「この世界でお前のような性格の女がいちばん嫌いだ」
小学校3年生の頃に父が私に言った言葉。
私は覚えていなかったが、母親がわざわざ私に教えたのだ。夫婦の不仲の腹いせに。
「隣の若いコを見てちんちんしごいたって言ったんだ」
深夜の夫婦喧嘩でたまらず起きてきた私を見るなり母が父に言った言葉。
直後、母はとても意地の悪い笑みを父に向けていた。
父は生い立ちではないところが特殊なタイプで、一度言い出すと絶対に曲げない、し、意見を述べる者には容赦なく言葉のナイフで人格を抉る。
そのナイフは複雑な生い立ちの母を追い詰め、母は精神を病んだ。
10年も機能不全をそばで見続け、聞きたくもないことを聞き続け、毎夜両親の怒号で眠れないのに寝ろ、と強制され、10代半ばになるまでに私はすっかり自己肯定感や希望、結婚願望などを失くしていた。
その頃からすでに独立願望があり、希死念慮があり、私は必死だった。
裕福ではない家庭の事情もあって、高校卒業時には奨学金と自分で2年半貯めたアルバイト代70万を合わせて専門学校へ進学した。
進学はできても、世の中は甘くない。
教材に金を出せないから、成績は上げられない。成績が上がらないから、就職もできない。
20歳で専門学校を卒業、そしてまたアルバイトを始めた。
そのアルバイトではパワハラ・追い出しに遭い、自己肯定感はまたもやボロボロになった。
母には「お前は働いている男なら誰でもいいんだ、男に媚びているんだ」と根拠のよくわからない心外な一言を言われた。
紆余曲折あり、やっと掴んだやりたい仕事、しかも正社員、自立への道ももうすぐ開ける…そんな25歳の束の間の時間も、謂れのない誹謗中傷によって失った。
いくつかの仕事を経て今、32歳の私。
以前よりはマトモで、自分で言うが見た目もそこそこ、恋愛や結婚についても少しは願望がある。
でも。
母は私に言う。
「結婚はいい時だけじゃないから、いい時はそれでいいけど、あんたに務まると思えない」
私の幸せは願ってもくれないのか。
落胆のような、わかりきっていたことのような、なんとも言えない複雑な気持ちがした。
私は幸か不幸か、手前味噌だが目立つ容姿をしている。
だから、すぐに男性に言い寄られる。
玉石混合、犯罪まがいのものからまともなものまで。
でも誰も私の内面は見てくれない。
わかっているから、私はすぐに寝たりはしない。
32歳のついこの間まで生娘だった。
そして、唯一身体を許した人には、付き合うこともなく振られた。
前は向く。自分のために。
今までもこれからも、グレたり自分を傷つけたりして気にかけてもらえるような、ある意味甘くて優しい世界は私にはない。
そのうち良いことがある、とは無責任すぎて言えない。
だが自分の本能を理性で凌駕できない限り、生きていくしかない。
積み上げた石を崩されても、また積み上げていくしかないのだ。
いつか救われたと思える、その日まで。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
賽の河原
感想2
両親の夫婦喧嘩について読み、思慮に欠けているという点では未熟な子ども同士の喧嘩のようだけれど、大人になってしまっているから、子どもより「器用」に相手の人格をナイフで刺せるのだなと思いました。その近くに居続けたあなたが受ける、心の傷の深さは想像に難くありません。
自立して生きようと必死に努力しても、さまざまな理不尽な攻撃に遭って、報われない思いが伝わってきました。しかし、それでも今、自分のために前を向く意思を持たれていることを知り、その勇気というかパワーはどうやって生みだされたのだろうと気になっています。自分を攻撃してきた人たちと同じレベルには落ちるまいと、反面教師にしてこられたのかな、など想像しました。
以前よりはマトモになったと書かれていましたが、私には、以前のあなたもマトモだったのではないかと思えました。ただ、否定の言葉を受けて、自分がマトモではないような気持ちにさせられていたのかなぁと…。
ご自身の思う幸せや自立にむけて歩まれるのも、一つのすてきな生き方だと思いました。ただ、そのことに必死になりすぎると、かえって気が休まらないかもしれないな、と少し心配です。あなたにとってのちょうどいいバランスが見つかるといいのかなぁと勝手ながら考えていました。
感想1
私には、後半の「積み上げた石を崩されても、また積み上げていくしかないのだ」という文章が印象的でした。何も知らずにこの一文だけを読むと前向きな文章にも読めてしまいますが、タイトルが「賽の河原」であることや投稿者さんの育った環境や仕事でのパワハラなど厳しい現実を経験してきていることを考えると、私には、賽の河原の子どものように強制的にしなければならないことへのあきらめのような気持ちも入っているように感じられました(違っていたらごめんなさい)。
そして、賽の河原が思い浮かぶ投稿者さんの発想力に感心してしまいました。たしかに、社会の中では置かれた環境で生きるしかなく、時に努力も理不尽に潰されることもあり、それでもまた生きていかなければならない。そんな賽の河原で石を積み続けるような側面があるように私も思いました。
そして、積んだ石に文句をつけて崩してしまう鬼がいなければ。むしろ石を積むのを手伝ってくれたらいいのにと私は考えてしまいました。何のために鬼は石を崩すのか、どうしたら鬼は石を崩さないのかなど考えたくなってしまいました。
そのような発想で社会を考える機会をくれた投稿者さんに感謝します。投稿してくれてありがとうございます。
また、子どもの頃から男女の嫌な面に巻き込まれ見せ続けられてきたこと、毎夜の怒号や否定によって、投稿者さんが感情よりも理性を強くしなければ生きてこられなかったように私は感じました。感情は内面の奥に密閉しなければならなかったのではないかと想像しました。
理性も強みだと私は思いますが、感情が出づらくなっているとしたら人間関係や社会生活で無理をしなければならなかったりといった面での弱みにもなっていないかと想像してしまいました。
この経験談の投稿もそうですが、どこか投稿者さんが安心して内面も表現できたり話ができるところがあってもいいのかもしれないなと私は思いました。