死にたいから生きたくないへ

【千葉県・20代・女性】


「死んでもいいかな」と初めて思ったのは、小学5年生の時だった。いじめられていたわけではない。クラスの男子と喧嘩になり、その子が「死ねよ」と言った時、ふと死のうと思った。そのまま教室からベランダへ飛び出して、周りの子に必死で止められた。自習中で先生はいなかったし、私もすぐに諦めたから、誰も先生に言わなかった。もう私以外の誰も覚えていない出来事だと思う。それからずっと「死にたい」という思いを抱えて生きてきた。

死にたいと思う理由はいくつかある。

 まず、両親のことだ。私の両親は仲が悪い。物心ついた時から、毎晩のように喧嘩する二人を見てきた。私が風邪を引いただけで、どちらが悪いと罵り合っていた。詳細は忘れたが、幼心に「私のせいで喧嘩している」と感じたことはよく覚えている。

 幼稚園は嫌いではなかったけど、先生の目が向くのは、何かに秀でた子か、いたずらっ子や危なっかしい子ばかり。良くも悪くも目立たない私は、特別褒められることも叱られることもなかった。それが寂しくて登園拒否したこともあったが、母は理由も聞かずにただ罰として真っ暗な部屋に私を閉じ込めるだけだった。泣いてもトイレに行きたいと言っても、母の気が済むまでは出してもらえなかった。母はヒステリックな気質があって、機嫌が悪いとよく心無い言葉をぶつけてきた。10歳の誕生日に動物園に行った帰り、母を怒らせてしまった時は「お前なんかライオンに食われて死んじまえばよかったのに」と言われた。母は忘れてしまったと笑うが、私は未だに覚えている。今でも誕生日は苦手だ。

 子供の頃、父は完璧な人だと思っていた。総理大臣になればいいのにと思うくらい尊敬していた。そんな父からは「皆と平等に仲良くしなさい」といつも言われた。小学校に上がると女子は仲良しグループを作るが、私はいつも無所属。良くいえば皆と平等に付き合っていたし、悪くいえば利用されていた。仲間外れにされた子は私のところにきて、仲直りをしたら私を置いて輪の中へ戻っていく。寂しさもあったが、それが私の役割だと思っていた。

中学生になり、友達に誘われて運動部に入った。ある日突然仲間外れにされ、私はその日のうちに退部した。先生にも親にも嘘の理由を話した。ある時、保護者会から帰った父の機嫌が悪かった。高校受験の説明があったようで「部活辞めたから内申書に響くって。お前の人生終わったな」と言われた。退部した本当の理由を話そうかと思ったが、話したところで「周りとうまくやれないお前が悪い」と言われるのが火を見るよりも明らかだったのでやめた。第一志望校に合格したものの、「お前の人生終わったな」という言葉はすごく衝撃的で、尊敬していた父から見捨てられたと感じた。それからというもの、仕事でも何でも、できないとか辞めたいと思うたびに、その言葉が脳裏をよぎる。言われてからもう15年も経つというのに。

父も母も気分のムラの激しい人で、私は常に顔色を窺い、言動に気を付けていた。幼心に「両親に見捨てられたら生きていけない」と感じていた。ある程度成長してからも、喧嘩になる事はあったが、親に反抗して見捨てられる方が怖かった。未だに自分と関わる全ての人の反応を窺ってしまう。上手に会話ができないのでさらに緊張して、余計な事を言ったり大切な事を言えなかったりする。そんな自分が嫌いで消してしまいたくなる。

次に、経済的問題がある。実家は自営業で売上が悪く、高校生の頃からバイト代を学費や家の生活費に充てていた。母は「お前のせいで金がかかる」と怒るくせに働かなかった。気が向いたら自営業の仕事をして、他の時間はダラダラと過ごしていた。お客様が来ると奥に隠れてしまうので、お茶出しは私がやっていた。父は自営業以外にバイトもしていたがそれでも家計は厳しく、高校生の頃は保険証がなかった。大学は行けと言うので行ったが、バイトする余裕がなくて奨学金を借りた。親が管理していたが、いつの間にか使い込んでいて、4年後期に学費未納で退学勧告を受けた。結局親が消費者金融でお金を借りて無事卒業できたが、当時はかなり情緒不安定になった。お金で人生が変わってしまうことを実感した瞬間だった。社会人になって実家を出ると、親がお金を借りに来るようになった。最初は数万円ですぐ返してくれたが、最後は20万円程貸した。未だに返ってこない。

数年前、ある事故で両親が同時に入院した。限度額適用認定証をもらうために役所に行ったら、国保の未納があって申請できなかった。確認したらそれ以外にも色々な税金が未納だと分かった。実家のある市はちょうど庁舎の建替え中で、分散された仮庁舎を一人で歩いて回り、行く先々の課で謝る羽目になった。入院中に父がせん妄を起こし、医師や看護師に暴力を振るったと連絡を受けた。母にそのことを伝えると、実は生前祖母が殴られていたとか、母自身も首を絞められそうになったとか、そんなことまで聞かされた。帰りのバスの中で、勝手に涙が出た。なぜ私ばかりがこんな思いをしなければならないのか。休日も何もする気にならず、同棲していた恋人に心配をかけ、申し訳なくなって泣いた。このままではダメだと思ったが、受診するのは大袈裟だと思って自費のカウンセリングを受けた。話して楽にはなったものの、お金が続かなくて3回でやめた。事故の件では叔母にも世話になったが、のちにお金の話で揉めたらしく、両親と叔母は不仲になった。私の結婚が決まり、叔母に電話で報告した時の第一声は「で?お祝い金くれってこと?」だった。お金で人間関係が変わってしまうことを実感した瞬間だった。

両親とは疎遠、叔母とはほぼ絶縁となった今、私は浪費がやめられなくて困っている。結婚したので必要分は貯金しているが、小遣いは毎月自転車操業だ。夫には言えないが、夫婦の貯金から拝借してカード代を払ったこともある。お金は人生や人間関係をも変えてしまうと実感したはずなのに、お金にだらしない人間になってしまったのはなぜだろうか。

「自己肯定感」という言葉を最近やたらと耳にする。本屋に行けば、自己肯定感を高めるワークブックが並んでいる。やってみたら自己肯定感が高まるかと思って開いてみたが、なにを書いたらいいのかわからない。今日の良かったことを思い出すためには、今日あった嫌な出来事も同時に思い出さなければならない。社会人になってから、人とのコミュニケーションが苦手だと嫌というほど思い知らされた。失敗ばかりが頭に浮かんで、思考停止してしまう。そしてそんな自分も嫌いだ。

最近、自殺についてよく考える。ニュースで見たり、身近でも起きた。メディアも周りの人も推論を述べ、議論し、満足そうな顔をする。第三者が勝手に分析し理由付けして場合によっては誰かを責めて、それで皆なんとなく安心して、なかったことになる。死は消費される。私はそのように感じる。

10代の頃あった自殺衝動のようなエネルギーはもうないし、かといって諦めて生きていけるほど器用でもない。何より私が自殺することで、大切な夫や友人が責められるのは耐えられない。私は「死にたい」よりも「生きたくない」と思うようになった。つらいと感じているが、何がつらいのか具体的にはよくわからない。解決のしようがない。

生きるのをやめたい。もう人生終わりでいいから。

感想1

とても詳細に過酷な幼少期を語ってくださり、ありがとうございます。ご両親のパーソナリティや経済での苦労など、様々な苦労を生き抜いてこられた方なのだなと感じました。

親による影響は大人になっても残り、生きづらさを産むこともあるでしょうし、子ども時代に親から認められることが少なく、むしろ恐怖を与えられ、否定の言葉を受けてきたのだなと思い(本来はそんなふうに子どもを扱ってはいけないのですが)、大人になった今も、対人関係での不安や恐怖が強くあって、必要以上に「人の反応を窺って」しまうのだろうなと思いました。自分のやりたいと思うことにチャレンジするのが難しかったり、そもそも何かを「やってみたい」と思うことさえ許されないと感じていたのではないかと想像しています。

経済の不安定は単にお金がない、以上の不安や不安定などの二次被害を生み出し、安心・安全感にも大きく影響すると思います。お金に苦労をしたからこそ、浪費、お金にだらしがない、というよりも物などを自由に買うことができる、という感覚を見たしたいのではないか、と私は感じました。人は必要なものだけ買って生きているわけではなく、娯楽、という買い物・体験も、例えば仕事を続けたり、安心安全を感じるために必要不可欠なものだと私は個人的に思っているので、今は浪費(という言葉は適切ではないかもしれませんが、そう表現されていたのでそのまま使わせていただきますね)をすることで安心・安全、もしくは当時満たされなかったものを買っているのかな、と感じました。

生きる、ということは平等ではなく理不尽だな、と思うこともあります。上を見ても下を見てもきりがなく、これだけの経験をされてきて何故私が、と思うのも当然だと思います。ただ、今回経験談を読ませていて感じたこととしては、これだけの体験をされてきて、新たに人間関係を自分で作り、貯金もされ、というところまでご自分を育ててこられた、というのはあまり簡単に誰にでもできることではないと思いました。そのなかで手助けしてくれる人はいたのでしょうか…?もしかしたら一人でものすごく頑張ってこられて疲れていませんか…?

自己肯定感、を持てたら生きる上で少し息がしやすくなるのかな、とは思いますが、お金に苦労をし、親に苦労をし、人間関係にも影響してきた日々からここまでこれたご自身のことを、認めて、褒めてあげてもいいのでは、と思います。それほどのことを生き抜いてきたのですから、お小遣いの範囲で浪費をする、で留まれているご自身を、赦してあげてもいいのでは、と思うのです。

生きる、というのはつらく、苦しいことが多く、生きていればいいことあるさ、なんてことは思っていないですし、つらい日々を送っていると生きていたくないと感じるかと思います。ですが変な話、死ぬのはいつでもできると私は思っているので、これまであきらめていたこと、や、我慢していたこと、やなんかを自分に赦してあげてやってみる、ということを、人生終わりにする前にぜひやってみてほしいな、と思いました。

感想2

小学5年生の時に、ふと死のうと思い、そのまま教室からベランダへ飛び出した出来事は「死にたい」ということを自覚したきっかけだったのかなと考えていました。両親の不仲やあなたへの両親の関わりによって、のびのびとした子ども時代ではなかったのではないかと感じています。バイト代を生活費に充てることは本来やらなくてもいいことであるはずですし、両親の税金の未納についても本来負う必要のない責任のように感じます。とはいっても、心理的には負わざるを得ないと思ってしまう状況だったのかもしれないなとも想像しています。そうした状況にいると、我慢しなくてはならないことが多かったり、傷つく経験も多かっただろうなと思うので、生きていることが嫌になったり、死にたいと思うのも自然のことだと思いました。常に親の顔色をうかがい、言動に気を付けていたとも書いてあったので、特に自分の感情を素直に表現することは我慢し続けていた(今もでしょうか…)のかなと私は考えています。

私たちは自らの意思でこの世に産まれてくるかどうかを決められないので、死にたい、自殺したいと思う気持ちを他の人がとやかく言うことはできないと思っています。ですが、メディアはあなたが書いてくれていたように、推論を述べたり、議論しているなと思います。そうした様子を見ると、「自分が自殺したら、身近な人が責められるかもしれない」「自殺するのはよくないことなのだろうか」と考えてしまう人がいるのではないかなと考えています。だからこそ、あなたの「死にたい」も「生きたくない」に変わったのではないかと想像していました。エネルギー量や表現の仕方は変わっていても、本質的な部分は変わっていないのではないかなと感じました。

私が経験談を読んで想像したことばかり書いてしまいましたが、全然違っていたらすみません。違っている場合、気が向いたらでよいので、その違いについて教えてほしいなと思いました。経験談の投稿ありがとうございます。

【感想へのお返事】

感想のコメントありがとうございます。

思い返せば、私の考えが親の思い通りにならないとき、怒られるよりも否定の言葉を投げ掛けられることの方が多かった気がします。私がいかにダメな人間だとか、○○な人間でなければ△△になれない(○○じゃないお前にはできない)など。

自分の気持ちを伝えるとき、怒られるかもという恐怖心以上に、「どうせ私は相手の反応を窺い、自分の気持ちに蓋をしてでも相手の気に入ることを言うだろう」と諦めに近い感情があります。気持ちに蓋をしているだけなので、それは時々溢れることがあります。でも今更本当の気持ちなんて言えない……と考え、涙と一緒に流してしまいます。

死にたい→生きたくないへの変化については、まさにそうかもしれないと感じました。ありがたいことに、優しくて穏やかな夫と猫達と暮らすことができ、友達とも狭く深く長い付き合いができています。生きたくないけど、私が死にたいと言ったり、自殺したらきっと悲しませてしまうし、自分を責める人もいるでしょう。

私だって心配をかけたいわけではありません。でも誰かに話を聞いてもらったり、負の感情を吐き出したくなります。偶然でしたが死にトリさんを知ることができて本当に良かったです。世間的には悪と捉えられてしまいがちな『自殺』や『希死念慮』について、自由に発言できる安全な場だと感じます。

経験談の執筆を通して、改めて自分のバックグラウンドを振り返る良い機会になりました。感想をいただけるということは、誰かが私の経験談を読んで、私の経験や気持ちを想像くれたということで、それがなによりも嬉しく感じます。本当にありがとうございました。