に当事者が非当事者のところに歩み寄ることを当たり前と思ってしまっては何も変わらないのではないかと感じたからです。かといって、当事者が非当事者に一方的に理解すべきと突き付けることも建設的な結果を生み出さないこともあることは実際に感じています。
そんなジレンマの中であなたの経験談の内容に戻ると、キーワードになるのは「観劇」「数学」なのではないかと思いました。おそらく、私たちがそれぞれの個性を持ち寄ってできる限りフェアに関係づくりができる媒介が世の中にあるのだろうと思ったのです。その一つが芸術である観劇であり、学問である数学なのだろうと思いました。おそらく、まだまだ他にあると思います。だから、私の違和感に戻りますが、「相談」という支援ではなく、芸術や学問などに一緒に参加できる媒介を通して、少しでもフェアにともにいられる時間空間を増やしていくことがもっと大切な気がしています。
また、こうして手紙のようなやり取りをすることもとても意味があることだろうと思いました。まだ、どのような意味があるのかちゃんとわかっていないので、これからも経験談のコンテンツを通じて、考えたいと思います。また、3回目があれば、ぜひ書いて送ってください。(3回目ではなくても、お返事があれば楽しみに待っています)
2度目の投稿、ありがとうございました。

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