経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

あんたはあかんなあ

現在57歳です。小さい時から「あんたはあかんなあ」と言われ続けてきました。2つ上の姉は大変元気で勉強もスポーツも万能。それに比べて私は体も弱く取り柄なし…。「お姉ちゃんはよう出来るのになあ、あかんなあ。」学校の先生から幾度も言われた言葉です。小さい頃からあまり友達もいません。 家で鶴を折るのが好きで小さな鶴を折っては並べてながめていました。そんな私に父は「鶴折る位しかできない、姉ちゃんに比べたらお前はなんの取り柄もないあかん子や」と言いました。以来鶴を折るのを一切やめてしまいました。家でも言いたい事も言わず、気持ちに蓋をしていました。高校入学の頃、とにかく人が気に入る事をしようと心掛けました。そうする事で褒めてもらえる、役に立つ事が出来る=「あかん子」ではなくなる…と思えたのです。

仕事でも役に立つとほっとします。そんな中母を引き取り介護していましたが4年前、母は心不全で亡くなりました。大好きな母でしたが母は姉に私の愚痴(一緒にいると息が詰まる等)を話していたそうです。それを聞いてまた自分が「あかん子」になったようで、私が介護してたから母は亡くなったのかと責めてしまいます。。辛いです。

仕事も長く勤めた会社が行き詰り転職しましたが、新しい職場は仕事内容も人間関係も辛い事ばかりです。その職場もコロナで今月末までになりました。4月からの仕事は見つかりましたが、前より給料は減り、通勤も遠くいので気が重いです。持病ある為副職もできずです。あまり預貯金もなく、定年と言われる60歳以後も希望が持てず生きているのが辛いです。

感想1

タイトルにも文章中にも出てくる、「あんたはあかんなあ」という言葉が投稿者さんの心にずっと刻まれている言葉なのだろうなと思いながら読んでいました。お姉さんと比べられたり、自分を否定されるような言葉をずっと浴び続けてきたこと、そのような環境で過ごすのには人が気に入ることをしようと心がけるのは生き抜く術でしょうし、役に立つことが自分の存在価値に繋げてしまうのは自然なことのように私は感じました。
きっとこれまで「あかん子」ではなくなるために色々と自分を犠牲にして過ごしてきたのかなと想像しています。そんな中でお母さんが亡くなり、投稿者さんの愚痴をお姉さんに話しているという事実を突きつけられたことは、ショックもかなり大きかったのではないでしょうか。それでもお母さんを「大好きな母」と表現しているのは投稿者さんの本当の気持ちであるということが伝わってきます。お母さんを介護し、最後まで看取ったこと、大変なこともたくさんあったかもしれませんし、ここには詳しく書かれていないのですが、投稿者さんがお母さんに尽くしてきた時間も労力も“自分だからできたこと”と胸を張ってもいいと私は勝手ながら思うのでした。
今は仕事のことや金銭的なことでも悩んでいるということで、すぐに現状どうにかなるというのは難しいかもしれませんが、これまで抱えてきた気持ち含めこの先のことをSNS相談(無料・匿名で相談できるところがあります)で話して整理をしたり、またいつでも死にトリに投稿者さんの思いや考えを届てほしいなと思っています。経験談の投稿ありがとうございました。

感想2

長い年月を経ても、子どものころに言われた言葉が残り、その言葉から感じ取れるメッセージが刻まれ今も残っていることが伝わってきました。一見、その言葉の重みや存在の影響がそれだけ強かったのだろうと想像したのですが、ひょっとしたらあなたが経験談には書かれていないほかのこともたくさんあったのではないかと思っています。鶴を折っていたことへのまなざしにも感じましたが、あなたは周囲の大人から評価されるだけで、話を聞いてもらったり、存在を認めてもらったり、受け入れられた実感を得るような経験が少なかったのではないかと思いめぐらせています。経験談全体から私が聞こえた心の声は、「私はここにいる。私はどうすればいいの。どうしたら認められるの、わからない」という幼い子どもの言葉にできない願いのような気がしています(違っていたらすみません)。
私はその幼い子どもの願いに対して、心から、あなたはあなたのままでいいと思うし、誰かによって一方的に「あかん子」というジャッジをされる筋合いはないんだよ、と声をかけたくなっています。鶴をたくさん折り、並べている子どものあなたの姿を想像し、ほほえましく感じ、一緒に鶴を折り、一緒に並べたいと思いました。
今は生活のために辛くても働かなければならない状況で、ゆっくりする余裕がないかもしれません。でも、私は鶴が好きな子ども時代の姿を想像し、自分なりに好きなことや没頭できることを見つけられる感性や個性がある方だと感じました。どうか自分を信じてあなたらしい時間を今からでも過ごせることを願っています。
一人でつらい時には(つらくない時でもいいのですが)、また死にトリにも来てくれたら嬉しいです。

一覧へ戻る