経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
私は小学生の後半から恐らく人に嫌われていた。
習い事をしたら先生に殴られる間違えてわからないと言ったら殴られる泣いたらため息。
数字なんて大嫌いだった。塾をやめる口実に使ったバレーボールの習い事
片親だからと習い事の親御さんたちにも嫌われていた。仲良かった子にオッサンと陰口をたたかれていた。中学に入って全部変わるかと思ったらまた揉めた。
当時他校の生徒と連絡先を交換するブームだった。なんとなく部活の友達の紹介で知り合った男の子と性的な関係になった。愛されたい願望が強い私は自分を見てくれる対象に好意を抱いてくれるくれると思った。
そこからいじめなった。人の男をとる女 やりまんら援交してると学校で大問題になった。
勿論親は信用してくれない先生にぶたれた。親にぶたれ泣かれた。なんでか分からない。
そこから自暴自棄になり誰でもいい私を見てくれる人がほしくて
ネットで知り合った男性に愛を求め家を出る。なんかよくわからないこの関係に自分を求めてくれる自分を好きでいてくれる!に絶大な嬉しさを求め何年も経った。
年齢もごまかして名前もなにかも嘘だった私を好きだ!かわいいという。
私は中途半端なネットの知識と、自分を好きと甘い言葉を言う男性にホイホイとついていき異常に自分を縛る男に適当に重くなったら捨てた。きっと100まん回同じ繰り返しをし未成年の子供の恋愛心でああ好き!となった人に同じ事をされる。因果応報ですよね
そんな優しい虐待のようなおままごとを繰り返した。18になってすぐの誕生日に水商売をした。自己承認欲求が高い私には天職だったどこ行っても売れた。面接でも必ず売れるとどこに行っても言われる
けど一方仕事ができても変わらず恋愛の仕方がわからないのでプライベートでは随分めちゃくちゃだった。仕事では相手の気持ちが手に取るように分かるので寂しいを埋め、同じ人をホイホイし最高の言葉を提供し依存関係をつくる。また同じ虚しいままごとに思えた当然実力主義の水商売では相変わらず同性には嫌われた。上辺の仲良しごっこで仲良くした ペラペラの紙切れのような友情しか知らなかった私はどうせ相手が裏切るのを見越した仲良しごっこにインスタントだなと思い接し深くなる人がいれば店を変えまた同じ繰り返しをした。
数年たち何店舗か渡り歩いた私は新たな店舗でもNo.1になった。
その時主人に出会った
何の変哲もないもないサラリーマンだった
真面目そうでというか真面目だった。
好きだと毎度遠方から来ては告白をする
何故か仕方なく付き合う事になった
真面目な彼は今まで見た事もない接したこともない普通だった。お金も特段もつわけではない。なんとなく自分がいやになった
汚くて何してんだろう、真人間になったら変わるのかなと思った。彼の隣はこんなのでいいのかとたまに死にたくなった。
そこから店を辞めた1年後
わたしは大嫌いなあの土地と別れ
彼と遠い所で住んだ。結婚もした
初めて夜以外の仕事を同じ店で4年半働いていた。初めて販売をしてやりがいを感じた。
気づけばあの日毎日虚しいままごとだった私は、どんどん先の未来について考え始めた。
彼と私は歳が違うこんな安いお給料で貯金もない。これでいいのかと
就職をしたいと思ってこの4年半毎年1つずつ資格を取る勉強をした。
少しでも彼の普通に近づきたくて
私には学がない、勉強も偉くないし多分そんなにすぐなんでもできる方ではない
時々漠然と昔のフラッシュバックをする。
紙切れのような友情 日替わり弁当みたいなままごと恋愛の夢もみる
またもうお金ないからと同じことするのかの葛藤で時々苦しい。そしてまたすぐ人を嫌いになりそうになる
そんな私がもう今週ついに働いた店をやめる。水商売で異性には好かれていたが
普通の店では同じテナントで働くおばちゃん、他店の同じ店で仲良くなった女の子が最後に会いに行く!と連絡をくれる。
これってもう 普通になれてるのかな
新しく始める仕事は全く違うタイプの接客業で人を教える立場になる
まだやっぱり何かを疑うけど
きっといつかもう普通だよと胸を張って歩けるようになれてるといいな。
目標は死ぬときに必ず人がくるような人になってお金も貯めれるといいな。
感想1
殴られた子どもの人生がどんな道のりになるのか。なぐられた時点で、いわゆる普通の人生とは違う道への扉が開く気がしています。しばらく(無理をしながら)普通の人生を歩んでいたとしても、やはり途中で違う道に続く扉があるように思うのです(※私は普通という言葉を使うことに細心の注意を払うほうですが、今回は投稿者さんから刺激をうけて、あえて普通という言葉をサラリと使うことにします)。投稿者さんは「愛されたい願望が強い私」の扉を開けて、試行錯誤しながら今日までその道を歩んできただろうと感じました。敬意を表したいです。
塾や学校の出来ごとについてですが、殴られたことと同時に、投稿者さんの気持ちに耳を傾けてくれる大人が傍にいなかったのではないかと想像しました。先生や親は投稿者さんの気持ちを聞いてくれたのでしょうか。先生や親は何かを投稿者さんに伝えたかったのだと思うのですが、殴ったり泣いたりする以外の方法を選択してほしかったなぁと思いました。誰かに気持ちを伝えるときに殴るという方法は避けるべきと思います(私は○○すべきという言葉を使うことに細心の注意を払うほうですが、今回はサラリと使わせてください)。
そうだ。安全基地という言葉を聞いたことがありますか?ざっくり説明してみると、困ったり失敗したりしたときに、その人の元に戻れば心身ともに癒されて、また普通の道でやっていくことができるという意味です。子どものときに安全基地となる大人の存在があったか否かが普通の道を歩めるかどうかに影響するということなかぁと私は理解しています。人間関係の中で、困ったり傷ついたりしたとしても、安全基地に戻って、その大人の元でエネルギーチャージして普通の道を歩んで、失敗したら安全基地に戻ってメンテナンスして・・・そうやって成長した子どもはいい感じに普通の人に仕上がるようです。いい感じというのは、いろんな意味があると思うのですが、例えば、恋愛の場面で、自分を大切にしてくれる相手が誰なのかを見極めることができて、自分を傷つける相手や自分から何かを搾取する相手を避けることができるスキルもその一つです。
投稿者さんの近況をうかがって気がついたのですが、もしかすると夫さんは投稿者さんの安全基地ですか?投稿者さんの日常はいわゆる普通っぽいと感じたものですから。この先も困ったり傷ついたりすることがあるかもしれません。でも安全基地がある限り、普通の人生を歩める確立が高いのではないかと思います。最終的には、自分の心を自分でケアできるレベルになるとかなり生きやすくなることを申し添えます。自分の心を自分でケアできる人は生活費に困っている確率が低く、周囲には温かな人間関係があるように感じます。というか今回感想を書きながら整理をすることができました。投稿ありがとうございました。
お返事1
感想いただけると思ってなくて今とてもびっくりしました。
なんでしょう。とてもしっくり来ました
本当に欲しかったものが、やはり幼い頃自分に寄り添ってくれる”大人が”欲しかったこと(若い頃は認めたくても認めたくなかったんだと思います)友達も必要ですが友達じゃなくて
まず安心感も肯定もしてくれる。存在がほしくて
たまらなくそれの埋め方がわからないから、さみしかったんだ。
そして安全基地という言葉!調べると私はこれだと思います。調べたところに引用となりますが【他者に共感できるようになると、全部か無かの極端な思考が軽減されていきます。】
これはとても共感します。昔の私は距離感がわからない為、友達も彼氏も近すぎて0か100の世界しかなかったんです。その為人間関係の失敗もよくしました。無茶苦茶すぐ親友になる人とかいませんか?でもすぐ離れる人、私の今までの世界は大好きか大嫌いかしかありません。
だからすぐ人を嫌いになりました嫌いを作ると好きが輝くから。そしてなんの理由もないのに、自分はそういう人間だと決めつけていました。
そして大人になって自分にとって安全基地は死にトリさんのおっしゃる通りで私にとって夫であると改めておもいました。
夫は優しいです、前回も書きましたが”普通”です。そしてこれは普通になりたかった私の本当に憧れた”普通”です。的外れなんてとんでもない
この人生を振り返り過去の恋愛だったり
改めてあの頃の自分も今の自分もどんな人が
私の好きな人でいてほしかったのかを考えたときに本当に欲しいものは華やかな見た目でも
お金や見栄見掛け倒しでも、凄い流行りのものでもなくて、依存の押し付けもないどんな時も思えばいつだって肯定してくれて傍にいてくれる人がほしかった。
そっかこれが欲しかったんだって思いました。
そして働いて生活で色んな思いを知って
悔しくも楽しくも色んなことが起きても、この安全基地にはがあるというなんでもないこれがきっと私がほしかった普通なんです!
と自覚しました。笑
その為いつかまた投稿できるときは
あの時のなれてるかな?ではなく言い切りになってるはずです。
これが、きっと大丈夫とおもえました。
まだ大丈夫!はすぐに出来なくても
安心感も胸を張ることもすぐにできなくても
少しずつ頼り頼られ支えあい信頼できるもの
感想1
殴られた子どもの人生がどんな道のりになるのか。なぐられた時点で、いわゆる普通の人生とは違う道への扉が開く気がしています。しばらく(無理をしながら)普通の人生を歩んでいたとしても、やはり途中で違う道に続く扉があるように思うのです(※私は普通という言葉を使うことに細心の注意を払うほうですが、今回は投稿者さんから刺激をうけて、あえて普通という言葉をサラリと使うことにします)。投稿者さんは「愛されたい願望が強い私」の扉を開けて、試行錯誤しながら今日までその道を歩んできただろうと感じました。敬意を表したいです。
塾や学校の出来ごとについてですが、殴られたことと同時に、投稿者さんの気持ちに耳を傾けてくれる大人が傍にいなかったのではないかと想像しました。先生や親は投稿者さんの気持ちを聞いてくれたのでしょうか。先生や親は何かを投稿者さんに伝えたかったのだと思うのですが、殴ったり泣いたりする以外の方法を選択してほしかったなぁと思いました。誰かに気持ちを伝えるときに殴るという方法は避けるべきと思います(私は○○すべきという言葉を使うことに細心の注意を払うほうですが、今回はサラリと使わせてください)。
そうだ。安全基地という言葉を聞いたことがありますか?ざっくり説明してみると、困ったり失敗したりしたときに、その人の元に戻れば心身ともに癒されて、また普通の道でやっていくことができるという意味です。子どものときに安全基地となる大人の存在があったか否かが普通の道を歩めるかどうかに影響するということなかぁと私は理解しています。人間関係の中で、困ったり傷ついたりしたとしても、安全基地に戻って、その大人の元でエネルギーチャージして普通の道を歩んで、失敗したら安全基地に戻ってメンテナンスして・・・そうやって成長した子どもはいい感じに普通の人に仕上がるようです。いい感じというのは、いろんな意味があると思うのですが、例えば、恋愛の場面で、自分を大切にしてくれる相手が誰なのかを見極めることができて、自分を傷つける相手や自分から何かを搾取する相手を避けることができるスキルもその一つです。
投稿者さんの近況をうかがって気がついたのですが、もしかすると夫さんは投稿者さんの安全基地ですか?投稿者さんの日常はいわゆる普通っぽいと感じたものですから。この先も困ったり傷ついたりすることがあるかもしれません。でも安全基地がある限り、普通の人生を歩める確立が高いのではないかと思います。最終的には、自分の心を自分でケアできるレベルになるとかなり生きやすくなることを申し添えます。自分の心を自分でケアできる人は生活費に困っている確率が低く、周囲には温かな人間関係があるように感じます。というか今回感想を書きながら整理をすることができました。投稿ありがとうございました。