経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

愛着障害と発達障害

私が初めて死にたいと思ったのは、推定2歳。死ぬとは眠ったまま起きないことだと母に教えられたとき。
就寝中は父に叩かれないから、本気で死にたかった。それを言うと母は笑った。

下の子が生まれてから、赤ちゃんが泣く度に私は父に叩かれた。
父曰く「赤ちゃんが泣くのは私がいじめたということだ」と。意味が分からず質問すると更に叩かれた。
絵本を見ているときにそれが起こると、それ以降絵本を見るのを止めた。積み木で遊んでいるときなら積み木を触らなくなった。
この積み重ねで、私は何もできなくなった。母に話しても「そんなことで怒らない」と否定された。

4歳頃、母に私を産んだ理由を聞いた。
母「産もうと思わなくても勝手に出てきたのよ」
私「すぐ殺せばよかったのに」
母「殺したら警察に捕まるじゃない」
私「私が自分で死んだら捕まらない?」
母「捕まらないよ」
私「どうやったら死ぬ?」
母は首の吊り方を教えてくれた。
私は手頃な場所を見つけては母に話したが、「低すぎる」「もっと頑丈な場所じゃないと」とダメ出しされた。
やっと母の了解が出たので、幼稚園のうんていに縄跳びを掛けて首を吊ろうとしたら先生に止められた。
帰宅後、母に話したら「先生が死体片付けなきゃいけないから迷惑よ」と言われた。

それ以来、迷惑かけずに死ぬ方法を考えては母に相談したが、全て「迷惑よ」と。
小5で臓器売買を知り、お金ももらえて母が喜ぶと自信あったが、やはり「捕まるからダメ」と言われた。

小学校入学直後から、クラスの子にイジメられた。両親にされていることを私もするから嫌われて当然だ。
加えて両親が私の同級生にも不適切な発言をするので、私は更にみんなに責められた。その都度両親に苦情を言っても聞き流され、不適切な発言は続いた。

4年生の秋、主犯格のAちゃんが母に直接苦情を言いに来た。母は初めてイジメに気付き、学校とAちゃんの親にイジメを訴えた。
あからさまなイジメはなくなったが、クラス内でのカーストは変わらなかった。

その後父の仕事の都合で引っ越し、私の人間関係は家族以外リセットされた。
それ以降イジメられてないが、友達や彼ができても表面的な付き合いしかできない。

私は、母も父の被害者だと思っていた。
母に何度も離婚してと頼んだが、毎回「お金稼ぐ人がいなくなるじゃない」と言われた。
4年生頃、同級生の父親が仕事中に亡くなり保険金をもらっていると知ったとき、父殺害を母に提案した。母は「バレて捕まるからお金もらえないよ」と笑った。

幼少期から父に「いい大学に行って親孝行しろ」と言われていた。
父が満足するレベルの大学に進学し、遠方のため独り暮らしした。
その時初めて自宅でリラックスすることを経験した。

当時の彼に父の愚痴を話したら、彼は泣いてくれた。彼に言われて初めて虐待だと知った。
社会人になり、その彼と結婚の話を始めて数か月後、突然別れを告げられた。理由は「自分には虐待の影響を受け止める器がないし覚悟もできない」と。
彼は円形脱毛症になっていた。相当悩んだんだと思う。
私は危うく父と同じになるところだった。母を見て結婚・出産で不幸になると思っていたので、しないと決めて少し気が楽になった。

私は帰省の度に、両親の言動がいかに不適切だったか母に話した。
母は笑うか、否定するか、逆ギレするかで、話し合いはできなかった。

30代になり、父も親から愛情を受けてないことがわかった。
そして父が病気になり、私を頼ってきた。私の存在価値を初めて父に認められたような気がした。
このとき、父は嫌いな人からどうでもいい人になった。
同じ頃、母は父に逆らえないとはいえ、私を守ろうとか味方になろうとか1回も思わなかったのかと疑問が出てきた。
母に聞いても事実を否定され、疑問は残ったまま。

40代になったあるとき、母は私のことを「すごくかわいがられて育った」と言った。
私にとって嫌な出来事を母は楽しい出来事として記憶していた。
虐待被害も自殺未遂も、離婚を頼んだことも母は覚えてなかった。
両親の言動でイジメが酷くなったことも覚えておらず、母は自分がイジメを解決したと思っていた。

私の不幸は9割父のせいだと思って育ったが、母の要因も大きかったようだ。
そういえば、母はいろんな人に注意されたり怒られたり白い目で見られたりしていた。
私はずっと、母は私を嫌いだから私の不幸を楽しんでいると思っていた。でも実際は、私が不幸なことに気付いておらず、私を嫌いなのではなく無関心だった。
このとき初めて、母にされたことも虐待だと気づいた。

おそらく母はASD(自閉症スペクトラム障害)。診断は受けてないが、ASDなら全て説明がつく。
そしてASDなら母は変わらないし、それは母のせいではない。

私に自殺願望があることを数年前に母が知ってから、心配しているつもりの的外れなメールを送ってくるようになった。
最初は私の思いを返信していたが、母が何も理解してない現実を毎回突きつけられて辛かった。
私が何も感じなくなるしかないと思って我慢したが、もう限界。半年前「私をこれ以上苦しめる気がないなら連絡しないで」と母に伝えた。
母からの連絡はないが、私は辛いまま。

2歳頃?そういえば母に「誰もあんたなんかいらないよ」と言われた。
今度は私がその言葉を返せばいいんだろうか?

感想1

物心ついたときからずっと死を意識して育ってきたこれまでだったのですね。
母とあなたとのやり取りに不思議な感覚を覚えながら読みましたが、それは母の特性も大きく関係していることが後半でわかって、なるほどと心の中でつぶやきました。あなたと母とで交わした死についての対話が書かれていましたが、日常的な生活でのやり取りはどんな感じだったのでしょう。小学校、大学、そして社会人の頃のエピソードも書かれていましたが、その間、あなたは両親との関係を絶たず、ずっとやり取りをしてきたことについて私は色々考えを巡らせました。あなたは死を考える機会が多い生活の中でも自分自身の意思や考えを手離さず、見失わず、どこか現状を受け入れながら生きてきた印象を私は受けましたがどうでしょうか。あなたと母はずいぶん見えていた世界がズレていて、ここまで母側のストーリーがあなたと違うのか…と私は少し驚きました。しかしそれも母の特性故なのかもしれないと理解されているんですね。ただ、理解してもあなたの辛さが変わることがないことは本当にその通りだと思います。
「私をこれ以上苦しめる気がないなら連絡しないで」そう母に返した言葉がすごく印象に残りました。「これ以上心配する気がない」のではなく「これ以上苦しめる気がない」そう表現されたのは、これまで自分を苦しめてきたように関わるならまだ我慢もできるけれど、心配しているかのような関わりによって余計に理解されていないことが明らかになるくらいなら辛くて我慢できない…そんな心境だったのかなと私は想像しました。(何度も考えてみた私の解釈ですが、違うかもしれません)しかし、母から連絡が来なくなったから楽になった訳ではなく辛いままだというところが、あなたの心の核心部分のようにも私は感じました。あなたのことを理解しているひとはいま周りにいるでしょうか。タイトルにあった愛着障害についてはもう少しあなたに聴いてみたいと思いました。死にトリでは経験談の他にも「とりコミュ」というコンテンツあります。なかなか誰にも話せないことについて深めたり、気持ちを一時的に置いていけたりするかもしれません。よかったらまた死にトリに参加してください。
「とりコミュ」https://shinitori.net/bbs/

感想2

独特の雰囲気で展開する文章だなぁと思いながら読みました。推定2歳、4歳という幼い頃の記憶は子どもの目線から描かれた映画のシーンのように流れ、主人公の子どもの問いかけに対して、母親の顔がアップになり、想像もできないようなセリフを返してくる。そんな映画を観ているような気持ちになりました。父親は映画には姿を現さず、近づいてくる人影と手などが現れるようなシーンを想像していました。
でも、それは映画ではなく、あなた自身の経験であり、何十年たっても消えない記憶として残っているのでしょう。その記憶はずっと変わらないものなのか、ある日突然思い出されるのか、繰り返し繰り返し思い出されるのでしょうか。今回、こうして経験を書いてみて何か気づいたことや変わったことはあるのだろうか、聞いてみたいと思いました。
読んで、自分の経験の意味付けや整理をしているように感じました。私たちの経験したことは、起こった事実は変わりませんが、意味や解釈は変わります。変わることのない事実もまた、過ぎてしまうと記憶としてしか残らないため何が事実なのかもよくわからなくなります。そう考えると、私たちの経験したことは、記憶と意味づけ、解釈によってできているんだなぁと改めて感じました。脳裏に残った記憶が簡単にそうさせてくれないこともあるかもしれませんが、子どもの頃の不可解で、苦しかった(経験談を読む限り、苦しさやつらさは抑圧しているように感じました)経験について、今のあなた自身が納得できるように、気持ちが少しでも収まるような意味付けや解釈をしてほしいし、その意味付けや解釈を120パーセント支持したいと思います。
私があなたの経験談を読んで想像した映画はまだ途中です。これから先の展開も結末もこれからあなた自身が創造できます。続きは一人ではなく、一緒に考えませんか。返信を読んだり、死にトリのほかのコンテンツを利用したり、死にトリに参加することであなたのストーリーの続きはどうなるでしょうか。
書いて送ってくれたので、経験は共有されました。迷いながら考えながら書いてくれたので、私たちにも考えるきっかけや想像をもたらしてくれました。
最近、いろいろな人の経験を見聞きして、「愛着」とは何なのか?考えることが多くなりました。そんなことも一緒に考えてみたいと思いました。
これからも死にトリに参加してくれたらうれしいです。
投稿、ありがとうございました。

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