死にたいと思うようになったのは社会人になってからだ。学生時代も辛いことはあったが、なんとかなった。働かず家にずっといる父が嫌いで、高校の時に両親が離婚。そんな自分にとって「母を悲しませる事」と「働かない事」だけは絶対にしないと思ってた。
しかし新卒で入った会社を1ヶ月で退職。初日から挨拶は無視され続け、まるで居ない人のように扱われ、体調不良になり辞めた。その後も職場を転々としたり、仕事をせず家にずっといた時もあった。まるで自分が嫌っていた父と同じで吐き気がした。ストレスで声が出ない事もあった。母を悲しませ、できそこない娘で嫌になり死のうと思い、気づいたら道路の真ん中にいた事もあった。「休んでもいいんだよ」とは言うけど、どれほど休んでいいのかも分からなかった。
今の職場は一番続いている、今年で3年目。ただ体調不良は未だに続いており、過敏性腸症候群を患ってしまった。月に1回は休んでいる自分が嫌いだ。職場の人も呆れているんだろう。今の仕事では「何でも屋さん」扱いをされ、それに疲れた。学生時代はあんなに健康的だったのに、社会人になってから体がおかしくなった。休みたい。でも休むってどれくらい休めばいいんだろう。もう疲れた。
感想1
あなたの人生の中で「母を悲しませる事」と「働かない事」が重要なのは、きっと、それがあなたとあなたの母親さんの生活に大きな影響を及ぼすことだったからだろうと思いました。
また、ただでさえ、「働く」ことに対する世の中の圧力はとても強いと感じています。ただ、それは本当に「働く」だけが重要な選択肢だからというよりも、自己責任論な風潮の強さによるものではないかと私は思っています。またこの「自己」でどうにかならないことが「家族」の責任として押し付けられがちで、それもまた悪しき風習だと感じます。その中で「働かない」が難しいこと、「休む」ことがわからなくなるのも無理はないと思いました。
私自身は仕事はしてもしなくてもいいと思っていますし、労働を社会が強制してくる圧力が強い時、そこでは人権侵害が起きていると考えています。休むのは「やってもいいこと」というよりも、人間(というかいきもの)すべてに必要な当然のことだと思います。
ただ、そうはいっても「休むってなに?」ということだと思いますし、私も模索する日々です。読んでいて、「休みたい」はあなたの心身のサインだと感じましたが、休むこと自体にも不安を感じることがあるかもしれないですし、休み方も期間も正解がわからないもので難しいなぁと思います。
個人的に、私も「母を悲しませ」「まるで自分が嫌っていた父と同じ」であると感じることで死にたいという気持ちを感じてきた、ということがあり、勝手ながら共感を感じて読んでいました。今でも私の中にその気持ちはあるので、解決方法がわかるわけでもないし、自分でうまくできているわけでもないのですが、あなたがあなたにとって暮らしやすい方法が少しでも見つかるといいな、と思っています。
経験談を投稿してくださってありがとうございました。