経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

呪いが解けません

小さいときから、マイペースで自分の興味・関心のあること以外はどうでもいい、そんな子どもだった気がします。
2つ下の妹は私とは違い、要領がよくいろいろなことに気がつく、気がまわるタイプでした。なので、昔から私と妹を比較するようなことを家族から言われ続けてきました。
「(妹と比べて)あんたは平和でいいね」
「あんたは全然ピントピッタシじゃないね」等々…。
なにかを決めるようなときも、妹と家族の間でほぼ話が決まっており、私には何も知らされないかあるいは最終段階になってついで程度に知らされるのみ。経緯のわからない私が何か言おう・やろうとしても「そうじゃないでしょ」「何言ってるの?」とバカにされたり否定されたりしてばかりでした。
特に虐待されたわけではない。妹や家族とも仲が悪いわけではない。けれど小さいころからのそうした記憶のせいで、「自分は要領が悪く気のきかない人間だ」「自分が何か言おう・やろうとしてもバカにされるだけなのではないか」「この家族には妹がいればそれでいいのではないか」という呪いにも似た気持ち(あるいは思い込み)をずっと抱えて、生きづらさを感じて生きてきました。
大人になるにつれ(大変におこがましいですが)自分以上に気のきかない・けれど平然と生活している人に接したり、少ない機会ですが「気が利くね!」と褒めていただくことが出てきたりして、少しずつ外の世界では呪いが解けていっている気がしています。
でも、この年になってもなお家族の前では呪いが解けません。ホットヨガを始めたとき、ボランティアをやってみたいと言ったときも「何言ってるの?」「あんたにそんなことできるの?」とバカにされるような気がして口に出すまでは勇気がいりました(実際には「好きにすれば?」といった感じでたいした関心もなさそうでしたが)
自分は家族に対してどうしてほしいのだろうか?ずっと考えていますが答えがでません。たまに気づかうような言葉を家族からかけられても「何を今さら」とひねくれた感想をもってしまいます。何か意見を聞かれても、自分の意見はバカにされて通らないものという思い込みのせいで、「特に意見や要望はない」と答えることしかできなくなってしまいました。この呪いのような生きづらさは死ぬまでずっと解けないのだろうか、という気がしています。

感想1

経験談の投稿、ありがとうございます。
それがもし一般的な虐待の定義には当てはまらなくとも、相手との仲が悪いわけではなくとも、自分の意思や感情を尊重されないのは私は暴力だと思います(強い言葉を使ってしまって、戸惑われたりただ違和感を抱かせたら申し訳ありません)。少なくとも、あなたに自分は価値のないという呪い、「意見や要望はない」と答えてしまうような無力感をもたらした事実は確かですし、それは間違ったことだと思います。私はあなたが受けた扱いを不当なものだと感じますし、家族に対して腹が立ってしまいます。
個人を加害者として責める気持ちというよりは、「やりたいと思ったことや感じたことをバカにした行為」というものに腹が立ちます。

だから外の世界との関わりで少しずつでも呪いが解けているのは、変な話かもしれませんが、自分にとっても小さな救いであるように感じます。私は自分のことをあまり大事にできませんし、意思表示を諦めてしまうことも多いですが、人は人とのつながりの中で無力感や呪い(のようなもの)から抜け出す力があると信じたいからです。
否定されてきた後遺症は完全にはなくならないかもしれません。少なくとも、自分については完全には解けないと思っています(わかってもらえないと感じた時には、うまく言葉が出なくなり愛想笑いで誤魔化して、後で打ちひしがれてしまいます)。でも同時に、少しずつ心が自由になれたり、どれほど否定されようと意思が完全に消えるわけではないのも確かな事実です。
あなたがあなたの存在を尊重され、自分の意見を伝えようと思えるような関係性や機会に、なるべく巡り合えることを願っています。

感想2

読ませていただきました。自分の話で恐縮ですが、私の中にも発生源の似た呪い(私的呪いの解釈:根拠はないけど反射でそう思ってしまう事)がいくつかあります。なので、あなたがその現象を「呪い」と捉えたうえで、家族含め自他に線を引き、社会経験の中でメタ認知を形成していった…文章から感じられるその過程に、とても共感・納得しました。その分、以降に続く感想には、もしかしたら個人的な私怨や自分語りが含まれてしまっているかもしれません…先に断っておきます、すみません(そのくらい、感覚的にしっくりくるものがありました)。
小さい頃(人格を形成するような時期)に多くの時間を過ごす「家族」や「学校」という空間って、すごく閉鎖的かつ、そこにいる人との相性とか、運による部分がかなり大きいような関係性の割には、一個人に与える影響が大きすぎるよなあと、私は思っています。「あなたは人と違う」とか「あなたは気が利かない」とか、そういう言葉って、まだ自分で自分を認める術も経験ももたない子供にとっては、(それで価値観を決定されてしまいかねない程)あまりにも威力の強すぎる評価表現だと感じていて…でも本当はきっと、そういう言葉をかけてくる人にとって相手が、たまたま都合が良くない・心地の良くない存在というだけじゃないか、と。大人になってようやく思えた事ですし、それでも尚、呪いは消えてくれないのですが…。
「自分は家族にどうしてほしいのだろうか」という問いは、すごく難問ですよね…私にも正解はわからないですが、自分は(家族に限らず)他者に何を望んでいるのか・何があれば安心できるのか、逆に何をされたら辛くなるのか、を、少しずつ言語化していくことがヒントになるのかなと私は考えています。その作業の先でいつか、「誰かにかけられた呪い」が「自己理解」に昇華されたとき、多少解れるのではないかと…期待も込めて、私はそんなふうに考えることにしています。あなたはどう思いますか?

お返事1

丁寧な感想をいただき、ありがとうございます。
実は投稿のあと、住んでいる地域でカウンセリングをやっていらっしゃる方がいるとわかり、
「投稿した体験談は誰かに面と向かって話したことはなかったけど、誰かに話したら何か変わるだろうか?」と思い
思いきってカウンセリングを受けに行ってみました。
そこでカウンセラーさんにおっしゃっていただいたことが、自分にとってはとても納得でき、
またいただいた感想にも少し通じることがあるかも、と思いました。

カウンセラーさんは「反抗期」についての話をしてくださいました。
反抗期という言葉は強いけれど、親や先生とぶつかりあう中で「自分の気持ちはこうだ!」と確立させていく過程のことをいうのだと。
そして、私がこうしてカウンセラーさんに自分のことを話そうと思ったのも、
私がまさに反抗期の中にあり、「(周りのいうことに従うばかりでなく)自分の気持ちを大事にしたいフェーズにいるのでは」とのことでした。
自分は学生のときには反抗期らしい反抗期がなかったので、遅めの反抗期と言われてなんだかストン、と腑におちる感じがしました。
また、今回いただいた感想の中で「言語化」というフレーズが出てきましたが
カウンセラーさんにもやはり、「言語化できるのであれば、モヤモヤはきっと解消できる」といった趣旨のことを言われました。
なかなかしんどい作業ですが、自分の気持ちと向き合い言語化していくことが必要なのかなあと思います。
なんだかまとまりのない返信になってしまってすみません…

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