経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

働くのが苦痛

新卒で、公務員として働き始めました。地方労働局の職員として勤めて、4ヶ月目になります。
労働って、どうしてこんなに辛いのでしょうか。もう働きたくないです。でも働かなければ生きていけないし、そうするともう辛さから逃れるためには死ぬしかないのでは?という考えになってきています。
働き始めは、環境に慣れるのに精一杯で、常に気を張っていました。職場の人が気に入るような言動をしなければいじめられる、異常者だと思われる、と強迫観念めいた考えを持っていました。そのため職場内の全方向に気を使って、全く気を抜けず、疲れきっていました。
今はだいぶ職場にも慣れてきましたが、今度は外部との電話のやり取りが苦痛で仕方なくなりました。私は1ヶ月に100本以上、外部に電話をかけなければならないのです。内容は書類の不備や、手続き漏れなどがあるので直してほしい、と相手方に伝えるものです。
そうすると、時々ひどい対応をする相手に当たることがあります。はじめから怒り口調でこちらを責め立ててくる人、喧嘩腰の人、いちいち神経を逆なでする言い方しかしない人…。そういう相手に当たるたびに神経をすり減らし、なぜ私は何一つ間違ったことをしていないのに、責められなければならないのかと理不尽さを感じます。怒鳴られるだけならまだしも、そういう相手は処理に必要な手続きもしてくれないので、仕事が滞ってますますストレスになります。
上司や周囲の人は、「慣れるしかない」「趣味でリフレッシュするしかない」「あなた個人に文句を言ってるのではなく組織に言ってるのだから気にしないほうが良い」「そもそも仕事をそんなに熱心にやらなければ良い」というようなアドバイスをくれます。
でも私は、まだ新人だからかもしれませんが、そんなふうに上手く切り替えたり割り切ったりできません。嫌なことを言われたらふつうに傷つくし、悲しいし、びっくりするし、ストレスです。そういう負の感情をうまく消化できず、ずっとモヤモヤしてしまう自分自身に、さらにストレスがたまります。先輩達はみんな平然として上手くやっているのに、なぜ自分はそれができないのだろう…と。
最近は、職場で電話をしようと受話器を持つだけで、手が震えて心拍数が上がるようになってきました。休日も必死で仕事のことを頭から振り払いますが、すぐに考え始めてしまいます。このままでは本格的に精神を病んで鬱病になってしまう、と危機感と恐怖があり、それもストレスになっています。(大学生の時、鬱病1歩手前まで行き、死しか考えられないくらいに精神を壊した経験があるので、またあの状態には戻りたくないと思うのです。)
労働局の職員が、労働で病むなんて皮肉なものだと思います。でも周囲の先輩方もみんな、業務過多と多忙と理不尽さと薄給でうんざりし、辞めたいとしきりに繰り返しています。頑張って試験に合格して入職したのに、その先がこんな環境だったなんて絶望しかありません。
やっぱり死んで何もかもから解放されるしか、道はないように思えます。どうしても耐えられなくなったら、自殺の名所か何かに行って、死んでしまおうと思っています。その時はお気に入りで一張羅の外出着を着て、精一杯おしゃれして、花束なんか持って、好きな音楽なんかを聞きながら、きれいに死のうと決意しています。
私はどうしたら心安らかになれるのでしょうか…。

感想1

新卒の仕事から4ヶ月…一般の会社で働いたとしても社内外の業務や人間関係にまだまだ慣れない時期だと思いますが、労働局のお仕事はさらにしんどいことは想像に難くありません。様々な職業分野の求職者、労働者が利用しますし、雇用や労働に関する多岐に渡る業務に携わるイメージがあるので、専門的な対応を迫られるのかな…と勝手に色々想像していました。
職場の中でも警戒を切らさずに働いていることが印象的でした。嫌われないように、普通から逸れないように人間関係に気を張っているのは何か過去の経験やその時に獲得した生きる術がそうさせているのかどうかとても気になりました。経験談を投稿してくれる方の中には、なぜしんどいのか自分でもわからないという方も少なくない中で、あなたは自分でしんどい理由もある程度わかっているように私には見えましたし、だからこそ余計にしんどいのかなとも思えます。
1ヶ月100件以上の外部への連絡に対して「この会社の担当者はどんな人だろう…また怒鳴られないかな…。怖いな…。」とか考えながら意を決する気持ちで電話をするあなたの姿を想像しました。理不尽に怒鳴られるんですからたまったものではありませんね。そういった言動を個人で受け止めるか、労働局の職員として受け止めるかでだいぶ折り合いのつけ方が変わるのかもしれません。しかしそれでも“負の感情が伴った言葉”というのは深く長くダメージとなって残るものです。例えば幼少期など過去の経験から暴言などのトラウマがあれば尚更他の職員さんが言うように簡単に仕分けはできないと私は思います。カスハラやパワハラ等のハラスメントは自分の立場を優位にすることで負の感情を解消している不当な行為です。特に若くて対応が慣れていないと余計にそこに付け込んでマウント取ってくる相手先もいるのではないでしょうか…。(私もホテル業の頃にお客さんから何度も理不尽なこと言われたことを思い出しました。2回しか宿泊していないお客さんから「俺の顔覚えていないとは失格だ!」とか)
周囲の上司などはあまりあなたのこころの深刻さまでは理解していないか、紛らわせようとアドバイスしていそうですね。そもそも新人さんが最初から仕事の力を抜けないですもんね…きっとあなたもきちっと仕事をしようとされる方なのかなと想像していました。
あなたがこころで感じている苦しさを身体がちゃんとSOSを出しているようです。一度や二度は考えたこともあるかもしれませんが、上司に部署異動について相談することはハードルが高いでしょうか?周囲もみんな辞めたいと言ってる環境であればそんな簡単に行かないのかなと思いながら…。思い切って仕事を休んだり辞めることも想像、検討してみてはどうでしょうか?私はこれまで6回くらい転職しています。(今指を折って数えました)給料が安いから、飽きたから、イメージと違ったから、自分が向いていなかったから、身体を壊したから、どうしようもない上司だったから、倒産したから…様々です。
あなたが投稿の最後の方に書いてくれたきれいに死にたいという思いを読むと、どこかあなたの繊細さや丁寧な生き方を想像せずにはいられませんでした。私はこうやって経験談の感想を書いている時が不思議とこころ穏やかになれるんです。なぜかは解明しきれていないのです。嘘でも表面的でもない本質的なやり取りができるからかな。
きっと今は仕事への不安や怖さで頭がいっぱいでプライベートもこころを休めていないのでは…。今回のように言葉にするとちょっと違う角度から物事を見たり、可能性を探したり、問題から一歩距離を取ったりすることもできるかもしれません。
つぶやくだけのコンテンツもありますから、よかったらまた死にトリを活用してみてください。つい色々想像していたら感想が長くなってしまいました。投稿ありがとうございました。

感想2

それは確かに働くのが辛すぎる・・・と心から頷きながら読みました。
「嫌なことを言われたらふつうに傷つくし、悲しいし、びっくりするし、ストレスです」という言葉に、本当にその通り、と言いたくなりました。そういったストレスを消化できるタイプの人間もいるのだろうけど、消化するのが苦手なタイプの人間もいると私は思うし(私は断然こっちです)、それは良いも悪いもなく個性だと思っています。世の中は「慣れればどうにかなる」的なメッセージをしばしば送ってきますが、そんなものは「黙って社畜になりなさい」という世の中からの押しつけ(とまでいうと極端すぎ…?)だと私は主張したいです。

私たちは「就職する」を半分ゴールのように感じがちな気がします。でも、仕事は実際にやってみないとわからないことがたくさんあります。私は最初はやりたい仕事に就いてキラキラと夢を追いかけて、向いてなくて鬱病になって、なんとなく流れでバイトから別業界に入って、そこで頑張ろうとスキルを積み重ねたのに、やっぱりなんか違うかもとまた全然違う職につきました。
正社員じゃない時期の方が多かったし空白期間もあるし、自分のキャリアに後悔や不安が襲ってくるときもあります。それでも今は、そうやってこないと病んで死んでた気がするから正解といえるのだろう、と思っています。
(自分語りすみません・・・)

こんなことを言っても現実は簡単に変わらないから虚しいかもしれないですが、今の労働のあり方は、随分と不健全なものだと私は思っています。うんざりして絶望するのも、むしろ健康な反応だと言いたいくらいです。
働くのにうんざりして絶望している人が、全員仕事を辞めちゃったらどうだろう…?と、私は時々妄想します。そうしたらいろんな社会の機能がストップして、きっと大変なことになるだろうけど、「このままの労働のあり方じゃダメなんだ」とは、全員気づくことにはなるのかなあと。

なんだかとりとめのないことばかり、無責任に語ってしまいました・・・すみません。あなたの言っていることはどれもまっとうだと感じたあまり、世の中への疑問や、早く変えなきゃいけないのに…というもどかしさが疼いてしまった気がします。
辛さから逃れるのは現実問題簡単じゃないかもしれないけど、何かしら方法はあると私は思う(いや、そう信じたい…)し、死にトリはそういったことを一緒に考える場でありたいと思っています。

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