中学に上がる前、発達障害と診断されました。自閉スペクトラム障害とADHDの混合だそうです。
以来”自分は普通ではない”という思想に取り憑かれて、希死念慮に苛まれていました。幸いなことに、中高ではそういう状態の私を気にかけて話を聞いてくれる良い友人たちや先生に恵まれたおかげで何事もなく卒業できました。
ただ、去年進学した大学ではいまだにうまく馴染めていません。いつもひとりです。周りはみんな誰かと登校したり、誰かとお昼を食べたり、とても楽しそうです。
ひとりぼっちなので、大学のバスに乗ることができなくなりました。お昼ご飯も大学で食べられなくなりました。そもそも課題をいつも忘れる問題のある生徒なのに、とうとう出席までしなくなったため単位はほとんど取れませんでした。
気分転換にアルバイトを始めようと思いました。
大学がダメならと思って意気揚々と応募したのに、1つ目は書類で落ちました。2つ目、3つ目、4つ目は面接まで行って落ちました。
友達はできない、大学は不登校、アルバイトは落とされる。もう自分は社会に必要とされていないのだと確信しました。
それでもどこかは必要としてくれるのではないかと頑張って応募したアルバイトに最近ようやく合格しました。でも初出勤が怖くて逃げてしまいそうです。体調不良だの家庭の都合だのと嘘をついて延期し続けています。
普通の人はこういうとき、逃げたりしないんでしょう。何が怖いかもわからないんでしょう。
なんで私は普通の人みたいに頑張れないのでしょうか。
このまま社会人になって働いていく未来が見えません。
はやく死んでこの人生から逃げたいです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
普通になれない
感想2
経験談の投稿ありがとうございます。発達障がいの診断を受けているということで、得意なこと・苦手なことが沢山ある中で新しく取り組まなければならないことがとても多かったし重なったのだろうなと読ませてもらいながら感じていました。
「普通」って難しいですね。どんなことが普通でどんなことが普通じゃないことなのかと私はよく考えます。ただ、こうなるのが当たり前とか、こうだったらいいなという理想と現実の自分にギャップがあると死にたいと思う気持ちにつながると考えているので、もし良かったらあなたの理想について整理する機会をもってみたいなと思いました。
感想1
「普通」の不思議な力と、それが「学校」や「就職活動」の場面でより不思議な力の効力が発揮される現実を思いながら読みました。何かができること、しかも企業や組織、社会の都合に合わせられる人が必要な人であって、そうではない人は人間として否定されているような気持ちになってしまう場面がたくさんあることをあなたの経験談から、再認識しています。本当は社会や組織の都合に合わせなくてもいいこともあるし、あなたはあなたなりの力や意欲があるなずなのに、それがマッチしないだけで、すべてがダメであるかのように思えてしまうのはなぜなのかなと考えています。
また、発達障がいの生きづらさがとてもわかりにくいし、誤解もたくさんされるように感じています。私はこれまで発達障がいの当事者の方たちと関わる機会がありましたが、あなたのように分かっていても行動ができない、分かっているからこそ思うように動けない、そして動けないことによって自己否定を強めるという苦しさを経験している人が少なからずいます。何が怖いかわからないし、どうしたらよいかのイメージができずに、何も出来なくなってしまっているのなら、死んだ方がましだと思っても無理はないと思いました。
言い換えると、世の中が「いわゆる普通を基準」にしてしまっていて、その普通からはずれることに不安を抱き、我慢して適応する、適応できないと社会不適合者というレッテルを貼られてしまうようなスタンダードができているのかなと思うのですが、私はそのスタンダードには強い疑問と違和感があります。そもそも「いわゆる普通」なるものが本当にあるものなのかも怪しいと思うときがあります。
本来は社会とは一人ひとり違う人間の集まりであり、発達障がいでも一人ひとり異なっている、多様な人たちの集合体だと思います。そうした当然の多様性を前提としていない現実の中で、ちゃんと立ち止まったり、逃げたいと思っているあなたの感性や心のあり方に私は共感しています。ただ、嘆いているだけでは何も変わらないので、これから私たちはどうしたいいのか?と考え続けています。ただ、苦しい気持ちを抱えている人がこうして率直な気持ちを届けることには意味があるし、そこからしか始まらないのかなと思っています。