経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

一生の呪い

幼少期から毎日両親がパチスロに行き、いつもご飯は23時以降が当たり前。食べられない日もあった。
仕事が休みの日は二人揃って朝から夜までパチスロ。幼い弟が泣きながら両親の後を追いかけて行くのが、ずっと見ていられなかった。

両親とも煙草をかなり吸う人で、何故辞めてくれないのか聞くと「ストレスが多いから」と言われた。

子どもながらに自分が存在しているからだと思った私は、副流煙を沢山吸うことで死ねると思っていた時期があった。絶対にないのに、今思うと馬鹿だなあと思う。

悪いことをしたり機嫌を損ねてしまったら、叩かれたり暴言を吐かれることが普通だった。小学生や中学生だった姉と私に対して、父は平気で「早く風俗に行って働いてこい」「体を売って稼いだら」と言った。

高校に受験するとなった時、母の勧めで滑り止めで私立に受験しようとしたときには父から「私立に行くんだったら死ね」と言われた。

それでも、長期休みは旅行に連れて行ってくれたり、たまに外食に連れて行ってくれていたことから嫌いにはれなかった。

高校生になりバイトを始め、人間関係にも恵まれたので極力家にいたくなくて可能な限りシフトを入れてもらっていた。

ある時、バイト先の人から盗撮されていたことが分かった。制服に着替えるときに私がたまたまスマホを見つけたことがきっかけだった。

幸い着替える前だったこともあって、警察から伝えられたカウンセリングも「必要ない」と伝えた。それ以上に、家にいることが苦痛だったから。

同時期に夜、脱衣所にいたところを酔った父から身体を触られたことがあった。やめてと叫んでもやめて貰えず、最終的には「母と間違えた」そう言われた。

翌日に母から「ごめんね」とお金を渡された。受け取れなかった。受け取れるわけがなかった。父からは謝罪もなかった。

その後、夜遅くに起きていたら「父のことを待ってるんでしょ」「父は〇〇に甘くていいね」と母から言われたことが信じられなかった。

唯一、味方でいてくれると思っていた相手に裏切られた気持ちだった。

これまでに何度か、母にギャンブルをやめて欲しいこと、辛かったことを相談ものの受け止めてもらえなかった。逆に母の辛かったことを聞かされて、適当にあしらわれた。

幼少期から「人に迷惑をかけるな」と言われてきた私は、相談することが迷惑だと思っている節がある。人に相談することへのハードルがかなり高くて事が発覚してから大問題へと発展することが多い。

その後、双極性障害になってしまった私は働くことも出来なくなり、借金を背負い一年が経過してしまった。毎日希死念慮に苛まれ、ふとした瞬間にフラッシュバックする。これはもう一生の呪いだと思う。どこにも逃げ場所はない。

感想1

経験談を読ませていただきました。
子どもの頃に暮らしていた家庭が安心できない環境であったことが、本当によく伝わってきました。家庭のことで経験談のほとんどが占められていることから、それほどあなたにとっては強烈で忘れがたい経験なのだと私には感じられました。現在もあなたが困難を感じている状態であることを、私は心苦しく思います。
幼少期から両親があなたの食が保障しようとする気がなかったり、あなたが親から暴力や暴言を向けられていたり…他にも根拠はありますが、そのようなところからあなたの人間としての権利や子どもが享受する権利のある経験があまり保障されてこなかったのだと、私は感じました。家庭環境はもちろんのこと、バイト先での事件や母親から向けられた、あなたにとって裏切りに感じられる言葉も、あなたの心にダメージを与えたということが私には想像できました。経験談の中でたくさん綴っていただいたような暴力、暴言…そういったものを人から向けられることがないということも、人間としての権利であると私は思っています。
あなたの同意がないのに他の人に触られる経験をした後に、あなたは「ごめんね」と本人ではない人にお金を渡されたとのことですが、私はそれを読んで何とも言えない気持ちになりました。(私の話になってしまい恐縮ですが)私は性被害を受けたことがあります。そして、それをお金で解決しようとされてもどうしても納得がいかないと感じるからです(「受け取れるわけがなかった」と思ったあなたも納得感がなかったのかもしれないですね)。私の場合は、「自分の価値をお金で測らないでほしい」という気持ちがどこかにあったから納得できなかったのかもしれません。人間の人間としての権利や存在は、たとえ誰であってもお金では測れないと私は感じますし、それぐらい人間の権利や一人ひとりの存在は大切なものであると思います。そして、社会に生きる人々がそう信じることのできるような、安心できて尊重し合える社会であってほしいと私は切に願っています。
大人になった今も過去のダメージを負って生活をされていることが私には想像できます。その生活の一瞬一瞬を労わりたいと私は思いました。あなたが「呪い」と表現した昔から抱え続ける困難の責任や今後の歩みをあなただけに押し付ける社会ではなく(今のあなたは人と関わろう、信じようとされるかは分からないのですが)、社会の問題として一緒に歩む社会であったら良いな…と思っています。あなたの心身が少しでも軽くなるような時間が訪れてほしいと願っています。

感想2

幼少期から、あなたの生活環境には抑圧や暴力があったのですね。読んでいて、あなたが過去を振り返りながらあなた自身の人生を捉えようとしているように感じました。幼少期から学生時代のこと、両親に関することを想起しながら、あなたがその後の暮らしの中で気づくと選んできた(あるいは、選ぶことがむずかしかった)行動を自分なりに読み解こうとしているのかなと想像しています。「一生の呪い」というタイトルからも、あなたの心身や生活に重くのしかかっているものを感じました。
両親はギャンブルがやめられない状況にあり、またそれぞれの個人の権利が当然に尊重されるという前提もない中で、ストレスを抱えながら孤立していたのかもしれない、と想像しました。そのような状況の中では、子どもなどのより弱い立場の存在にストレスや苦痛、暴力や抑圧などの皺寄せが行ってしまいます。
バイトのエピソードを読むと、あなたはその中でバイト先という家よりはまだましと感じるような場所にいようと努力したのだろうと思いました。

父親さんの言葉や行動は大きな問題があると思いますし、そこに介入できる第三者がいなかったこと自体、社会的な問題だと思います。母親さんの「父のことを待ってるんでしょ」といった発言も、父親さんのあなたへの行動を軽視していると感じました。お金で解決することはできない、まったく別のことだと思うのですが、読んでいて、あなたの家族にとって生活の中心には常にお金があったのかもしれないとも思いました。
抑圧や搾取的な構造があまりにも日常化している中で、本来であれば守られるべき子どもの心身が蔑ろになってしまっていたのだろうか…と、わからないなりに考えてみたりもしています。もしそうだとしたら、それもやはり皺寄せの問題であり、社会全体で解決しなければいけないことだと思いますし、そうでなかったあなたの状況に悔しい気持ちになります。

「人に迷惑をかけるな」という言葉は社会でよく聞く気がしますが、それ自体、「権力や富や余裕のあるひとはあるまま、たまたまそれら持てない状況の人もそのまま、個人で解決しろ」という強い自己責任論の言葉であるように思います。そのような自己責任論を突きつけられ続けると、その他に考える選択肢が持てなくなるのも無理はないと、自分の経験を振り返っても思います。
「事が発覚してから大問題へと発展する」というのも、私自身、身に覚えがあり、だけどそれを変えるのも簡単ではないよな…と思いました。双極性障害になったこと、働けない状態の中、借金を負ったことなども、あなたの「事が発覚してから」のひとつなのかもしれません。「どこにも逃げ場所はない」と書いてあり、それは紛れもなくあなたの実感なのだろうと感じつつ、それは、あなたが逃げ場を求めて続け、安寧を願い続けているからこその言葉でもあるのではないかと思いました。(違っていたらすみません。)

個人に相談することは、相手のことを考えると難しい気持ちになってしまうことも多いかもしれませんが、たとえば電話相談やSNS相談などの匿名の相談などだったらどうでしょうか。私も希死念慮が高い時などに匿名で相談したことが何度もあります。相談員一人一人のレベルで合う合わないもあるし、うまく伝わらなかったな…ということもありますが、話を聞いてくれたり、一緒に考えてくれたりして、自分の生活の役に立ったと感じたこともあるので、もしかしたら、と思って書いてみました。死にトリは相談とはまた違うコミュニケーション、あるいはコミュニケーションとも違うようなゆるやかな関わりの場所だと思っていますが、そういう場所が活用できそうであれば、また死にトリにもきてもらえたらうれしいです。投稿ありがとうございました。

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