経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

過去、今、未来、何もかも

まずは過去

私は幼稚園のころ、三人組にいじめを受けていました。

いっつもあの場所では『お前なんかこの世に必要ない』『消えろ』『ゴミ』『カス』
数々の罵詈雑言、暴力の数々…

助けを求められなかった…
父は仕事、母は心の病気……
何かに縋ることさえできなかった

ただ逃げ続けるだけの毎日

幼稚園ではいじめ
家庭では粗相をすれば母からの暴言、暴力 
父からの無干渉

それが異常であることを知ったときにはすでに私の心はぼろぼろだった

小学校の時には親友ができたが引っ越しで別れ、過去の傷からか人との関わりを拒むようになっていった…

その時には私は何かに縋っていないと心が保てなくなっていた。

その時に縋っていたのは何事にも縛られない自由の象徴『空』だった……

縋ったものにしがみつき生きて生きて生き抜いて中学校

その時に私は運動を始めた。

体に努力が目に見えてすこしの自信になった…

しかしその自信もあっという間に崩れ去った………

自分より『出来る』人が大勢いた

大会でも初戦敗退している『出来ない』自分

大会で優勝を飾った『出来る』ひと

その『才能』に『努力』に私は大きな劣等感を抱いていた……

その時には自分の過去について振り返ることがあった……

いじめられていたときに誰が認知して助けてくれようとしていたか……誰もいなかった……愛情は感じていたか……そんなものはなかった………己はなにか………何にでもない失敗作……俺は失敗した……この世を生き抜く力を持てない………ただの失敗作

そして今

心の傷が体の痛みとして現れ始めた………
まるで……これはお前のせいだ……お前が失敗作な罰だ……と言っているかのように……
そして私は縋っていたものを親によって『現実』という名の不条理で砕かれた……『自由』を望んだ私にあったのは世界から決められた『規範』だった……その時に私は親への信頼というものを捨てた……

『規範』を捨てたい…誰にも縛られたくない
『自由』が欲しい…誰にも邪魔されたくない
ただ己のために生きる……
それだけの力が欲しかった……
それでも今私は縛られている……
何よりも嫌いな『規範』に………

そして未来

社会はより優れた、従順な人材を求める……

この当たり前であるはずの仕組みに私は嫌悪感を隠しきれなかった……

まるで人を吟味しているようで………
人は『価値』を自分で決められない………
私はただの『代替品』であり代わりはいくらでもいる……

そう思えて…
この世界にひどく恐怖を覚えた……

それが私の心の内です…

人を恐れて逃げて信用しようとしなかった

何もかも絶望した私です。

感想1

過現未にわたる経験談投稿、ありがとうございます。幼少期にいじめの被害に遭った際、頼ったり甘えたりする存在や安心できる場所の無かったということ、そして小学校ではせっかく仲良くなった親友がいても、引越しで遠くへ行ってしまったということで、誰に対しても心を開くのが不安になるのも無理ないなと思いながら、書いて頂いたことをお読みしていました。
 また、中学生のころ運動に打ち込むことで取り戻そうとした自己肯定感と成功体験があっても、いざ同じ競技で優勝まで行く人たちと投稿者さんご自身とを比べてしまう中で出てきた「失敗作」という言葉が、強く印象に残っています。そうやってリフレインする、ご自身を責める言葉と、関連して出てきた心と身体の痛みを抱えながらも、それでも「規範」から「自由」になりたいと切望している姿を想像しています。
 未来のパートでは、就活のことかなと想定してお読みしました。私は現行の就活のスタイルに懐疑的な立場です。それはまるで魚の市場で競りをするかのように、たかだか15分の面接などで人材の「価値」が測られ、買われていく(採用されたり・落とされたりする)状況がおかしいと思っているからです。そのため、投稿者さんが書いた「優れた、従順な人材を求める」というシステムへの違和感や不安感に関する箇所をお読みしながら、本当にそうだよな、と強く共感していました。
 最後のパートでは「何もかも絶望した私です。」と書いていました。ただ、今回ここに書き込んでくれたというところには何かしらの意味があるのかもしれないとも想像しています。それは、絶望する気持ちがありつつも、規範に縛られずに生きることであったり、誰かに心を開いて繋がることを切望しているのかなと思いました。そして、そこにはきっと希望もあるのかもしれないということです。
 投稿者さんを取り巻く環境やご自身の心境の変化があった時、(もちろん何もなくてもですが)、いつでも安心して経験談を書きにいらしてください。ここは心の中を開ける場所だと思います。(そういう場所でありたい・・・)

感想2

投稿ありがとうございます。
幼少期からを振り返り、あなたが過ごしていた場所にはあなたを否定したり、あなたを傷つけたりするものがとても多かったことが書かれていました。「何かに縋っていないと」保てないのは、当然なことだとも思いました。それはあなたが生きていくための術でもあったと想像しています。中学校での運動も、いっときはそれに近いものだったのかのしれません。ただ、人と比較されることも多い分野であれば、苦しい思いも多いのかなと思いました。私は運動分野が全般的に苦手なので、運動を続けて、変化を実感できるまでやったということ自体、そんなことができるなんてすごいなぁという気持ちになってしまいましたし(できないのはできないでいいのですが)、自分の力を発揮すること、そのために時間や労力をかけること自体に意味があるようにも思うのですが、大会などがあると、比較の要素が強くなってしまうのでしょうか…。
体の痛みが現れ、それを罰だと言われているように感じている、というのが印象的でした。「まるで人を吟味しているよう」な社会への嫌悪感は、あなたのこれまでの生活から感じた実感に基づくものなのかなと思いました。だからこそ「規範」から弾かれて、不当な「罰」を与えられていると感じているのかなと想像しました。また、もしかすると、そのような価値観をいくら否定しても、あなたが願う空のような自由が見つからなくて恐ろしい気持ち、絶望する気持ちを抱えているのだろうか、とも感じました。
私もそのような、人に価値の上下を押し付けるような社会の枠組みに対して強い抵抗感や不信感があり、(そんな権限はないはずなのに)まさに「吟味」することがまかり通る世の中には問題がとても多いと感じました。
人間社会が1人で成立しない、相互に、多重に依存し合うものであるからこそ、さまざまな規範は生まれるのだと思います。ただ、その規範というのは国や地域や時代状況などでも異なることが多く、その規範によって優遇されるかどうかは偶然でしかないと私は思います。だからこそ、その規範自体が常に見直され、より多くの人が安全に安心して生活可能な形を探らなければいけないと思っていますが、それは簡単ではないのだとも感じています。
私はあなたの体の痛み、心の傷は、あなたが偶然置かれた状況の中で、あなたに皺寄せが行ってしまった不当な暴力の結果だと感じましたし、また、その中であなたの体が自分自身を守ろうとしてきた働きの続きでもあると思いました。そうやって生きてきたあなたに敬意を表したいと思いますし、同時にあなたがあなたの自由を感じられるためにはどんなことが必要なのだろうと考えています。「より優れた、従順な人材」だけが意思決定の場で尊重される社会はとても恐ろしいし、変わっていかなければいけないと改めて感じました。
最後になりますが、私も空が好きです。とてもきれいで、果てがなく、そこからみればみな小さな存在だと思うと、少し安心します。(あなたが思う空とは違うかもしれませんが…)あなたの感覚を教えてくださってうれしいです。ありがとうございました。

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