経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

差し押さえなんてなくなれば

今年の2月。僕は、不登校だったからゲームをしていた。ゲームをしていると、突然家のピンポーンって鳴るやつが鳴った。
僕はドアをあけた。それが間違いだったのかもしれない。
突然集団で男の人が来た。
「引っ越してください」
その声を聞いた僕は、泣いた。友達と家が近いのに、どうしてこの家を離れなきゃいけないの?学校を変えなきゃいけなくなったらどうするの?
不安が押し寄せてきて、すごく怖かった。
「止める権利はあるんですか?」
そんな権利なんてなかった。強制執行だって。じゃあ、もうこの家を離れるのは確定なんだな。
そう思うと、あの集団で来た男の人に憎しみが湧いたし、死にたくなった。
男の人達が詐欺師で、ここを拠点にしようとしているのか?とかを考えたけど、セーフティだかなんだかいう会社の人だからそれはないと思った。
それで4/5に引っ越した。引っ越した場所は、僕が通っている学校の校区内じゃなかった。じゃあ、点転校するのかな。と思ったけど、役所の人から許可をもらって、今行ってる学校に通ってもいいということになったけど、引っ越す前はほぼ毎日遊んでいた友達と、月1程度でしか遊べなくなった。遠すぎて、友達が歩く時間が多いから。
この家も和風で好き。だけど、やっぱりあの家が好き。あの家を返してほしい。賃貸だったけど、賃貸でも5年間過ごすことができた。あの時家で過ごした時間は、かけがえのないもの。そんな家で遊んでいた友達との時間は、この引っ越しのせいでほとんど消えた。
死んだら、またやり直せるかな。
差し押さえは、とても怖いもの。ただの未練じゃない?って思う人もいるかもしれないけど、考えてみてほしい。
集団で来た知らない人に、家にドタドタ入られて、家をみられて、変な紙を渡される。想像するだけでトラウマになる。
こうやって、差し押さえでトラウマを植え付けられた人だっているかもしれない。僕だってそうだ。あれからピンポンに出るのが怖くなった。友達がピンポンを押す時は、事前に教えてほしいくらい。
しかも、変な紙を破ったりすると、それだけで金を取られるか逮捕される。
嫌すぎる。こんな感じでトラウマを植え付けられた人の気持ちを考えてほしい。
差し押さえなんてなくなればいいのに。そうすれば、今、僕は、友達とたくさん遊んでたのに。
あぁ、しにたいなぁ…

感想1

この投稿に書いてある出来事から数ヶ月に渡って、ずっとあなたの中にやり場のないもやもやが積もっていったのかなと想像しています。長い時間をかけてじっくりと読ませていただきました。

突然の「引っ越してください」という言葉が、簡潔でありながら重みを感じさせます。突如集団が家に入って来るという状況は、あなたの目にはこれ以上ないほど異様な光景として映ったのではないでしょうか。前の住まいはあなたがあなたらしくいられる場所でもあったように私は感じたので、日常を一変させたこの出来事があなたに与えた気持ちへの負荷を思うと、やりきれない気持ちになりました。

突然ピンポンが鳴った日からそれほど間を置かずに引っ越しをされたようだったので、慌ただしい日々を送られたのではないかと想像します。住む環境の変化というのは、日常のほとんどが変化することと言っても過言ではないと私は思っています。書いてくださっているようにご友人と遊ぶ時間が減ったこともそうですし、家で過ごす中でもいろいろな勝手の違いがあって戸惑うこともあるのではないでしょうか。前の住まいは5年ほど住んでいた愛着のある家とのことだったので、なおのことそう感じます。
あなたが差し押さえに対して感じている恐怖を未練じゃないかという人がいるのだとしたら、せめて未練くらい感じさせてほしい…と私なら思います。

印象的だったのが、「考えてみてほしい」という投げかけです。差し押さえという行為へのあなたの気持ちを発信しながらも、読み手に気持ちを押し付けることなく考えることを促していて、そこからあなたの持つ冷静さや、人の感じ方へ配慮する視点みたいなものを感じました。
加えて、ご自身もトラウマでしんどい思いをされている中、「差し押さえでトラウマを植え付けられた人だっているかもしれない」と、自分だけでなく人の感じ方を重んじているのも、印象に残っています。
これらはあなたが、あの日からいままでずっと、当時のご自身の気持ちを振り返ったり、そこからの生活の変化を身をもって感じているからこそ得られた視点なのではないかと私には思えました。このことを伝えて、感想とさせてください。経験談の投稿、ありがとうございました。

感想2

臨場感をもって、ショックな状況と気持ちが伝わってくる経験談でした。
そうやって突然、自分の意思が何も尊重されずに、自分にとって大切な家というものが奪われたことは、トラウマになるのも自然なことだと感じます。差し押さえになる事情があるといっても、子どもには何の責任も関係もないことですし、ただただ理不尽で、納得もできないことだと思いました。友達と遊ぶ機会が少なくなってしまったのなら、さらに悔しさや悲しさが大きくなるだろうと思います。

差し押さえなんてなくなれば、というあなたの気持ちはとても切実に感じましたし、私もできればそうであってほしいと思いました。
でも「○○がなくなれば」「○○があれば」は、他に何十種類もある気がしていて、「せめて突然に押しかけるのではなく、事前に丁寧な説明があれば」とか「子どもが暮らしについて希望したことを尊重する社会であれば(そうしたら少なくとも友達と遊べる距離の家にはできたのではないか?)」とか、それ以前に「差し押さえになる前に、あなたの家庭の金銭事情をサポートする人がいれば」とか、もっとたどれば「そんな過剰な借金をすることのない社会であれば」とか、いろいろな考えが浮かびました。

世間では「時間が解決する」なんて言葉もありますが、あなたの感じたショックやもやもやは、そう簡単に薄れるものではないかもしれないとも想像しています。ただ、こうやって自分のつらい経験を伝えること、誰かが同じ思いをしないように社会に提言することは、傷の一つの有効な対処法(それで全て消化できるわけではないですが…)だと感じていて、あなたにはこれからを生き抜く力があるようにも私は思いました。
どんな人生の困難や理不尽も、自分個人や自分の身の周りに起こったことであると同時に、他の誰かに起こりうることもあり得る「私たちみんなで考えていくべき困難や理不尽」だと私は思います。経験談への投稿、ありがとうございました。

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