経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
去年の夏頃から、出勤前に吐き気を催すようになりました。職場に到着すると、何もなかったかのようにスーッとなくなるので、前夜に食べ過ぎたのかなとか、色々言い訳を探しながら騙し騙しで出勤を続けましたが、先日、車から降りれませんでした。
睡眠も、前夜は2時ぐらいまで寝付けず、やっと寝れてもアラームが鳴る時間より1〜2時間早く目覚めたりと、2〜3時間睡眠が続いていました。
不調になった原因というか、思い当たるのは、その近辺で仕事であるミスをしてしまったからだと思っています。
元々、働き始めてから、「自分はこの仕事向いていないのでは」という疑問やモヤモヤをずっと抱えていました。その中で、ミスをしてしまい、お相手から叱られたことで、「ほらやっぱり自分はこの仕事向いてなかった」とずっと抱いていた疑惑が確信になったことで、出勤前に拒否反応が出ているのだろうと、なんとなくわかっていたけれども、それさえも騙し騙しで出勤を続け、限界がきたのかもしれません。
車から降りれなかった日、職場の方に連絡し、その日は休ませていただきました。その際、勧められたので、精神科に行ったところ、抑うつ状態だと言われました。そう言われて安心した自分と、ショックを受けた自分がいました。
SNSでは、同級生が次々結婚・出産を迎え、明らかに幸せそうな雰囲気で、それと今の自分を比べてしんどくなります。
また、同じようにしんどい思いをされている方の投稿を見ようとSNSを見ると、私以上に大変な思いをされている方や、私以上に多忙な職種で活躍されている方の投稿が目に入って、今の自分の状態はただの甘え・我儘なんじゃないかと思ってしまいます。
また、数年前から、とある資格取得のため、勉強をしなくてはと思っても、やる気が起きません。休みの日はずっとベッドで寝転がって、YouTubeを流し続ける日々。せっかく机に向かえても、文章が頭に入ってこず、ただただ苦痛でしかないです。明らかに準備不足な状態で、律儀に毎年試験を受けに行き、試験中は「勉強しておけばよかった」と後悔しながら受け、不合格通知を見て落ち込み、だからといって勉強しようとなれない自分に腹立ちます。
いっそのこと、今の職種や資格取得を諦めて全然関係のない職に変えようかと何度も思いました。ですが、まともにビジネスマナーを学ぶことなくきた若輩者がやっていけるのかという不安や、今の職種に関する大学に進学させてくれた両親への申し訳なさやらで立ち止まっています。
これを書いてて改めて思いましたが、自分が何をしたいのか、よくわかりません。
どっちつかずな自分が嫌なくせに、変わることへの恐怖もあって、その場で足踏みだけして駄々を捏ねているような、幼稚な感じがして、情けなく思います。
死ぬ勇気はないけど、泡みたいにパッと消えれたら消えたい。
拙い文章で申し訳ありません。
感想1
投稿読みました。まず、言いたいこと、感じていること、わかるなあ…という気持ちになっています。
でも、それは勝手に私が鬱病のときの自分と重ねているだけで、わかっていない部分も全然あるはずだ、と気を引き締めながら感想を書きたいと思っています。
あなた自身も書いていましたが、自分が何をしたいのかがわからないことで足が止まってしまい、足が止まった分、気持ちがざわざわと暴れて行き場を失っているような印象を受けました。
でもそれは、自分なりの第一歩を見つけたいという小さな芽があるからこそ、いろいろな比較からの不安や周囲への申し訳なさなどとの葛藤が大きくなっている…つまり、前に進もうとしている力の現れのように私は感じました。
SNSで見られるような幸せそうな、いわゆるレールに乗った人生は、確かに表向きは前に進んでいるように見えますが、「自分が本当にやりたいこと」という観点ではどうなのだろう?と私は時々疑問に思います。(自分自身は、結婚・出産を全く求めてないのもあり)
とはいえ、自分が何か上手くいっていないと感じているときに、他の人と比べてさらに自己否定が募るのは自然なことだとも思います。私もそういう時期がありましたし、これからだって、今あるささやかな自尊心や居場所を失ったら、そうやって比較して苦しむと思います。
私はあなたに、仕事のどんなところが向いてないと感じたんだろうとか、どうしてその職種や資格取得を目指したのだろうとか(誰かの影響?周りからの期待?自分の興味?)、どんなときに感情が動くのだろうとか、そういうことを聞いてみたいと思いました。
今のあなたのどっちつかずが、「自分なりの一歩vs社会や周囲に求められてる道」の葛藤とも言えると仮定したとき、求められている方の要素は出そろっているにもかかわらず、あなたのしたいことやしたくないことは、まだ出そろっていない気がしたからです。
その葛藤にどう折り合いをつけることになるかはわかりませんが、まずは両方をよく見比べられる状態にすると便利かも?と思いました。(でも余計に葛藤は複雑に、重くなっていってしまうかもしれませんね…難しい)
経験談を書いてくれたということは、あなたは文章を書くのが好きなのでしょうか(読みやすい文章でした)。死にトリはどういうときにどう見つけて、なぜ経験談を書こうと思ったのか、どんな気持ちで・ペースで書いて送ったのだろうか…例えばそんなところにも、あなたの「したい」「したくない」が詰まっている気がします。
私は世の中がもっと、「~はこうあるべき」優先ではなく、その人の「したい」「したくない」優先で、それぞれの道を歩んでいけるものになってほしいと個人的に願っています。
そして、私はあなたに、それを考えさせてくれてありがとうと伝えたい気持ちです。経験談の投稿、ありがとうございました。
感想2
投稿読みました。
あなたの文章を読んでいて、仕事や勉強にまっすぐ向き合おうと頑張られている方なのかなと想像していました。
思わず共感してしまう部分もあり、SNSのことでは同級生のライフステージが進んでいくにつれ、どんどん自分と遠い存在になっていってしまっているような気がして不安な気持ちになったのを思い出しました。友達の幸せそうな姿にうれしく思いつつも、心の底から喜べない自分にも気づいてしまい、複雑な心境になる時があったなと…
あなたは自分自身の状況を「甘え」や「我儘」なのではないか、と思ってしまうのでしたね。仕事やSNS、周りの人と話していて「自分は甘えている」や「これは我儘」という言葉によく出会うのですが、なにがだめなんだろう?と実はいつも思っていました。改めて考えてみると、私の中にはだめな理由が見つからないのです。そもそも「甘え」「我儘」という言葉自体があいまいで、人や時代、その時の状況によって言葉のイメージが違うと思います。
今の私の中では「甘え」や「我儘」は、「休息」や「安心」、「自分の意志を持つ、主張する」、「自由」という感じのイメージです。それができる場所や時間、人を見つけることはダメな事なのかな?むしろ大切なことなのでは?と思いました。
仕事のことや資格の取得のエピソードから、あなたの中で「こう生きるのがいい」というような正しさのようなものがあるのかなと想像していました。(それは周りに求められてきた生き方だったのかもしれませんが)
それは今まで生きることを支えてきてくれたり、頑張る原動力だったりしたのかなと思ったと同時に、あなたの本当になりたいものやしたい生き方から離れてしまうこともあるのかな?とも思ったりしました。
(個人的には、頑張ってる人はすごいし、かっこいいけど、自分はそうなりたいかな?と考えたら別になりたいわけじゃないなと思ったり。)
今までとは違う生き方を選ぶのって怖いし、不安な気持ちになると思うので、いろんな生き方をしている人を探しながら、自分の進みたい方向ややりたいことを見つけてみるのもいいのかなと思いました。
投稿ありがとうございました。
私自身も、自分はどう生きたいか改めて考えたり、他の人のいろいろな生き方を探してみようと思います。
感想1
投稿読みました。まず、言いたいこと、感じていること、わかるなあ…という気持ちになっています。
でも、それは勝手に私が鬱病のときの自分と重ねているだけで、わかっていない部分も全然あるはずだ、と気を引き締めながら感想を書きたいと思っています。
あなた自身も書いていましたが、自分が何をしたいのかがわからないことで足が止まってしまい、足が止まった分、気持ちがざわざわと暴れて行き場を失っているような印象を受けました。
でもそれは、自分なりの第一歩を見つけたいという小さな芽があるからこそ、いろいろな比較からの不安や周囲への申し訳なさなどとの葛藤が大きくなっている…つまり、前に進もうとしている力の現れのように私は感じました。
SNSで見られるような幸せそうな、いわゆるレールに乗った人生は、確かに表向きは前に進んでいるように見えますが、「自分が本当にやりたいこと」という観点ではどうなのだろう?と私は時々疑問に思います。(自分自身は、結婚・出産を全く求めてないのもあり)
とはいえ、自分が何か上手くいっていないと感じているときに、他の人と比べてさらに自己否定が募るのは自然なことだとも思います。私もそういう時期がありましたし、これからだって、今あるささやかな自尊心や居場所を失ったら、そうやって比較して苦しむと思います。
私はあなたに、仕事のどんなところが向いてないと感じたんだろうとか、どうしてその職種や資格取得を目指したのだろうとか(誰かの影響?周りからの期待?自分の興味?)、どんなときに感情が動くのだろうとか、そういうことを聞いてみたいと思いました。
今のあなたのどっちつかずが、「自分なりの一歩vs社会や周囲に求められてる道」の葛藤とも言えると仮定したとき、求められている方の要素は出そろっているにもかかわらず、あなたのしたいことやしたくないことは、まだ出そろっていない気がしたからです。
その葛藤にどう折り合いをつけることになるかはわかりませんが、まずは両方をよく見比べられる状態にすると便利かも?と思いました。(でも余計に葛藤は複雑に、重くなっていってしまうかもしれませんね…難しい)
経験談を書いてくれたということは、あなたは文章を書くのが好きなのでしょうか(読みやすい文章でした)。死にトリはどういうときにどう見つけて、なぜ経験談を書こうと思ったのか、どんな気持ちで・ペースで書いて送ったのだろうか…例えばそんなところにも、あなたの「したい」「したくない」が詰まっている気がします。
私は世の中がもっと、「~はこうあるべき」優先ではなく、その人の「したい」「したくない」優先で、それぞれの道を歩んでいけるものになってほしいと個人的に願っています。
そして、私はあなたに、それを考えさせてくれてありがとうと伝えたい気持ちです。経験談の投稿、ありがとうございました。