化学物質過敏症という難病になり生きることを剥奪されて何年もたちます。なぜ剥奪されるのか?それは社会生活をおくる権利が許されないからです。外も店も病院も歯医者もありとあらゆる場所にいけません。結婚恋愛就職すべての可能性を奪われました。理由は社会の洗濯洗剤、柔軟剤の香料です。香料で目が痛くなったり喉が痛くなったりしてしまう病気です。ながい間患者会が世の中に無香料にしてほしいと頼んでますが理解はしてもらえず、年々どんどん洗濯洗剤、柔軟剤など製品の香料が強くきつくなりどんどん生きることができなくなってます。政府は生活や就職の支援もしてくれません。障害者枠でも就職はできないし就労支援もうけれません。理由は香料です。みんなが使い続けるほど毎日生きることすべてを剥奪されます。死にたいです。死ぬまで続く苦しみです。難病ですから治療法もありません。でも社会はなにもかわりません。だから死ぬまで痛みに苦しみます。無香料の製品をつかってほしい。空気をすわせて。人間らしく生きさせて。つらくてつらくてみんなの服から香る香料に傷つけられて居場所がどこにもない。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
生きることの剥奪
感想2
化学物質過敏症の方の悩みを何度か聴かせてもらったことがあります。
その内ひとりの方も香料に非常に苦しんでいました。生きられないと悲痛の訴えをされていて、今回のあなたの投稿文と重なる部分が多かったです。
私は化学物質過敏症ではありませんが、以前から香水がとても苦手です。近くで香水の匂いがするだけで、密かに息を止めてしまいます。エレベーターなどはかなり嫌な気持ちになります。そして様々な香料を添加する今の洗剤業界にとても疑問を感じています。必要なのか!?って。
でもあなたにとっては必要、不必要、好き、嫌いなんて生易しい話ではなく、生き死にに関わるようなとても大きな問題だということが伝わってきます。
剥奪という言葉の通り、生きる権利や自由な選択を奪い剝ぎ取られているということですから、あなたが感じていることはどれだけ想像してもしきれません。
ご自分の家では、暮すことができる環境を一定程度保つことできていることを願うばかりです。街中に出かけるのはかなり厳しいと思いますが、自然の中に空気を吸いに行けるでしょうか。
感想を書いている最中に化学物質過敏症支援センターのホームページも読んでみました。
潜在的な患者さんもいることを知りました。まだまだ日本では調査も不十分で支援も行き届いてないことを知りました。そして誰でもある日突然発症する可能性があることもわかり、他人事ではないのだと感じました。
化学物質過敏症はもちろんのこと、それ以外のことでも人知れず「生きることを剥奪」されている方がいること、そして私自身もいつ何かで生きることを剥奪されるかわからないことを改めて認識しました。
投稿ありがとうございました。
お返事1
感想1、感想2共に私の文章からこんなに色んな気持ちを汲み取ってもらえて嬉しかったです。そんな風に受け止めて考えてくれる人が増えていけば私の生きる希望も増えていく気がしました。無香料。空気のバリアフリー化。社会生活のできる場所の確保。この病気の人が生きる未来はこの国に生活する人たちの受け止め方判断にかかっています。受け入れてくれる人が増えればもう私は仕事探すことも恋愛をすることも、体調が悪いときに病院や歯医者に行くことも、買い物に自分で行くこともしたいことをなにも諦めなくていい普通の人みたいに色んなことをして生きれるんだと思いました。生きているうちに願いが叶うかはわかりませんが、感想を書いてくれた方のように受け入れよう理解しよう考えようとしてくれる人の存在は大切な1歩になると感じました。
ありがとうございました。
この病気になりたくさんの人に傷つけられ症状(家の中にいても香料を吸うことが多くあります。外の柔軟剤の香りが家の換気扇から入ってきたり、他の家の排水が私の家の排水口の下を通るときに香料がたくさん来たり。家族が仕事からかえると服に他の人の柔軟剤の香りが染み付いていたり)も毎日つらくひどく疲れ果てる毎日でもう一生ダメなんだと人にも社会にも絶望していましたが、いつか身近でも感想を書いてくれたような優しい人に出会えたらいいなと思えました。
感想1
文章を読み進めるにつれて、難病・病気に対する世の中や社会、自分含めた症状もなく平然と暮らしている(どこか他人事・見て見ぬ振り)事への怒り、行動に至れない申し訳なさがこみ上げてきます。化学物質過敏症に限らず色んな病気、難病に対する知識、情報が無いために知らず知らず生きづらくさせている事も多いように思います。
書かれていたように政府や社会に、もっとしっかりサポートできる体制を整えて欲しいのと同時に、自分含め多くの人が知識・情報を得ることも凄く大切だと思います。どれだけ知識があっても痛みや苦しみを理解することは難しいと思いますが「痛みや苦しみを分かろうとする努力」は誰にでも出来ることだと思うので。
以前、難病は患者数が少ないから治験、新薬開発も後回しにされているとドキュメント番組で見たことがありました。その時は病気について、サポートについて考える時間もありましたが、時間が経つと考えることが後回しになっている現状です。自分の当たり前が誰かの苦しみになっている現状を理解しても、自らを変えるような行動にいたっていないことへの情けなさも改めて感じました。
あなたの悲痛が誰かに届く(私には届いています)、届いた人が誰かと共有することで「意識する連鎖」が生まれ「考える・行動に移す」へ変わっていくんじゃないかと自分は思います。言うは易しで、それが全然進んでいない現状へのいらだち、諦めもあると文章から想像します。だからこそ私は「どんな状況・環境でも人間らしく、自分らしく生きる権利とは?」を考え続けられる世の中になってほしいとこころから思うのと同時に、どう行動したらいいのか考え続けたいと思いました。