経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

誰にも気づかれたくない

小さかった頃、何をしても母親に怒られた。タオルでたたかれたりもした。だから誰にも気づかれないように足音をたてず、食べる時も飲む時も音をたてず、できるだけしゃべらないようにしていた。父親は無口な人でアルコールを飲んでいない時はやさしかった。飲むとあばれて母親に暴力をふるっていた。
ある日、母親が家から出ていった。それからしばらくは周りの大人がとてもやさしくしてくれて幸せな日が続いた。でもまた突然母親は帰ってきた。私はあきらめの気持ちでいつもの生活を続けた。ただ、許せなかったのは母親がいない間、やさしくしてくれていた大人たちがそうではなくなったこと、そして誰も母親を責めなかったこと。子どもを捨てて出ていった母親を受け入れた大人を信じられなくなってしまった自分。もう、誰も信じられなかった。
とにかく耐えてアルバイトをたくさんして家を出た。就職をして就職先の寮で一人暮らし。なんとかやっていける。そう思い始めた時に母親から借金があるので払えと。テレビも電話もない生活、家に帰ると気を失うようなきつい仕事を続けて月6万ボーナス時10万を払い続けること8年。母親が「2年前に借金払い終わったからもういい」と。そこからは連絡をとらないようにしていたら、警察に行方不明者届けを出すと言われた。
50も後半、そして起きてきたことをこれだけ客観的に話せるようになったのに、感じてしまう不安。
私が生きていることを誰かが気づいてしまわないだろうか。音をたてない生活は今も続けている。自分の行動が母親のそれと似ていると思った時の不安。私はああなってはいないだろうか。
このままきづかれずにひっそりと人生を終えたい。
文章がまとまらなくてすみません。それに私なんかがこのようなところに投稿してすみません。存在してはいけないのに。

感想1

「気づかれたくない」という言葉に切実な感覚を持ちました。読んでいるとなるべく気づかれないようにすることは、幼い時、あなたが自分自身の身を守るためにとれる数少ない方法だったのだろうと感じました。逆にいうとそうでなければ、そしてそうやっていてすら、危険のとても多い環境だったということだと思います。周りにいる大人を信じようにも信じられない中で、あなたの身ひとつで自身を守らねばならなかったからこそのサバイバルスキルだと思いました。
「起きてきたことをこれだけ客観的に話せるようになったのに」という言葉が印象的でした。この言葉は裏を返せば、長く、あなたの過ごしてきた生活やあなたの思い、不安などを話すことも、考えることも難しかった時間があったということだと思います。客観的に話せるようになるまでにはどのような変遷があったのだろう、と思いました。
また、家を出てからもあなたはあなたの生活を着実に続けようとしてきたのだろうと想像しています。ただ、母親の借金を払うなど、影響が絶え間なく続いていただろうと思います。借金の返済が終わった今でも連絡を拒むことが難しい状況では、不安を感じるのも無理はないと思いました。
「音をたてない生活」を続けていると書かれていて、その中で、あなたはいまも危険や暴力などに耳をすましているのかもしれない、とイメージしています。この経験談全体を読んでいて、あなたがこれまでそうやって生き延びてきたことに敬意を表したい気持ちになりました。また、あなたにとって少しでも落ち着ける場所があったらいいとも思いました。言うは易しだと思うのですが…。
私はあなたが存在してはいけないということは絶対にないと思います。あなたの言葉によって、あなたの思いや苦しさを教えてもらえてとてもうれしく思います。そこにいて、そして経験談を送ってくださってありがとうございました。

感想2

家族という集団の特殊性や親という存在の特権について深く考えさせられました。あなたの母がやったことを親ではない他人があなたにしたとしたら、明らかに犯罪行為であり、当たり前に拒否をしたり、誰かに相談したりできるのに、親と子どもの間になぜか分からない特殊な関係性や親の特権が刷り込まれていて、そこから逃れられないことは本当におかしなことだと私は思います。少し距離を置いて考えるとそう思えることも、実際には見えない鎖のようなもので縛られて、逃げることができない何かが働いているように思いました。
あなたは子どもの頃から、大人に翻弄されながらも、自分を守るために息をひそめたり、もくもくと働いたり、親の借金の肩代わりをしたりとあなたなりの選択や行動を積み重ねてきた年月が確かにあることが短い文章からにじみ出ているように思いました。
一つ、情報をお伝えすると「捜索願不受理届」というものがあります。大人になってから自分の意思で家族から離れたいけれど、捜索願を出されて探されてしまう心配がある際に警察に届けるものです。(すでに知っていたら余計なお世話的な情報ですが…興味があれば調べてみてください)
ただ、あなたの不安はそうした物理的な対処で必ずしも解決することではないのかなとも想像しています。心身に刻み込まれた自分への抑制や恐怖や不安のようなものが自分の意思とは関係なく、ちょっとしたことでざわざわと動き出すようなそんな感覚なのかもしれないとイメージをしています。最後の「存在してはいけない」という思いが湧き上がるのもその一つなのかなと思いました。
タイトルには「気づかれたくない」とありましたが、気づいてほしいという気持ちもあるのだろうと感じています。私はあなたが確かに経験してきたことの一端を知り、そのことによって今の社会の中にある理不尽を再認識できました。そのリアルな声を届けてくれたことに敬意をお伝えしたいと思います。死にトリを見つけて、書いて送ってくれてありがとうございました。

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