何を書いたらよいのか。何から書けばよいのか…私の人生はこれまでもこれからも永かった。
幼少期、両親からの身体の虐待、性的虐待。当時受けた虐待と感じた事を書き起こせば、分厚い本が出来上がり、私はフラッシュバックに苦しむだろう。
簡単に書いてしまえば漫画のような、ドラマのような虐待という名の行為がフルコンプリート。なぜ当時事件にならなかったのか、答えは私が両親を庇ってしまったためである。事件にしなかったことを25超えて後悔した。その頃にはすべての行為が時効となっていた。
普通という枠に囚われて、結婚も子も成した。けれども心の穴は埋まらなかった。子に申し訳ないと思っている。離婚も経験してしまい、子にも同じ苦しみと寂しさを感じさせてしまったかも知れない。母親がこの様な人間で申し訳ない。
ただひとつ言えるのは、私は両親のような行為は一切していない。そうなる前に、子がある程度の理解ができる年齢まで見守ってきた。それだけが唯一、私の中で間違っていない行為だと思っている。エゴかも知れないけれど。
決別してからも心の穴は拡がるばかりで、埋めたと思ったら別のところから拡がっていく。人を信用することすら未だに難しい。感覚が他の人と違い過ぎて、神経がボロボロと消耗されていく。
今のパートナーは私に理解のある人だけれど、その人を信用することも、まだ難しい。ちょっとした言葉で傷付き感情が乱れ、苦しみ泣き叫ぶ。イヤイヤ期の子供みたいで、自分自身に嫌悪する。何事も中途半端で、パートすら出来ない。人権など当の昔に失ったと思っているので、尚の事つらいのだと思う。
虐待された当時、あの時あの瞬間に…死ねればよかったのにとまだ考える。殺してくれと頼んだのにと怒りが込み上げる。
多分私がこういう考えから抜け出す事は、とても難しいと思う。主治医もそう言っていた。なので、早めにこの人生からリタイアしたいが…まだ先は永いと思う。そう思うと、心の底から当時の怒り悲しみ苦しみ、すべての感情がむき出しになってしまう。
ああ、早く終わってしまえばよいのに。両親を殺してしまえればよいのに、と願うことしか出来ない。
こういう上辺の言葉であれば、私も幾分か楽に話せる。が、こういう上辺の言葉の経験談なぞ、誰にも理解されないだろうし世の中も変えていけない、変わらない。誰の心にも届かないだろう。
それでいい。私の苦しみは私のもので、ダレカのものでは無い。理解しろとも思わないし理解して欲しくもない。役に立たなくてもいい。吐き出したかった…それだけです。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。何をどこからどのように書くか悩みながら、でもしっかりと自分の言葉で書いているのだなと感じながら読ませてもらいました。虐待を受けていた当時両親を庇っていたとあり、その時の心境はきっととても複雑で迷いながら苦しさに一人で闘っている姿を勝手ながら想像していました。後悔の念が今も投稿者さんを死にたい気持ちにさせる一つのように感じますし、「両親を殺してしまえればいいのに」と思うのもこれまでされてきたことを考えると自然な感情のように私は思えました。
今はご自身が親の立場となり、両親のような行為は一切していないことはそれだけ両親のようにはならないと強く思っている(自分と同じような思いをさせないためのもの)からだと思いますし、自分にされてきたことを子にも同じようにしてしまって苦しんでいる方もたくさんいると思うので、それをしないようにしてきたのある意味、投稿者さんの強さでもあるのではないかなと感じます。
パートナーとのことも書いてくれていましたが、過ごしてきた環境を考えると人を信用すること、安心して誰かと関わりを持つという感覚の土台を積み重ねることができなかった(奪われてきてしまった)と想像しますし、「ちょっとした言葉で傷付き感情が乱れ、苦しみ泣き叫ぶ。」行為は自己嫌悪にもなりますし、しんどいことかもしれませんが今まで抑圧してきた(されてきた)感情を表に出すことは悪いことではないですしむしろ正しい反応なのではないでしょうか。溜め込めば良いというものではないと私は感じるので、深くは話さなくてもここに書いてくれたように今まで溜め込んできた投稿者さんの気持ちをこの投稿をきっかけに少しずつ、自分の外に出せると良いなと勝手ながら思っています。そしてタイトルにもあるサバイバーの人生の”永さ”についてや、とても難しいことなのかもしれませんが今の考えから抜け出すために必要なことのヒントとなるようなものを機会があれば一緒に考えたいなと思いました。また良ければ死にトリに投稿者さんの声を届けてほしいです。