経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
11月5日の夜、私の心にまつわる、とても不思議な体験をしたので、その体験談。
自他境界とは、自分の体や心が、他者とは別のものである、という感覚だ。
私は自他境界が曖昧で、人の考えてることは、手に取るように分かると、ずっと思い込んでいた。夫とは今まで、目を見たり、手を握れば、簡単に意思疎通できていた。でも、11月5日の夜中に突然、頭の中でパチリと音がして、夫の思いが、全くわからなくなった。夫に触れても、何もわからないし、何も感じない。多分それは、私が生まれて初めて、自分と他者の間に、境界線を引けた瞬間だった。
幻として頭の中に作り上げた夫の存在ではなくて、実際にリアルに存在する他人として、初めて夫を認識できた瞬間だった。今までは、自分と夫の間に、いつも境界がなくて、どこに行くにも夫と一緒で、沢山の経験を共にしながら、喜怒哀楽を共有してきた。
もちろんそれ自体は、幻じゃなくて、本当に通じ合ってたのだと思う。でも今回、どんなに時間を共に過ごしても、一生、夫の事が理解できないんだってわかった。そのことを、理屈じゃなくて、感覚的に、腑に落ちることができた。
私は、通っている障がい者施設で、すぐ他人の問題に首を突っ込んでしまい、トラブルになっていた。その原因の一つも、自分と他人との境界が曖昧である事なのだと思う。それはずっと頭ではわかっていた。自他境界という言葉も、頭では理解していたけど、本当の意味で、全くわかってなかった。
11月5日を境に、夫から伝わる、テレパシーのような思いが、感じられなくなった。自分の世界から外に出て、実際の世界に触れた瞬間だった。太陽が地球の周りを回っているのではなく、地球も太陽の周りを回る、惑星のひとつに過ぎないということと、同じくらい、私にとっては大きな発見だった。
未だに、夫以外の人や、飼っている金魚や、草や、石、この世の99%以上の存在からの声は聞こえ続けている。いまはまだ、ほんの少しだけ、夫の輪郭が浮かび上がって来ただけ。
なぜ、このような事が起きたのか、私の解釈。心の中に、コップがあるとする。私のコップには、底に穴が空いていて、どれだけ人から愛されても、満たされることがなかった。けれど、付き合って8年、結婚して2年間、夫が絶え間なく愛を送ってくれて、そして自分で自分に愛を注ぎ続けて、ようやくコップの穴が塞がり、心が満たされたのだと思う。正しい解釈かわからないけど、その瞬間、私は夫を、自分ではない他者として、認識できたのだと思う。
夫と出会った時から、さらに5年遡って、18歳の時、私は大きな決断をした。世界で一番、他の誰でもなく、自分自身を大切にすると。それからずっと、果てしなく愛を自分からも他人からも注いでもらった。自分を脅かす存在には、どんな社会的なリスクを負ってでもNOと突きつけた。そして16年間、地道に自分を愛し続けた結果が、今回引く事が出来た、ささやかな境界線なのだと思う。
それは誰にでも当てはまることではないし、簡単に実現したことではなかった。私は父から虐待されていたけれど、たまたま私の母が、私を自由に育ててくれた事や、周りの人に恵まれたり、運が良かったこともある。もし私が、両方の親から支配され、虐待され、逃げ場がどこにも無ければ、一生叶わない希望だったのかもしれない。それ以外にも、私が心についてすごく興味があって、本質的な思考が得意だったことも、境界が引けた要因であるかもしれない。
幼い頃から私がこの世界について、抱いてきた感覚について。「この世界は、私が寝てる間に見ている夢のようなもの。私の意識があって初めて、他の人は存在することができる。私以外の人は、存在してなくて、全て私の頭の中の出来事」この考え方は、人から教わったり、思想や哲学の本など、外部からの影響ではなくて、5歳の時に自然と、この世界は幻なんだって、確信した。当時、お出かけして、バスに乗って外を眺めていたら、白昼夢を見た。突然、巨大な舞台の幕のようや物が空から降りてきて、歩いていた人々が一斉に舞台袖に帰っていった。それで子どもながらに感じたのが、この世界には神様が書いた台本があって、私以外のひとは、その台本に沿って世界を演じているのだと。それからずっと、この世は作り物だと信じて生きてきた。後に知った、哲学的な「本質と対をなす具体的な形」とかの関係でも説明できる。それから、トゥルーマンショーという映画でも、似たような概念が描かれていたと思う。
まだ、夫以外の全ての人、全てのもの、この世の99%以上の存在からの声(テレパシー)は聞こえ続けている。これからも長い時間をかけて、自分を大切にし続けて、周りからも愛をもらって、いつか、声があまり聞こえなくなる時がくると思う。自分や他者を、幻ではなく実在する個人として尊重できる時が、きっと来ると信じている。
自他境界は、間違いなく私がこの世で手に入れたものの中でも指折りの、とても大切な宝になった。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。
感覚的にわかる話ではなく、ちょっと戸惑いも感じつつ読み進めたのですが、読み込むと理解・納得できてくる、誠実な文章だと感じました。
あなた自身も地動説の例えを使っていましたが、まさに天動説が地動説になった衝撃に(構造に)かなり近しい経験を、あなたはしていると私は思いました。最近、地動説をテーマに扱った漫画を試し読みする機会があったので、自分のいる場が主役→自分のいる場はちっぱけ という認識の変化を受け入れる悩ましさ、でも後者の方が実は自由で素敵なのかも…?と思える人間の感性について、どこか心に残っていたのもあり、あなたの語りを貴重なものとして受け取っています。
幼いときに天動説(と呼ばせてもらいますね)を確信したことは、あなたが自分を守るために必要なことだったのかなと私は感じました。
虐待のダメージは大きい=この世界は残酷だ、でも自由を保障してくれる存在もいる=この世界は素敵な場所でもある、といった矛盾を抱えきるために、すべてを幻だと思うのは、合理的な捉え方である気がします。実際にそういった構造で起こった出来事なのかはわからないのですが、私はそう感じました。
愛というのは何なのだろう…と今考えています。
私は自分の中にある感情についても、他人から与えられた感情についても、愛という概念があまりしっくりきておらず・・・。でも人間の回復はある程度普遍的なものだと思うので、あなたが夫から与えられた愛は、私にもきっと理解できるものな気はしていて。(それを私は愛と呼ばないだけで)
「あなたは私と別の人間で、完全にわかり合うことはできないけど、私はあなたのことが大切だし、何かお互いに変化していくものがあっても、これからも一緒にいよう」という気持ち、とかですかね…。全然違ったらすみません。
世界で一番、他の誰でもなく、自分を大切にするという決断も、とても興味深く読みました。
自分を大切にできないと、継続的に他人を大切にすることもきっとできないし、自分を脅かす存在からは逃げるのが一番だと私は思っているし、「それは英断だったと思います…!」という感想を抱いています。
でも理屈ではそうわかっても、決断するのは簡単じゃない気がします。少なくとも、私はまだできていません。
あなたがそう決断できたのは、何かきっかけや支えがあってのことなのか、もしわかっているのなら、聞いてみたい気持ちです。
この世の99%以上の存在からの声(テレパシー)が聞こえ続けるというのは、とても忙しそうな状態に思えるのですが、そのあたりはどんな感覚なのでしょうか。
優しい声の方がたくさん聞こえるならいいけど、人間は邪で歪みを抱えている生き物でもあるので(私の声が全部相手に聞こえてしまうなら、相手にイヤな思いをさせる気がします…)、質問してみたくなりました。自分を守るための幻だったと考えると、自分にとって優しい幻になっているのですかね…?素直に気になります。
受け取りがズレている感想になっていたら、申し訳ありません。
あなたがこれからも自分を大切に、周りにも大切にされて生きていけることを、陰ながら願っています。
お返事1
私の体験談へ、ご感想を頂き、ありがとうございます。
何度も、何度も読みながら
私の体験が深く共感されて、ご感想を拝読しながら、(良い意味で)苦しくなったり、救われる気持ちでした。
私の話に対して、ここまで骨のあるご回答を頂いたのが、生まれて初めてのことでした。
【感想1へのお礼】
自分を守るために、幻想を作り出しのは、その通りかもしれないです。幕が下りる白昼夢は、具体的な映像として記憶しているので、心が私を守るために、それを見せてくれたのかもしれません。
実は私は、恋愛についてかなりドライで現実的な価値観を持っていて、今まで「愛とは何か」深く考える事なく、「愛」という言葉を使っていたと、気づかせて頂きました。恋愛ドラマ、恋愛漫画にあまり興味がなく^^; 夫とは仲良くしていますが、男性に対する理想をあまり抱いていません。でも、親子愛や、地域愛など、様々な形があるので、これから「愛とは何か」考えたくなりました。ありがとうございます。捉え方がズレてたらすみません。
自分を大切にする決断のきっかけは、よく覚えていませんが、高校生当時、受験勉強そっちのけで、心理学の読み物を沢山読んでいました。そこから、今の苦しさを脱するには、自分を大切にするしかないと学んだ気がします。
私が聞こえる「声」はポジティブなものが多いです。私な生き物やモノとの会話を楽しんでいます。体調が悪いとあらゆる存在から一斉に話しかけれて怖くなりますが、普段は私から目線を送ったモノや生き物だけが、話しかけてきます。
【感想2へのお礼】
同じようなご経験をされたこと、話して頂きありがとうございます。家族なのに「知らない人」というのは、不思議な感覚ですね。ひとりひとりが自分の中に、宇宙を抱えていると言っても過言では無いくらい、本来、人間は未知の存在なのだと思います。でも、共に生活していくうちに、相手のことは何でもわかると錯覚して、相手に勝手に期待して、苦しみを生みます。「どこまでも相手の事がわからない」というスタンスは、相手に対して本当に誠実に接している人だけが、持つ感覚であると、最近気づくことができました。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。
感覚的にわかる話ではなく、ちょっと戸惑いも感じつつ読み進めたのですが、読み込むと理解・納得できてくる、誠実な文章だと感じました。
あなた自身も地動説の例えを使っていましたが、まさに天動説が地動説になった衝撃に(構造に)かなり近しい経験を、あなたはしていると私は思いました。最近、地動説をテーマに扱った漫画を試し読みする機会があったので、自分のいる場が主役→自分のいる場はちっぱけ という認識の変化を受け入れる悩ましさ、でも後者の方が実は自由で素敵なのかも…?と思える人間の感性について、どこか心に残っていたのもあり、あなたの語りを貴重なものとして受け取っています。
幼いときに天動説(と呼ばせてもらいますね)を確信したことは、あなたが自分を守るために必要なことだったのかなと私は感じました。
虐待のダメージは大きい=この世界は残酷だ、でも自由を保障してくれる存在もいる=この世界は素敵な場所でもある、といった矛盾を抱えきるために、すべてを幻だと思うのは、合理的な捉え方である気がします。実際にそういった構造で起こった出来事なのかはわからないのですが、私はそう感じました。
愛というのは何なのだろう…と今考えています。
私は自分の中にある感情についても、他人から与えられた感情についても、愛という概念があまりしっくりきておらず・・・。でも人間の回復はある程度普遍的なものだと思うので、あなたが夫から与えられた愛は、私にもきっと理解できるものな気はしていて。(それを私は愛と呼ばないだけで)
「あなたは私と別の人間で、完全にわかり合うことはできないけど、私はあなたのことが大切だし、何かお互いに変化していくものがあっても、これからも一緒にいよう」という気持ち、とかですかね…。全然違ったらすみません。
世界で一番、他の誰でもなく、自分を大切にするという決断も、とても興味深く読みました。
自分を大切にできないと、継続的に他人を大切にすることもきっとできないし、自分を脅かす存在からは逃げるのが一番だと私は思っているし、「それは英断だったと思います…!」という感想を抱いています。
でも理屈ではそうわかっても、決断するのは簡単じゃない気がします。少なくとも、私はまだできていません。
あなたがそう決断できたのは、何かきっかけや支えがあってのことなのか、もしわかっているのなら、聞いてみたい気持ちです。
この世の99%以上の存在からの声(テレパシー)が聞こえ続けるというのは、とても忙しそうな状態に思えるのですが、そのあたりはどんな感覚なのでしょうか。
優しい声の方がたくさん聞こえるならいいけど、人間は邪で歪みを抱えている生き物でもあるので(私の声が全部相手に聞こえてしまうなら、相手にイヤな思いをさせる気がします…)、質問してみたくなりました。自分を守るための幻だったと考えると、自分にとって優しい幻になっているのですかね…?素直に気になります。
受け取りがズレている感想になっていたら、申し訳ありません。
あなたがこれからも自分を大切に、周りにも大切にされて生きていけることを、陰ながら願っています。