経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

年相応な物を何も得ていない空っぽな人生

僕の人生は無努力な人生だったのでしょうか。

周りから言われたことを避けて避け続けた結果、現在32歳となりました。

32歳と言えば、どんな人間が年相応なのでしょうか。

仕事で中堅、結婚して子どもは大体小学校に上がる前でしょうか。

ローンを組んでマイホーム購入、仲が良かった友達と家族ぐるみの付き合いをしている。

未経験なのでわかりませんが、32歳と言えばこんな感じな人生なのでしょうか。

僕はここで申し上げました32歳の人間が、持っているものは、何ひとつありません。

生まれつき健常者より劣り、虐待を受け、友達と言えるまでの仲間は学生時代いませんでした。

高校はなんとか卒業、いざ正社員になっても長続きせず退職し、働く自信がなくなり、人が怖い。

そんな中職を転々妥協して介護職するも、続けていくのが辛く、生きる気力なし。

家計は年金暮らし、崩れそうな家、一応今は仲間はいます。

ですが、他人。

いざとなれば自分で頑張らないといけません。

僕は確かに努力はしてこなかったかもしれません。

しかし、常に「今よりも幸せになりたい」という気持ちでなんとか生きています。

だけど少しでも楽に生きてみたいです。

元を辿りますと、子どものころから人生に希望なんてありませんでした。

仕事をする年齢になってから僕の人生は苦しくなりました。

仕事をしてお金を稼ぐという世の中が僕を苦しめています。

そこがかわれば、僕の人生は180℃変わります。

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。私自身も、そもそも「年相応」とは何なんだろう?と考えながら読んでいました。多様性の時代と言われていたりもしますが、まだまだ社会は一般的な価値観(仕事で評価を受けたり、結婚・出産、家を持つなど)に当てはまる人=「幸せ・成功者」といったメッセージが強く、そしてそれに当てはまらない人は「不幸・ダメな人」といったようなレッテルを貼られるように私は感じています。そういう社会の風潮が生きづらさを感じる人たちを生み出している一つの要因ということを改めて突き付けられたような感覚にもなりました。
投稿者さんが過ごしてきた環境を想像すると、人が怖く感じてしまうのも無理はないなと思いましたし、否定されることが多くて自分に自信が持てず自分で何かをするという力が奪われてしまったのではないかなと思いました。また、「努力はしてこなかったかもしれない」とありましたが、過ごしてきた環境の中で、投稿者さんなりに”周囲に合わせて生きる”という努力をしてきたのではないのかなと勝手ながら想像していました。
「仕事をする」ということが負担に感じるのは、投稿者さん以外にもたくさんいるのではないかなと思います。仕事以外でお金を稼ぐ・生活ができるにはどういったものがあるといいと投稿者さんは考えるのかな?と気になりました。
今は何も得ていないし空っぽな人生だと感じているかもしれませんが、学生時代にはいなかった仲間が今いるように、この先たくさんの経験や学びを通して色々なものを得られる機会が他の人よりあることでもあると私は感じます。
投稿者さんにとって少しでも楽に生きるには社会にどんなこと・ものがあるといいかなどまた機会があれば一緒に考えたいなと思いました。

感想2

寂しそうな、孤独感がにじみ出る文章だと思って読みました。タイトルに「空っぽな人生」とありましたが、読んでみて何かを得ること、所有することへの憧れのような、希望のようなものを感じ、本当にそのようなものがあれば何か空っぽではない人生なのか?と考えています。
私が感じたのは、家や家族というより、あなたにとっては生きていくことの動機が空っぽなのではないかということでした。生きていくうえでの動機の一つが家や家族や年相応な物であり、一般的にはそれが象徴のように語られるように思います。でも、実際のところは一人ひとりが自分なりの生きていくための動機を自分なりに見つけていくことで、空っぽではない人生だと感じられるのではないかと思います。
あなたの子どもの頃のことやこれまでの経験を垣間見て、自分なりの動機を見つける環境ではなかっただろうと思います。そして、32歳になった今にいきなり見つけようとしても、難しいのかもしれません。でも、こうして自分の感じていることを書いて送ってくれたのは動機がないとできないことだと思いますので、そこに何かしらのヒントがあるのではないかと感じています。

一覧へ戻る