経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

あれから

以前このサイトで経験談を書かさせて頂いた者です。お久しぶりです、そしてはじめましての方ははじめまして。

あれから月日が経ち毎日をギリギリアウトとセーフの間で生きています。(主に金銭面です)

そんな日々の中でぼくはとあるサイトでADHDやらアスペルガーやらのアンケートがあったので試しにアンケートに参加し、結果ADHDの可能性が高いと表示されました。無論、正式に医師に診断を受けたわけではないのではっきりと確定したわけではありませんが、自分の昔のことを思い返してみると確かにその兆候が出てると自分で納得しました。

例えば学校で夏休みの宿題を面倒くさい、他にやりたいことを優先させて全然提出できなかったり、学校の行事で先生の指示に従わず勝手なことをやってその行事に参加させて貰えなかったり、成人して働き出してみれば、指示されたことでも作業が遅れたり、分からないことがあれば自分で判断して作業をすすめた結果、裏目に出て注意されるとか思い出すときりがありませんが確かに普通の人が普通にできるのに僕は全然出来なかったり完成するのが遅かったりとおう事例が枚挙にいとまがありません。

上記のアンケート結果が出た時点ですぐにでも医師と相談すればいいと理解しているですが大人のADHDの診療をやっているクリニックが少なかったり時間が合わなかったりそもそもお金が持ち合わせてなかったりするので自分で解決したくてもできないもどかしい状態にいます。

以前よりかは死にたいという気持ちは若干薄くはなってきていますが自分以外の奴は自分より不幸になればいい破滅しろ!!と思考が自死を思うよりも他者への転嫁が目立ってきました。

そのくせ孤独感、疎外感は当たり前のように持っています。自分はやはり生きていてもいいのだろうかと頭を抱えています。

お目汚し失礼いたしました。

感想1

再度経験談を投稿してくださりありがとうございます。こうして時々でも近況を教えてもらえるのは個人的に嬉しく感じますし、死にトリとしての役割について改めて考える機会になるなと感じています。以前、投稿してくださってからギリギリアウトとセーフの間で生きているということで、日々安定しているというわけではなさそうですが、何とか自分の力で保ちながらやり過ごしているのかなと想像しています。
ご自身のことを知る機会があり、思い当たる過去の出来事を書いてくれていましたが、集団生活で過ごす中では生きづらさをたくさん感じてきたでしょうし、人との関わりでも上手くいかないことが多かったのではないかなと感じました。また、自分だけができないことを突き付けられる(嫌でも周囲と比較されたり、自分でも周囲との違いを実感することも多かったと想像していました)ことでどんどん自信を無くしてしまったり、卑屈に思ってしまうこともあったのではないでしょうか。(違っていたらすみません)
まだ確定ではないにしても、これまでのことが自分が悪いわけではなくもしかしたらADHDの特性によるものかもしれないと知った時、投稿者さんはどのような気持ちになったのか気になりました。(納得はいったようですがそれ以外にもしあれば)
金銭面のことで不安も大きいのかなと感じますし、死にトリで何か手助けできそうなところや人を探すお手伝いができるかもしれないので何かあった時は連絡をもらえたらなと思います。死にたい気持ちが若干薄くなっているとはいえど、そう簡単に消えるものでもないと思うので、自分の気持ちを外に出すことで多少気持ちが変わるのであればまた投稿者さんの声を届けてほしいです。いつでも死にトリに参加してくださいね。お待ちしています。

感想2

経験談をまた書いて送ってくれたとのこと、このサイトを活用してもらえて嬉しいです。全体的に明るい口調の表現なので、勝手に明るい人柄を想像していましたが、経済的にギリギリアウトとセーフの間で生きていることや仕事での失敗の話をきくと、日々苦労しているのだろうと思います。今回、セルフチェックでADHDの要素が高そうだと気づいたようですが、私は個人的に医師からの正式な診断よりも、自分の特徴や傾向などが具体的に理解できて、それを周囲の人たちと共有できることが大切なのではないかと思っています。そのプロセスの一つに医療機関からの正式な診断も一つの要素としてあるのだろうと思います。
だから、あなたがこれまでの経験の中で気づいていることや感じていることがとても大切な理解のための材料だと感じました。そして、自分自身のことを客観的に捉えていることも印象的でした。最近は死にたい気持ちが薄れているけれど、他者に向かう気持ちが大きくなっていることや、一方では孤独感や疎外感があることなど、そう感じてしまうことはどうにもならないことだろうと思いますし、率直にとらえて自覚できていることがとても大切で、その気持ちを誰かと共有することが、行動化や感情の爆発を抑制する効果になるのではないかと考えています。
死にトリはそうしたことを共有できる場でありたいと思っています。また、今後も気づくことがあったら教えてもらいたいと思います。

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