経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

生まれつきの性格のせいで

社会人1年目の24歳男です。
私は物質的・経済的には恵まれた家庭に生まれてきたと思います。
奨学金を借りることなく私立の高校、大学に行かせてくれましたし、今まで真剣にお金で困ったことは一度もありません。
また、いじめられたり両親が離婚したりといったこともありません。
客観的に見たら恵まれた環境で育ってきたのだと思います。

でも中学生になってから今に至るまで、ずっと産まれてこない方が良かったと思い続けています。何度か自殺未遂もしました。
理由は、自分の性格(生まれつきの資質)が学校や社会で求められるものとうまく馴染めず、ずっと苦しい思いをしてきたからです。そのため広い意味で他者からの承認を得られず、自分に価値(肯定感)を見出せません。

私はHSPや神経症性(不安症、悩みがち、傷つきやすい、動揺しやすい等のネガティブな感情を経験しやすい資質)に強く当てはまる人です。
そのため中学・高校では勉強ができませんでした。周りの影響を受けやすく、すぐに疲れてしまうため集中力がどうしても続かず、また完璧主義なためテストまでに出題範囲の勉強を出来そうにないと思うと完全に放棄することもありました。
また大学では内向的で気が弱い性格のため友達や恋人も1人もできず、孤独な学生生活を送って来ました。
最初は、楽しい大学生活を送りたかったので頑張って仲良くなれそうな人にこっちから声をかけたり遊びに誘ったりもしましたが、向こうから声をかけたり誘ったりしてくれることは殆どなかったです。
何気ない言葉や態度ですぐ傷ついたり、他人との対立や衝突がとても苦手なため自分より他人を優先しがちで素の自分が出せず、表面的な関係で終わってしまうこともよくありました。
そして今は社会人1年目ですが、ちょっとした上司からのお叱りで深く落ち込んでしまったり、急な対応を求められると挙動不審になって軽いパニックになったり、お客さんの感情に左右されて上手な対応が出来なかったりと悩み事ばかりです。

結局、勉強も仕事も出来ず、友達恋人もできていない人生を送っています。
ずっと劣等感、孤独感、抑鬱感、不安感、空虚感といった感情ばかりを経験してきた人生でした。
そして「自分がどう思うか」より「他人にどう思われるか」を気にしてしまう性格のため、自分というものがなく、どうなりたいのか、本当は何がしたいのかと言ったことが自分でもよく分かりません。
最初は自分の努力不足に原因があると思っていましたが今までの人生経験と本などの知識から、こうなったのはやはり「生まれつきの性格(気質)」に大きな要因があると確信しています。
でも生まれつきのものは変えることが出来ません(変える努力は何度もしてきたつもりです)。
だとしたらこれから今までと同じような人生がずっと続くのかと思うと本当に苦しいです。
自殺できればいいのですが、実際自殺未遂をした時、体は無条件に生きたがるので本気で死ぬのは相当追い込まれていないと出来ないことを体感しました。
そのため生きることも死ぬこともできず、でもどうすればいいのか分からないといった状況がずっと続いています。
「他人と比べない」と言うのも分かりますが、毎日社会で暮らす以上、実際の日常では大なり小なり他者からの承認がないと自分を肯定するのは難しいと思います。でも「他者からの承認」を得るのはそう簡単ではありません。特に私にとっては。
根本的なところで自分を肯定できないのが辛いです。
もっと楽観的で鈍感な気質で生まれてきたら、こんなに傷ついたり苦しんだり悩んだりせず、楽しい人生を送れたんだろうなと思います。
ある意味どんなに物質的・経済的に豊かでも、人間社会で生きる以上心や精神的な欲望が満たされていなければ幸せにはなれないということは嫌でも身を持って学ばされました。

ただ今の感情を吐き出したくてここに書かせてもらいました。長々とすいません。

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。
あなたが幼い頃からずっと共にしてきた「生まれつきの性格」が、あなたにたくさんの感情を与えてきたこと…私なりにいろんな想像を膨らませながら、じっくりと読ませていただきました。
「劣等感、孤独感、抑鬱感、不安感、空虚感…こんな感情ばかりを経験してきた」という言葉に、私の中で色々と考える部分がありました。この感情達を一人で抱えるには、あまりに“重たい”と感じるのではないか…、来ては去っていく毎日が退屈で長く感じているのではないか…と(私だったらそう思うかも…と思ったので、勝手な解釈にはなってしまうのですが書かせていただきました)。そして、この感情達や「生まれつきの性格」の攻撃からあなたを守る護身術…のようなものが、いつしか“素の自分を隠すこと”になっていったのかな…とも、勝手ながら想像していたところでした。
(あなたと全く同じ…とは言い切れないかもしれませんが)実は私も、HSPに似た症状があり(自己分析…にはなってしまいますが)、完璧を求めてしまうような性格なので、「何気ない言葉や態度ですぐ傷つく」「素を出せない」という部分に頷きながら読んでいる自分がいました。私の場合は、何かあるとすぐに涙が出てしまい(意図せず)、悲しかった出来事を人一倍引きずってしまいます(これはHSPならでは…なのかは分かりませんけどね)。「自分でコントロール出来たらどれほど良いか…」と悲しいことがある度に思ってきた気がしますが、そうした経験をしてきたことが(今も変わらず)あるからこそ、勝手ながら共感していた自分がいたのかも…と思っています。(少しだけ、あなたの状況をくっきりと見れたような…そんな気分になりました)
一方で、もう少しだけ、寛容な世の中であってほしい…とつい思ってしまう自分がいました。今より寛容な世の中だったら、「生まれつきの性格」が変わる…というわけではないと思います。しかしながら、もう少しだけ優しい世の中になると、この「生まれつきの性格」が、「生まれつきこういう性格なんだよ」と主張できるような、少しだけのんびりできるような…そんな風に生きられるんじゃないかと思ってしまう自分がいるのです(私の場合は、泣いてしまう事を大事にしない世の中…とかだと、泣いて”恥ずかしい”という感情にならないかなぁ…って思っています)。
もしあなたが「こんな社会だったら…」とイメージするものがあれば、それはどんな社会なんだろう…と、少し気になる自分がいます(なかなか自分で書いてても難しいことを言っている…と思う自分もいますが、気になりました)。
ざっと「こんなのかもな」というものがあれば、また感想を書きに来てくれたら嬉しいです。投稿ありがとうございました。

感想2

人間の性格のどこからが生まれつきで、どこからが環境の影響なのか、自分というものがある人間になるためには何が必要なのか(そもそも自分がなくても、それで苦しいわけじゃなければいいのか…?)などを、読みながらも、読んだ後も、ぐるぐると考えていました。
自分の経験を振り返ると、確かに同じ環境で育っても、死にたいと無縁で生きる人と、いつ死んでしまうかわからないくらいメンタルを崩す人はいるなと思いました(私はいわゆる恵まれた家庭で育ち、妹が前者で、私が後者でした)。妹との大きな違いの一つは、私には発達の偏りや過敏さがあった部分だとも感じています。
だから「自分がこんな性質で生まれてこなければな…」という気持ちには素直に共感しつつも、「いや、生きづらさは個人ではなく社会の問題なのだ」と私の魂は叫んでいるみたいな、ちょっと訳の分からない状態になっています。

あなたは人生の様々な場面で、劣等感や孤独を抱えてきたのだろう…という重みを、私は経験談から感じ取りました。その重み、「生まれつきの性格のせいだ」というのが実体験と試行錯誤の上での結論だとはわかりつつも、私はちょっと違った見方をするタイプなので、私が感じたことを書こうと思います。
まず、諸説はありますが、人間の性格は遺伝と環境の両方が影響しており、その割合はだいたい半々くらいと言われているようです。また、生きづらさに関しては、あなたも「学校や社会で求められるものとうまく馴染めず」と書いてあるように、どのような社会かに影響される部分も大きいです。私は自分の神経質さや内向的な部分については、どんな社会に生まれようと生きづらさになったと思っていますが、「こんな自分じゃダメなのだろう」という焦りや自己否定感情は、社会が変われば今より小さなものになったと感じていますし、「こんな自分でも生きていける環境はどこかにないかな」という発想でもっと伸び伸びと生きられたような気がしています。
また、私は自分の死にたい気持ちについては、「自分の感じていることをうまく表現できない(誰にも届かないと感じる)」といった孤独がもたらしたものである要素が大きいと感じています。だから繊細で感じることが多い・それを表現したり発散するのが苦手、という二つの資質は生きづらさと比例するのかなとは思いつつ、「でも、感じたことを表現する方法をもっといろいろ知る機会があって、自分に合ったものが見つかっていたなら…」「誰かに伝わって、受け止めてもらって、という手応えがもっとうまく積み重なっていたなら…」と、環境でどうにかなった(これからなる)可能性も確かにあると私は思っています。

この経験談では、物質的・経済的に恵まれていた、いじめられてない、両親が離婚したりもない、が恵まれた環境として挙げられていましたが、そういった自己表現の側面から見ると、一体どれほど恵まれていたのか聞いてみたい気持が湧いています。
また私の話を少ししてしまうと、私はずっと「自分はこんな恵まれてるのに」と思っていて、周りに自分のことを話して初めて「え、そこは大変だったんじゃない?」と恵まれていない点に気づいたことが何度もありました。
だからもしあなたが「いや、その点でも恵まれてた」と思っても、実はそうじゃないかもしれないし、他に何か環境的な生きづらさのもとがあるかもしれないと、勝手ながら私は想像しています。

「ただ今の感情を吐き出したくて」書いた経験談に、場違いな感想を書いてしまった気がしています・・・が、このまま率直なものを送ってしまおうと思います。
経験談の投稿ありがとうございました。

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