経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

異邦人

病院の中で、この投稿を書いています。とはいっても、病気なわけではなく、新薬治験の有償ボランティアで、入院しています。こんな感じで、生まれてからずっと、何となく周囲とのズレを感じて生きています。病気でもないのに、病院にいるような、、。それは大きいものではないですが、例えば、小学校で浮いていじめられたり、中学校で「いじられキャラ」だったり、高校受験や大学受験に失敗して浪人をしたり、社会人になっても職場を転々としたり、、人に話をすれば、誰にでもあるような経歴だと思うのですが、自分の行動の一つ一つが、社会とか、人間にそぐわないもののような気がして、かといって別にそれが毎日、大きく辛いわけではないのですが、ふと夜にやるせなくなり、夜中に外に出て歩いたり、、ここまで書いて、別にすごく変なことはしていない、と思うのですが、うまく言えない、社会人にも、地球人にもなれない、地球異邦人の自分がいるようで、この先を生きていくことが、ちょっぴり、見えなくなります。
PS:発達障害の知能検査もしたのですが、グレーゾーンとの診断でした。はあ、何者にもなれない、、。

感想1

周囲の人たちとの感覚のズレ、わかるー!と思いながらお読みしていました。例えば、誰かとある場所を共有している・同じ空間に存在していたとしても、投稿者さんが「その集団にいると安心する」だとか、「このグループに所属している」と感じられる経験が少ない/無かったのかなと思いました。加えて、日本では「どんなに苦しくても我慢して一つのことを最後までやり遂げる」のが美徳とされることが多い中、職場を変えることでどこに行っても「よそ者」「変わり者」扱いされることがあるだろうと(私自身の経験も含め)想像しています。
ただ、それはそれで、人間関係がしんどくなったら別の場所にうつることが出来るという、「フットワークの軽さ / 風通しの良さ」として捉え直すこともできるかもしれません。
 私は以前「風の人・土の人」という話を聞いたことがあり、自分自身は絶対風だなと感じている派です。その意味で、投稿者さんがご自身が好きなことを深掘りしたり、「その生き方・スタンスって良いな」と思うような人・考えに触れる機会(参考になる・ロールモデル的な)やつながりができたりすると良いかもと思っています。(私も色々な生き方・考え方に触れて、私流の楽しい生き方やスタンスを作っていきたいです。)

もしまたやるせない気持ちが出てきて、歩いている時にふと風が吹いたら、別のどこかでもぐるぐると悩んでいる人がいることの知らせかもしれません。
投稿者さんがやさしい風に包まれて、凪のような穏やかで安心した気持ちを感じられますように。
経験談の投稿、ありがとうございました。

感想2

​​経験談に投稿してくださりありがとうございます。
投稿者さんの文章を読んで、学校や受験を乗り越えた先で、社会から認めてもらえるようなアイデンティティを獲得しなければならない人生のハードモードさを痛感していました。「誰にでもあるような経歴」と書かれていましたが、いじめや自分の望まない(とは書かれていませんが勝手にそうなのかなと想像しました)キャラクターを押し付けられる等々の経験はしんどいと思いますし、社会との摩擦で起こった挫折を克服して、糧にしないといけないという風潮もグロテスクだな、と感じます。
それから最後の「何者にもなれない」という言葉に共感しました。自分の場合、地面から数センチくらい浮いている感じがするけど周りからバレないというか、それならいっそ大胆にぷかぷか飛んでいたら良かったのに、という感覚があります。例え方も変だしそういうところなんでしょうね……。この先を生きていくことに自分も不安はありますが、必ずしも不安ばかりではなくて、浮いてる自分に気づいて面白がってくれる場所に出会えるかも、という期待もあります。出会えなくてもそれはそれで、1人で楽しくやっていけるような気がする能天気な自分もいたりします。
なので、異邦人なら異邦人なりに楽しく生きる方法があるかもしれません。なかったら……ごめんなさい。異邦人もどんな人も、心地よく生きていける社会(地球?)になることを願うばかりです。

感想3

投稿ありがとうございます。
「自分の行動の一つ一つが、社会とか、人間にそぐわないもののような気がする」という言葉に惹かれて、感想を書きに来ました。というのも、私はこれまでいわゆるアウトサイダーとして生きてきて(というか、そうでしか生きてこれなかった)どこかいつもひとりだなぁ…と感じてきたためです。それこそよく「やるせなさ」を感じていて、周囲からも「変わった人」と思われていたように思いますが、一方でそれは私の場合には時に心地よくもあった(ある)なと感じています。今回あなたの投稿を機にその理由を考えてみたのですが、私がそう感じるのは「何者かでないといけない」という社会の常識?みたいなものが幻想にすぎないんだな、と気づいたからだと思いました。アウトサイダーだからこそ見える世界があり、アウトサイダーだからこその生き方や経験があるのかもと思い、社会の常識に入らなくてもいいと、そうやって生きるのもひとつなのかと思えたのかもしれません。ただ、あなたの場合にはいじめなどの傷が疼いているようにも私には感じたので、そうした傷がきちんとケアされるといいなとも思ってもいます。そうやってあなたがあなたの傷をケアしながら、異邦人としての道を歩んでほしいと個人的に思いつつ、そういう生き方がもっと気軽にできる環境や社会にしていきたいなと感じました。

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