経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

自分が嫌い

元々、新卒の正社員として働いていたが、企業が自分に合わず辞めた。その後は派遣としてなんとか働いている状態。
 自分のしたいこと、将来の目標のために貯金しないといけないけど、仕事のストレスで毎日散財をしてしまう。常に速くして!、頑張って!、遅い!と言われる環境。カウンセラーの先生にはHSPの傾向ありと診断されました。今の仕事はあっていないと思いつつも、正社員を休職・退職した時、両親に泣かれたり悲しまれたり心配されたりしたことを考えると自由に生きることもできない。現状を両親に相談したいけど、余計な心配をかけたくないので本格的な相談はできず、それっぽい悩みを言って「悩みを相談してくれた」という事実を作ってあげることくらいしかできない。派遣の契約期間の数ヶ月は会社をやめられないし、次は一旦アルバイトに切り替えたいけど、正社員をやめたときの両親の反応を考えると言うに言えないし、今から不安になる。自分の将来に向けてしたいこともあるけど、両親が自分の将来を心配してくれてる気持ちが自分に伝播して、自分の未来は大丈夫なんだろうかという気持ちが常につきまとう。そんなマイナスな気持ちがあるから何もやる気が起きず、何もうまくいく気がしない。仕事から帰ると頭と肩と足が重くて何もできる気がしない。自分はこんなに体力がないのかと悲しくなる。何かをわざと壊したり投げたり、人に暴言を吐きそうになったりする自分が嫌いになる。昔、嫌いだった短気でキレやすい人に自分が近づいている気がして怖い。いつか家族や近しい人にもそんなふうに話すようになると思いたくない。何もできず、結果も出せない自分に価値を見出だせず、自信が持てない。また、そんな無価値な自分を作り上げたのを自分のせいにしたくないからか、過去の悲しい記憶を無理やり呼び起こして、自分を可哀想と思おうとする。そんな自分が嫌い。
 正社員だった頃、両親に休職すると伝えた時、「集中もしないでダラダラ仕事してるんだろ、甘えるな」、「お前の市場価値はこれから下がっていくだけ、正社員は辞めるな」と責められた。事実だとは思うけど、それを実の親に言われるとは思わなかった。
 休職後の職場復帰の際は、親の意向で菓子折りを職場の人に配った。元々、同僚のいじめ染みた教育のせいで鬱になり休職したのに、「ご迷惑をおかけしました、私が悪かったです、申し訳ありません」と言いながら菓子折りを渡した時は苦しかった。休職期間中に親に急かされて免許を取りに行ったせいで、同僚にはズル休みした奴というレッテルを貼られ、余計に居心地が悪くなった。心配させないように、親には同僚と折り合いが悪いから休職したとは伝えなかったが、ここまで悪い結果を生むとは思わなかった。
 退職した時は、転職活動から役所での保険手続きまで全て私自身でしたことを知った時は、「困ったことがあるなら相談してほしかった」と言われた。休職した時の言葉がずっと嫌で自分一人で頑張ったのに、今更何を言っているんだと思った。怒りよりも呆れや戸惑いのほうが大きかった。
 今までは期待に応えるために勉強だけをしてきた。低い点数をとると、夕食の時に家族の雰囲気が悪くなり怖かった。頑張って90,95点を取っても、「どうしてここを間違えたの?」、「ここが正解なら〇点だったよね?」と言われたりもした。頑張った、疲れたと言うと、「それだけの成果は出していない」、「勉強すればいいだけの学生が偉そうに」とも言われた。友達もできなかった。それでも絶対にいい親だと思う。衣食住で困ったことはないし、優しいし心配もしてくれる。高齢なのに、良い学校に行かせるために朝から晩まで働いていた。上記のような発言も自分を心配してくれているから。はやく安心させてあげたい。自分にはもったいないくらい良い両親。ダメなのは結果を出せない自分だけだと思う。この文章を書いていると涙と腹痛がある。
 こんなネガティブな文章を書いてしまうのも自分が弱いからだと思う。自分を可哀想な境遇、生い立ちの人間なんだと思うことで、
今何もできていない、結果を出せない自分を正当化しようとしているんだと思う。でもこの文章が近しい人に見られたらと思うとそれも怖い。私の事なんかを心配してほしくない。辛いときもあるけど、大丈夫なときもあるから。なんとか頑張れるのは大切な人のおかげだから。世間の人たちは、辛いことがあってもなんとか折り合いをつけて生きている。でも自分にはそれができない。普通にできない。情けない。将来が怖い。楽に生きられない、楽しく生きられない。それは全部自分のせい。
 長文・乱文失礼いたしました。

感想1

最初にこの経験談の原稿を見たときに「速くして!」「頑張って!」「遅い!」という文字がパッと目に入って、その環境を想像しているだけでなんだか消耗してくる気持ちになっています。もちろん、そういう環境で自分の力を発揮するのが得意な人もいるのだと思いますが、世の中が速度と努力に固執するような傾向があるように感じる中で、疲れ果てている人も少なからずいると感じます。あなたにも、お疲れ様と声をかけたくなりました。できればあなたが安心して休める場所があるといいなと思いつつ、急かされ成果を求められるような日々の中では中々見つけるのは難しいのかもしれないと感じています。
それから、あなたの文章を最後まで読んで、あなたのせいではない、と言いたいと思いました。

あなた自身は、いま働いているところはあっていない職場だと感じつつ、両親のことを考えると辞めることも憚られる状況なのですね。文章を読んでいて、あなたの大切な家族なのだろうとは感じつつも、こ両親があなたのしんどさをかなり軽視してきているように感じていて、もう少し寄り添うように考えられないものだろうか…でも両親も「市場価値」とか「甘えてはいけない」という論理の中で頑張ってきたから、他のやり方を知らないのかもしれない……と勝手にいろいろ考えてしまいました。
あなたの両親を責めたいというよりも、世の中に蔓延する自己責任で解決すべき、というような論理に問題を感じています。
あなた自身は親からもらってきたと感じる部分があるからこそ、親の意見と違うことを考えることはいけないと感じているのかなと想像しました。個人的には、人間は親であろうと、関係性の中で多面的な存在で、100%いい/100 %悪いという判断は中々できない気がしています。私自身も、実家で暮らしていた頃は「親は学校に行かせてくれたし、自分は恵まれているのだから、親の意見が正しくて、私がダメなのが悪いんだ」という気持ちがとても強かったので(そして親の言うとおりにできないダメな自分は死ぬべきだと思っていたので)、なんとなくあなたの言葉を読みながら自分が重なる感じがして、勝手にいろいろ書いてしまいました。なんだか主張が強くなってしまったので、読んでいて負担に感じたらごめんなさい。

私は、人はモノじゃないので、市場価値なんてものでは決められない存在で、なにか強いもの(会社とか、親とか、あるいは世間とか……?)に選ばれるために、選ばれ続けるために生きる必要はないと思います。また、迷惑をかけてはいけないという論理も結果的に社会をより窮屈にさせているとも思います。と言っても、実際そういうことを会社でも周囲でも言われてしまうし、評価は押し付けられるし、自分自身もそう言われるならそうだろうと思ってしまう中で、綺麗事じゃん…という気持ちも私の中にもあり、どうしたらいいのか、困ってしまいます。

あなた自身の将来の目標にも、お金を貯めることが必要な中でどう近づいていいかわからなくなっている感じなのでしょうか。
私たちは学校でも家でも、よく折り合いをつけろと言われて、それを学んできたように思います。でもそれで消耗するような世の中に問題があるように思えてなりません。
ネガティブな気持ちもあなたの素直な感情だと思うし、それに蓋をしたりなかったことにする必要はないと思います。あなたの苦しさのすべてではないと思いますが、その一部を私はこの文章から教えてもらい、そうやって生き延びてきたあなたに、うまくいえないのですが……連帯したいというか、雑な表現かもしれないですが、あなたの味方でいたいなと感じています。だからといって私に特別な力もなにもないので、それでなにかが解決するわけでもないと思いますが……。
息がつまる日々なのかなと思いますが、あなたの心身が少しでも安らげるような逃げ場所があるといいなと思っています。投稿ありがとうございました。

感想2

とても強く自分を責めている気持ちが伝わってきました。読み進めるにつれ、あなたの中に居座る呪いの言葉の威力を感じました。自分を責める言葉は確かにあなた自身から出ている言葉ではありますが、あなたの中から出てきた言葉ではなく、自分よりも強い立場の人たちや私たちが生きる社会に根付いている価値観などによって、内在化された病巣のように思ってしまいました。そして、その病巣を手術で取り去ることができたのなら、あなたはどのような人なのかな?と考えました。おそらく、何事にも真面目に取り組み、周囲の人たちのことを気遣い、自分より他者のことを優先して考え、辛抱強い人柄なのだろうと想像しています。
あなた自身は確かに自分が悪いと思っているのだろうと思います。ただ、私はそうは思いませんでした。あなたは子ども時代から自分らしさを尊重される機会が少なく、理不尽に否定されることもあり、その状態を何とか耐え凌ごうとして、ダメージを蓄積していっただろうと私は思いました。また、大人になってからも自分に合った環境を得られなかったり、常に無理な適応を迫られて、追い詰められていったように思いました。それらはあなたのせいではないと思うのです。ただ、周囲の誰かのせいかと言われるとそう単純なことではないと思います。じゃあ、何のせいなのか?と私は考えました。そしてたどり着いたのは、今の社会に浸透している「誰もが画一的に標準的な成果を出すべきという何となくの暗黙の了解のせい」ととりあえず表現してみました。一人ひとり能力や得意不得意が違うのに、同じような成果を出せと求められるのは合理的なようで、実はとても非合理的な話だと私は思います。真面目に生きようとするあなたがこんなにも自信を失い絶望していることを見ても、妥当ではないと考えます。あなただけではなく、死にトリに訪れる多くの人たちもまた、同じように自分の力を発揮できずに、自己否定を強めています。私はそんな暗黙の了解はみんなで捨ててしまおう、変えてしまおうよと言いたい気持ちになります。
そう私が思えるのも、こうしてあなたのように現実を教えてくれる人がいるからだと思います。これまで、周囲に迷惑をかけまいと一人で抱えてきた気持ちをこうして書いて届けてくれたから、問題意識を再確認し、このままではいけないと思うことができます。
最後にパワーレスという言葉をお伝えしたくなりました。長い期間にわたり暴力を受けたり、否定されるような環境にいると人は本来持っている力が奪われてしまい、どう感じるか何が望みなのかなど、自分の気持ちや考えがわからなくなってしまうというものです。ただ、あなたにはこうして気持ちを届ける力があります。少しでも穏やかに過ごせる環境に近づいて、本来持っている力を取り戻せることを願っています。死にトリがそのプロセスに役立ちそうなら、いつでも訪れてください。待っています。

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