貢がなければ生きていてはいけない

茨城県 50代 女


わたしは女性で、4歳上の姉と両親の4人家族で育ちました。
今55歳です。

母は、双方ともに愛人を持つ両親に育てられました。
小学校に上がったころ実母に捨てられ(実母は愛人とともに高跳びしてもどりませんでした)継母からは激しい継子いじめを受けて育ちました。

父は9人兄弟のなか半ばネグレクトされて育ちました。
わずかな食べ物を兄弟で奪い合っていたとのことです。
父の兄弟たちは小学校や中学校を出ると次々と就職していきましたが、現金で渡された給料を家に持ち帰ると、その9割を親に奪われていました。

父は万引きを奨励されて育ったこともあり、職場からなんでも持ち帰る人でした。
わたしは長い間、メモ用紙やボールペンには会社の名前が書いてあるものと思っていました。
最終的には会社からスチールデスクまで持ち帰っていました。
万引きもしていて、連行された警察からわたしに電話がかかってきて身元保証人になるよう依頼されたこともありました。

母は姉が幼いころから、社会人になっても毎日のように身体的虐待を加えていました。
ただ、殴る蹴るはわたしのいないところで行われたため、わたしは長らくそのことを知りませんでした。
姉もわたしも大人になってから、姉がわたしに打ち明けた時に初めて知りました。

暴力でコミュニケーションをとることを教えられた姉は、幼稚園や学校でしょっちゅう暴力沙汰を起こし母は始終謝りにとび回り、腹を立ててさらに姉に暴力をふるったのでした。
また、わたしばかりかわいがられているのに傷ついた姉は、わたしをいじめていたとのことですが、これもまた大人になってから姉が打ち明けたことです。
わたし自身は、まったく覚えていません。
解離ではないかと思います。

わたしは身体的暴力こそ受けませんでしたが、精神的虐待を受けて育ちました。
物心ついたころから常に「早くパパやママにお金をちょうだいね」と吹き込まれ、「貢いでくれたら愛してあげる」「お前は貢がないのなら生きている価値がない」というメッセージを受け続けました。
父は一流企業に勤めており、お金には何不自由ない家です。
しかし子どもはただのATMとして扱われていたのです。

わたしはたまたま学校の成績が良かったので、「理系なら医者、文系なら弁護士になりなさい」と言われていました。
収入の良い仕事といえばその二つしか知らなかったのでしょう。
もちろん、わたしの生活の安定のためにそう言ってくれていたわけではありません。

わたしが大きくなるにつれ、両親は露骨な言い回しでお金を要求するようになっていきました。
「お前には投資してるんだからな。契約通り医者になって、たっぷり利子つけて返せよ」
「ああ、お金がない、お金がない。マンションのローンが大変」
あまりにもしょっちゅう言われるので、わたしは「そんなにお金が欲しいんだったら、わたしソープでバイトするわ」と返したこともあります。
高校生の時でした。

そのころから母は「子供なんて持つもんじゃない。迷惑ばかりかけられて、お金はかかるし、思ったように育たないし」「わたしがこんなに不幸なのに、あんただけ幸せになるなんて絶対許さない。どんな手を使ってでも阻止してやる」「結婚なんか絶対しないで、仕送りしろ」
と時々言うようになりました。

姉は売れっ子ピアニストになって稼いでくることを期待されていましたが、精神的に追い込まれた姉は心因性の腹痛に悩まされ、結局ピアノをやめることになりました。
当てが外れた両親は、さらに姉にきつく当たるようになりました。

わたしは塾にも通わせてもらい、有名中学・有名高校に合格していきましたが、姉はお昼ご飯代として一日100円だけを渡され、「お前に遣う金はない」と修学旅行にも行かせてもらえませんでした。
高校は公立進学校でしたが当然のように「早く稼いでこい」と就職を強いられました。
高校の先生は懸命にとりなしてくれましたが、姉は結局会社に就職させられました。
就職する卒業生は開校以来初めてだったそうです。
勉強が好きな姉はどうしても大学に進学したくて、一度家出をして昼は会社で夜は接客で働いて学費を稼ぎ、大学に入学することを志しましたが、夢破れて戻ってきました。
そうした姉を両親はさらに虐待し金銭を要求するのでした。

母は一方的に父を嫌うようになっていき、また姉は虐待されている、そんな家には帰りたくなかったのですが、非行に走る気は全くなかったわたしはファストフード店で遅くまで勉強してから帰っていました。

強要されたからではなく、純粋に自発的に医師という職業を選びたかったわたしは、実家から通える距離の有名大学の医学部に進みました。
下宿させる金はない、金のかかる私立大学などとんでもない、入試に落ちたら就職しろ、と言われていましたがいずれもクリアしたわけです。
合格発表を見たとき、次の瞬間に考えたことは「これでいつでも死ねる」でした。
今にして思えば、両親への復讐心の表れだったのだと思います。

当時つきあっていた男性と別れる別れないで1年ほどもぐずぐずしている間に、その男性に首を絞められたことがあります。
絞められ始めても「このまま死んでいい」と思っていたのですが、突如彼の妹のことを思い出し「あの子が殺人者の妹になってしまう」と気づいて抵抗を始めたことを覚えています。
不思議な体験でした。

また、22歳のころつきあい始めた別の人にも首を絞められ、本当に危ういところでした。
顔は溢血斑で赤黒くなりました。
彼は自殺を図るなど不安定になり精神病院に入院。その彼にはデートレイプを繰り返されました。
他の人からもデートレイプされたことがあります。

彼の入院後わたしは刃物で足のつけねの太い動脈を切ろうとしたのですが、うまくいかず失敗しました。
自死未遂後、歩けなかったわたしが入院していると、母が来てこう言いました。
「あんた、お金持ってたでしょ。それはどうしたの。」
「え、、遣ったり、友達にあげたりした…」
「親にお金を残そうと思わなかったの?この親不孝者!
抑うつ状態になったわたしは、大学の学生診療所に通い始めました。

24歳で卒業はしましたが、まだうつ状態だったわたしは医師国家試験に落ちてしまい卒業後1年いわゆる国試浪人をすることになりました。
両親は「契約違反だ」「本当だったら多額の仕送りをしてくれるはずだったのだから、できるかぎり親に仕送りをしろ」と責め立て、すっかり洗脳されていたわたしは、スーパーのバイトで自活しながらそれを受け入れました。

28歳のとき行き当たりばったりで同棲を始めた男性は板前で、自分の店を持ちたがっていました。
わたしはダブルワーク・トリプルワークで必死に働き、費用を工面しました。
彼は、そうした様々なわたしの働きには全く無関心で、当たり前だと思っているようでした。
こうすることでわたしは「生きていていい」と自分を納得させていたのです。

開いた居酒屋も潰れ彼は国外に出稼ぎに行き、わたしも遠い地に引っ越して仕事を始めたとき、「もう貢げないな」と感じたようで(意識はしていませんでしたが)淡々と離婚しました。
彼には支払い能力がなく、わたしの背負った借金は一千万円単位でした。

自分を大切にできずに暮らしてきました。
お金はあるのに、スーパーでは値引きされている商品しかどうしても買えない。
自分のための趣味をもったり自己投資したりといったことができない。
お金を持っていることが後ろめたく、欲しくもなかったマンションを意味もなく買ってはローンが返せずすぐに売ったりもしました。
給与明細や銀行の残高を見たくない。

父は亡くなり、母とは没交渉です。
わたしには過去も未来もなく、現在だけを生きてきました。
希死念慮は消えましたが、今でもやはり将来のことは考えられないでいます。
このまま生きていくのか…いつ死んでもいいです。

感想1

貴重な経験談の投稿をありがとうございます。
育った家庭環境のことをよく分析されていると思いました。そうせざるを得ないくらい、育った家庭環境があなたの人生に影響を及ぼしているのだと捉えました。
子どもだった当時は、現在のようには家庭環境のことを分析できなかっただろうと想像しています。いつ頃から、どのようにして、自分の育った家庭環境について理解するようになって、現在に至るのかが、私は気になりました。その理解の過程では、例えば「メモ用紙やボールペンには会社の名前が書いてあるもの」と思っていたのに、実はそうではないらしい、と人生のどこかのタイミングで知ったように、子どもの頃から当たり前(そういうものだ)と思っていたことが、ある時を境に引っくり返るような瞬間が多くあったのだろうか、と想像しました。その時どういう気持ちになったのだろう、ショックだったのかな…何とも言えない複雑な思いがしたのかな…別に何とも思わなかったのかな…と勝手に想像を巡らせていました。

両親から「貢」を要求するメッセージを受け続けたということで、「貢」って今の時代の日常会話ではあまり使わない言葉だなと思いました。「お金」ではなく「貢」と表現しているところに、上下関係・支配関係を感じさせられました。それを聞き続けていたら、「自分は親よりも地位が低い⇒だから従うべき」という考えに陥っても不思議ではないと考えます。

高校生のあなたの「そんなにお金が欲しいんだったら、わたしソープでバイトするわ」という返答は、父の要求に困り果てる(?)なかで思いついたのであろう巧妙なセリフだと思いました。金銭の要求に真っ向から反論すれば、どんな仕返しをされるか分からないだろうし、反論ではない「あなたの要求に応えるために〇〇します」という形で、しかしちょっと相手を困らせ、「そうだ、それがいい、そうしろ」と全肯定はしづらくさせるような返答だと思ったからです。(私は、人は困った状況の時に最も知恵が働くような気がします。)

母の「わたしがこんなに不幸なのに、あんただけ幸せになるなんて……」という言葉を見て、実際に母さんが不幸かどうかはともかく、そのような考えに支配されて生活している状態はたしかに不幸なのだろうなと思いました。母さんには、自分が不幸だと思わざるを得ない何かがあったのでしょうが、それはあなたの幸せを制限していい理由には全くならないと思います。あなたにはあなたの幸せを求める自由があると、私は思います。

また、両親のさまざまな発言は、金銭を「自分のもの」にすることを自身の生きる目的のように扱い、金銭的な損得勘定に振り回される生き様を表しているように見えてきました。金銭が「自分のものでなくなる」という恐怖や不安に駆られ、それを阻止するために、あなたと姉さんを道具のように支配しようとしていたのかなと考えると、その両親が抱いている恐怖や不安が、両親の不幸の原因の一つだったのかなと推測しました。(だから、その意味で両親の不幸の一因は、あなたと姉さんとは別のところに既にあったのだろうと思います。)

そして、姉さんが受けていた虐待のことも、詳しく教えてくださっていました。姉さんがあなたにとってある意味では重要な存在であり、また姉さんの経験した権利侵害を身近で見てきて(あるいは後から知って)、悲しみや、とても他人事にはできないような思いがあったのかなと推察します。

さらに、大学時代には、何人かの男性から殺されかけたことやレイプ被害があったと聞き、そんなことが立て続けに起きたら、この世界は危機に満ちた場所に思えそうだし、実際に今の社会はそうなっているのかもしれない…大変なことだと思いました。

28歳の時からの同棲相手のためにたくさん働いて稼いでいたというお話では、とにかく何か「生きてていい」理由が、あなたにとって必要だったのだろうと思いました。「生きてていい」理由が、かなり自分の身を削るようなものであっても、ないよりはまだマシだったのだろうか…と考えます。

現在のあなたも、金銭的な物事で、暮らしづらさを感じているように見受けました。例えばもし、暮らしの大部分が、物々交換やサービス同士の交換など、お金(通貨)を媒介しない形で回っている環境があるとすると、暮らしづらさは減るのだろうか?と考えました。どのような形で、人々が必要な協力をしあいながら暮らせる仕組みになれば、今よりも生きる希望が見いだせそうでしょうか…?

今回の経験談では、過去についても書いてくれていましたが、最後の方に「わたしには過去も未来もなく…」とありました。経験談を書いてくださったことは、「わたしにも過去はあった」と少しでもあなたの中で落とし込もうとする過程での一つの行動になっていたのだろうかと、私なりに考えています。

感想2

経験談を投稿いただき、ありがとうございます。
両親ともに、幼少期は安心して生育できる環境にはなかったのだなと感じました。
母親さんは継母からいじめを受けており、父親さんの実家では給料のほとんどを親に取られるような状況があったということで、両親の経験が子への態度に出ているように感じます。そういった生育環境が再生産されているように思えてしまい、悲しい気持ちになりました。

また、お姉さんについても、コミュニケーションの手法が暴力だったとありました。その行動様式のために起こった出来事がさらにお姉さんを追い詰めるのもつらい構造だなと感じます。

投稿者さんも、両親や他者に貢がなければならない気持ちを抱えながら生きてこられていて、自分のために何かする、生きていく気力が少ないような状況にいるのかなと想像しています。

「『生きていていい』と自分を納得させていたのです」という言葉が印象的で、投稿者さんは貢ぐことが生きる理由となっていて、しかもそれ以外の手法をとることが難しかったのだろうと考えました。

「子供なんて持つもんじゃない。迷惑ばかりかけられて、お金はかかるし、思ったように育たないし」という母親さんの言葉から、投稿者さん自身の存在を否定されているように感じてしまいました。また、「わたしがこんなに不幸なのに、あんただけ幸せになるなんて絶対許さない」という発言では、母親さんが不幸ならば投稿者さんが幸せになってはいけないなんてことはないと率直に思いました。自分と子を同一視するような、子を所有物だと感じているような、そんな印象を持ちました。

「洗脳」という言葉もありましたが、身近な存在である親から受ける言葉の影響は、大人になっても残り続ける重たいものなのだろうと感じました。

最後に、将来のことは考えられないでいるとありました。でも、「今」の連続が将来になってつながっている部分もあるよなあと個人的には考えています。(私自身、今の積み重ねが将来につながると言われたところで生きる気力が湧くわけでもないのですが……)。
一つの考え方として、そういったものもあるかなと思いました。