私は最近、自分が自閉スペクトラム症(ASD)であることを知りました。
知ったときには衝撃的でしたが、同時に今までの生きづらさや違和感の原因が明らかになった瞬間でもありました。実際には中学2年生のときに診断が出ていたそうですが、私がその事実を知ったのはそこから数年後の今。高校4年生になってからのことでした。
この遅れての発覚により、自分自身を改めて振り返り、これまでの困難な経験に一つの答えを見つけたように感じています。
振り返れば、小学校から中学校にかけて、私は常に周りと少し違う感覚を持って生きてきました。友達と同じように振る舞おうとしても、どこか噛み合わない。クラスメイトが何気なくしている会話やジョークの意味がよく分からなかったり、特定の話題に対するこだわりを持ちすぎて相手に疎まれることが多々ありました。
さらに、環境の変化に対するストレスや、不規則な生活リズムに適応できないことも頻繁にありました。しかし、当時はこれが「普通」だと思っていたため、なぜ自分がこんなに生きづらいのか理解できませんでした。ただ、他の人ができていることが自分にはできないという劣等感に苛まれ続けていました。
他の人はできるのに自分はできないこと。
当時は「毎日お風呂に入る」「歯磨きをする」のような日常生活に関わるものから、「宿題」や「ハンカチやティッシュなどの忘れ物」など学業に関わるようなものもありました。
ここで小学生の私は自分に対して「できる範囲で優等生であること」を義務付けます。
生きづらさが最も強く感じられたのは中学時代です。
私は中学時代、不登校になっていました。
中学に進学し、新しいクラスの新しい班の新しい友達。
ワクワクしながら隣の席の子に挨拶をしたんです。
「おはよう!よろしくね。」「………….」明らかに無視されました。
小学生の頃は無視されるなんてことがなかったのでショックでした。
それからクラスの子達に話しかけるのが怖くなりました。
今思えば私は、自分の役割を理解することが難しかったり、自分なりのやり方に固執してしまい、結果として他の人と衝突することが多かったです。周りの反応が冷たくなると、ますます孤立感を感じ、それがさらにストレスを増幅させました。この時期に感じた孤独感や「自分はどこかおかしいのではないか」という思いは、今でも鮮明に覚えています。
ならば勉強を頑張ろう、と意気込んだのですが
結果は40点ほど。
小学校では90以上が当たり前だったのでショックを受けました。
小学生の頃に誓った義務。「優等生であるべき」
これを守れなかった。
自分なんて何も出来ないただの出来損ない。
そう思うようになりました。
それでも、自分がなぜそう感じるのか分からず、ただ「自分が悪いのだ」と思い込んでいました。家族や先生に相談しようとも思いましたが、何をどう説明していいか分からなかったため、結局心の中に閉じ込めるしかありませんでした。それが私の心の負担をさらに重くし、次第に自己評価を下げる結果となりました。
しかし、高校に入ってから少しずつ状況は変わり始めました。自分の興味関心に合った部活動や趣味に没頭することで、少しずつ自分の居場所を見つけられるようになりました。特に、一人で集中できる活動や、自分のペースで取り組めるものには安心感を感じました。これは、自閉スペクトラム症の特性である、特定の分野に対する強い興味やこだわりが作用していたのかもしれません。結果として、他人と無理に合わせようとすることが少なくなり、自分の個性を尊重するようになりました。
しかし、同時に他人とのコミュニケーションの難しさは変わらず、友達との関係を深めることは依然として困難でした。普通の会話がうまくいかないときや、相手の気持ちを察することができず誤解を招くことがありました。それでも、少しずつ自分なりの方法で社会との接し方を学び、必要に応じて適応するよう努力していました。
そして、高校4年生の今、自分が自閉スペクトラム症であることを知ったことで、すべてのピースがはまったように感じています。これまでの違和感や生きづらさが、決して私自身の「欠陥」ではなく、一つの特性として理解できるようになりました。自閉スペクトラム症という診断は、私にとって決してネガティブなものではなく、むしろ自分を理解するための重要な鍵となりました。
これから先の人生で、私は自分の特性をもっと深く理解し、どうすれば自分らしく生きられるかを探っていきたいと考えています。しかし、これまでの経験から学んだことを生かしても、やはりすべてがうまくいくわけではありません。少しだけ前向きに考えられるようになったかもしれませんが、正直なところ、まだまだ多くの問題を抱えており、何も上手くいっていないと感じることがほとんどです。それでも、この気持ちを抱えながら、少しずつ進んでいくしかないのかもしれません。
今現在、私は生徒会長として活動しながら就活をしています。大好きだった会社を第1志望に志願しましたが結果は不採用でした。
とても辛いです。死んでしまおうかと思いました。
次も不採用になったらほんとに死んでしまうかもしれません。
ですが自分の特性を理解した今、本当に興味のあることに対してなら私はきっと輝ける、唯一無二の人材になれる。そう信じて就活を続けようと思います。
感想1
診断という一つのプロセスによって、それまでモヤモヤしていたことの理由が少しわかってホッとする気持ちと、実際に自分をどう理解し、オペレーションすればいいのかという悩みが入り混じり、気持ちの整理がついたようなつかないような、新たなモヤモヤとの付き合い方を探っているような状況なのかな?と思いながら読みました。
あなたが書いてくれた通り、違和感や生きづらさはあなた自身の欠陥ではないというのは私も本当にそう思います。そして、自分を理解するために有効な情報であることもその通りだと思いました。だからこそ、もっと早くに知る方が役に立つのではないかと思います。ただ、一方で診断されることに抵抗感がある人もいます。その背景には、自閉スペクトラム症をもち生きていくことにたくさんの困難や不具合があったり、差別や偏見、無理解があるのだろうと思っています。私の周りには発達障がいの診断を受けた人たちがたくさんいるので、あなたのように診断をすんなりと受け入れ、ホッとする人の気持ちも理解できて、応援したい気持ちになりますし、逆に診断を受け入れたくないと思う人の気持ちも納得できます。
そう考えると、単に早くに診断をすればいいということではなく、それ以上に理解が広がっていくことが重要なのだろうと考えます。そういう意味ではあなたが書いてくれた経験談も理解の手掛かりの一つになると思いました。発達障がいによる困難は周囲から見て理解が難しく、本人の努力不足の問題ではないのに、空気が読めない、コミュ障などと一方的な批判の対象になってしまうこともあります。あなたの経験談からはそういう問題ではないことがよく理解できました。そして、また、理解があっても日々の生活のいろいろなところでストレスがかかったり、上手くいかないことが多いことも事実だろうと思います。そうしたリアリティについても、あなたの経験談から具体的に伝わってきました。
なかでも、「他人と無理に合わせようとすることが少なくなり、自分の個性を尊重する」「少しずつ自分なりの方法で社会との接し方を学び、必要に応じて適応する」の2点についてとても印象に残りました。簡単なことではないですが、私自身も大切にしたいことだと感じています。つまり、裏を返すと今の社会の現実は「個性は殺して、無理をしてでも周囲に合わせる」「一律な方法とレベルで社会に適応する」ことが強く求められていることに直面化し、苦労をしてきたのだろうと推測しています。だからこそ、できる限り一人ひとりの個性が尊重され、それぞれの方法でほどほどに社会と折り合いをつけることがデフォルトになってほしいと心から願っています。
今は就活中で苦戦もしているようですが、就活はそうした今の社会の厳しい現実が凝縮している機会でもあると思っています。だから、あなたの問題ではなく、社会の問題として苦戦するのも無理はないと思っています。一般的な就活で結果を出すということを超えて、あなたが再認識した自分の個性の尊重、自分なりの方法で必要に応じた社会適応を大切していく道があることを陰ながら応援したい気持ちです。