経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

生きている方がいいのか悩んでいます

経験談をたくさん読ませて頂き、私が経験談を書くことで誰かの生に何かしらの良い影響を与えられるだろうかと考えました。
そして、いつも「私は誰かの役に立っているだろうか」と考え続けながら生きてきたことに思い至りました。

私はアレルギー体質で、アトピー 、喘息があり、色々と薬や食べ物でアナフィラキシーを起こします。
程度の軽いリウマチ(手の指の痛み)とシェーグレン症候群があります。

朝起きて、リウマチが悪化していないか手を握ってみて、息が苦しくないことを確認してから生活を始めます。

小さい頃から両親は私の前でタバコを吸い、嫌がる私を「タバコを吸う人は居場所もないし、お前がするみたいに嫌がられて可哀想だろ」と私に言っていました。
私も癇癪持ちでよく物を投げていて(今思えば常に体調が悪く頭がおかしくなっていたのかもしれません)私が彼等大人を困らせていたのも間違いなく、とても迷惑な子だったと思います。
「大人」というのは総じて包容力があるわけではなくて「子供は大人に助けられるべき」というのはただの願いであり幻想でしかないと理解しました。
それから、大人になったら今でもずっと私は私の隣りでタバコを吸う人を許容し続けてきました。そうすればタバコを好む人は喜ぶからです。

父も母も悪い人ではありません。一般的にみたら常識的で教養のあるタイプだと思います。
私はこの世に生まれたくはなかったけれど、彼等が一生懸命に人生を生きていて、私を生んでくれた責任もしっかりとってくれたのだとわかっています。

しかし、兄はそこまで達観できなかったようで何度も失踪し、たまに家のお金も持ち逃げし、失踪先で起こした騒動に家族は巻き込まれました。彼の口癖は「親は僕のことをわかってくれない」でした。
親が子供のために頑張って貯めていたお金もなくなり、その騒動で親が事故に遭い働けなくなり、私は望んでいたお金のかかる進路をこっそり諦めました。親の口癖は「お前が一番お金がかからなくて助かっている」でした。

働き始めた会社では過失致死の事故が起こり、会社の存続危機に陥りました。「辞めたい人は辞めていい」との方針に、私は他の同僚数人と会社を辞めました。

その後、アルバイトをしながら専門学校に通っている最中、車に轢かれました。後遺障害の残る大きな事故でした。
目撃者はおらず、入院した私は意見を聞かれないまま加害者の意見だけに沿った事故調書が作られ、退院して警察に行ったら私がまるで事故の全ての元凶のようになっていました。「違う」と何度も言ったけれど、まともに取り合ってもらえませんでした。
このままだと慰謝料すらもらえず、経済的に私の人生が詰んでしまうと思いました。(私は数ヶ月の入院と後遺障のリハビリでバイトができなくなっていたので借金をしました。)
必死に弁護士を探し、借金で再び専門学校に通い直し、加害者との訴訟を始めました。
頼る人もおらず、1人で頑張りました。頑張るというのもおこがましいけれど、この時の私だけは本当に頑張っていたと思います。
途中からは弁護士さんがかなり力になってくれました。
私は訴訟を終えたら死のうと思いました。お世話になった弁護士さんにはお礼が言いたいし、どうにか勝訴してたくさんのお金を弁護士さんに渡してあげたかった。けれど、もう、生きていくのは嫌になっていました。

何年にもわたる訴訟の期間中、無事に専門学校も卒業して、後遺症に影響がなさそうな会社に就職しました。
勤続20年の先輩が社員生活一キツイと息を巻く程に忙しい年の入社でした。残業は月100時間ごえ、時には1ヶ月以上休みなく毎日会社に通いました。
入社して数ヶ月で同期が何人か辞め、仲の良かった子は自殺しました。偶然早く帰れた日、久しぶりにちゃんとしたご飯を食べようと買い込んで帰っていた時に数ヶ月ぶりに会い軽く話した翌日、その子は自殺しました。私のせいかもしれません。何か、私が発した言葉が、行動が、その子を追い詰めてしまったのかもしれません。
私は訴訟が終わるのを待てずに「死にたい」と強く思いました。
毎日終電間際のホームの端で向かってくる電車を見つめました。でも、「仕事もたくさん抱えているし、今死んだらとんでもなく迷惑そう」と思って死ねませんでした。毎日フラフラとホームを歩く私は駅員さんにも見守られていたようで何度か話しかけてもらいました。駅員さんと忙しさに生かされました。

その何年か後、訴訟が終わりました。勝訴に近い状況でした。膨大に費やした残業代や、まともにご飯も食べられなかったから余っていた生活費をため込んで、すでに借金は返し終わっていました。
弁護士さんにお礼を言い、仕事を辞め、手元に残った慰謝料で行きたかった海外旅行に行ってみました。海外はとても生きやすかった。言葉がわからないから、愚痴も嫉みもわからないし笑いたくないところで笑わなくていい。こんなに平和な世界があるんだと思いました。

仕事を辞めて戻った街で、転勤してきた同期の子に会いました。「今度ご飯に行こう!」と言って別れた数ヶ月後、全然会わないなと思っていたら、その子が自殺したと他の同期から聞きました。

今は事故の慰謝料で細々と生きています。
今は誰の役にも立っていないし、これが無くなる頃にまだ死にたかったら死ねばいいかなと思って生きています。
役に立ちたいけど、私が社会に加わると誰かが死ぬような気がして頑張れなくなりました。

書いていて少し気が楽になりました。このような場を設けてくださってありがとうございます。
私が生きていていいのかはまだ疑問ですが、死ぬまで生きる、というくらいの気持ちで生きていてもいいかもしれないなと思っています。

感想1

投稿ありがとうございます。たくさんの大変なことがある中で、過去やその時々の状況の中にいながら同時に俯瞰するようにして、対処しながら生きてきた人なのかなぁと思いながらあなたの経験談を読みました。家庭や会社での困難、事故による後遺症と訴訟、そして体質や病気、それらはひとつひとつに具体的な苦労や苦痛があったと思うのですが、それらについて坦々と書いてある印象があり、この経験談の文章として言葉になるまでに、あなたの中にはどのような変遷があったのだろう……と気になっています。全体的に、とてもストイックな印象を受けました。
冒頭にあった「私は誰かの役に立っているだろうか」という問いは、あなたの人生のどういう要素から導き出された問いなのでしょうか。というのは、世の中をみていると、人には生活や人生のモチベーションとして、いろいろな要素があるみたいだなぁと思うからです。例えば富や贅沢ということもあるでしょうし、特定のだれかという場合もありそうです。あるいは、別のなんらかの理想、という場合もあるのかなと思います。その中で、あなたは「社会」というもの、あるいはその中のだれかへの貢献が必要だと感じているのかなと思いました。私にもその感覚はまったくないわけではないものの、自分の願いの中心は別のところにあるような気がしています。だから、あなたの「役に立ちたい」という思いがどういうふうにしてあなたの中に宿ったのか気になったのかもしれません。
「生きている方がいいのか悩んでいます」というタイトルも、考えてみると独特のニュアンスを持っているような感じがしました。最後の方に「生きていていいのか」という言葉もありましたが、それとも少しだけ印象が違う気がします。最初に読んだ時、「生きている方がいいのか」というのは、誰にとってのことなのだろう?と思いました。なにか別の大きなものが人間存在の価値を判断しているような気もするし、あなたの人生を俯瞰して見たあなたが、あなた自身を判断しているようにも思えるし、不思議なタイトルだなぁという気がしています。個人的には、そんなに簡単に価値や意味を判断することはできないのではないかと思っていて、普遍的な価値も意味も存在しないと考えています。
「私が社会に加わると誰かが死ぬような気がして」ともあったので、社会全体にあなたとをつなぐ因果みたいなものを感じているのかな?とも想像しました。(違っていたらすみません。)もしかすると、自分以外の人が読む経験談だから、自分を調整して書いてくれた文章なのかもしれませんね。
私も日々濃淡はありつつも死にたいと思いながら生きていますが、持病もちょこちょことあるので、「死ぬまで生きる」という感覚に共感しました。あなたの感性と思考の一部を教えてくれてありがとうございます。また、よかったら書きに来てください。

感想2

あなたのこれまでの人生は、人の生き方や社会のあり方を深く考えさせられる内容がたくさん含まれると思いながら読み終えました。タイトルに「生きている方がいいのか悩んでいます」とありますが、読み終えた私の率直な感想としては、これまで「きっと、生きている方がいいのだろうし、生きるべきなのだろう」と強く信じて生き続けてきたように感じました。自分の生きている意味は価値があるはずだし、役に立つはず、そうした願いがずっと流れているように思います。そうした内なる信念を自分に対して強く抱く一方で、自分以外の人を自分とは異なる存在として、静かに尊重し続ける姿勢がとても印象的でした。たくさんの理不尽なことがあったのですから、誰かを恨んだり、批判したりしてもおかしくない中で、じっと受け止めて受け入れる力はどこから来るのだろうかと考えました。子どもの頃のエピソードから、受け止めるしか術がない環境の中で、まさに達観することを生存戦略として身につけていったのかもしれないと感じています。環境だけではなく、お兄さんと比較しても、生まれつき受け入れる力が強いタイプだったのかもしれません。その後の歩んできた道を読むと、結果として、諦めて過剰に周囲に合わせることが極めて得意な人としてどんどん成長していったように思えました。
周囲に合わせて生きのびることは、周囲から嫌がられることなく、周囲から見ると穏やかでいい人のように見えるのかもしれませんが、本人にとっては孤独を深めていく過程のように思えました。あなたの経験談は客観的に見ると、たくさんの大変な出来事やもめごとに遭遇し、それを何とか乗り切っていく物語に見えますが、私には人の孤独をめぐる物語として迫ってきて、深く考えさせられました。
身近な人が何人か自殺をしたという話は、私は同じような孤独を感じていた人たちがあなたから同じ孤独のにおいを感じて、つながろうとしたように思えました。その人たちが死んでしまったことは、あなたのせいではないと思います。自ら、死を選ぶ人たちはそれ相応の思いを抱え、いろいろな事情があるので、理由は背景は様々だと思いますが、あなたも感じてきた孤独の影響が少なからずあると私は思っています。そして、その孤独はその人の問題ではなく、そこに追い詰めていくような社会の課題がたくさんあるのだろうと思っています。
改めて、こうして死にトリにつながってくれたことを嬉しく思います。書きに来てくれたことを歓迎します。ここまで感想を書いて、素直にそう感じました。あなたが経験してきたことやその中で感じていることはとても貴重なことだと私は思います。もう頑張る気力はないかもしれませんが、あなたの受け止める力を含めて存在が今の社会にとって必要だろうと思いました。また、語ってもらいたいと思いますし、できることなら同じ思いをする人たちと対話をする機会があることを願う気持ちになっています。
もしよかったら、死にトリにいつでも来てください。待っています。

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