中三の高校受験生(不登校)です。
私は、すごく辛い生活を送っているわけではありません。家族とは進路などで揉めていますが仲は悪くないですし、私に話しかけてくれる友達もいます。ただ、一つ大きな問題を抱えています。私はとにかく自分が嫌いで仕方ありません。
小学生の頃は、自分のことが好きでした。昔からネガティブ思考に陥りがちですが、それでも今と比べたら前向きに生きていました。でも中学生になったばかりの頃に、軽度発達障がいと診断されたことがある過去を知りました。そこから、だんだん自分のことが嫌いになっていきました。
障がいがコンプレックスだと思っても、障がい特有の行動を無意識にしてしまいます。そのため中一の頃は、クラスで孤立気味になることが多々ありました。幸い、「癖が強いなぁ」程度にしか思われなかったのか、いじめに発展することはありませんでした。しかも中二からは、普通に話しかけてくれる人も増えました。小学生の頃と比べて友達は増えたし、その子たちと一緒にいるととても楽しい気持ちになります。
でも、自分の行動がみんなを困らせることは少なくありませんでした。みんなに迷惑をかけたくない。中一の冬、私はそんな理由で不登校になりました(一年間で中一は合計1か月、中二は合計3か月ほど休んでいました)。私は部活や委員会に所属していたので、逆に迷惑をかけることになりました。それで余計に学校に行けなくなってしまい、中三になってから教室に行けた日は2か月程度だけでした。
不登校が原因で、自分がもっと嫌いになりました。
馬鹿、うるさい、空気が読めない、無気力、人任せ、興味のない話は聞く耳を持たない、極度のコミュ障、欲しがり、努力をしない、幸せなのに不幸ですアピールしている、自分が嫌いとか言っておいて、自己中心的な行動ばかりする__。
自分が嫌いな理由をあげたら本当にきりがない気がします。自分に対する憎悪が心の底にあって気持ち悪いです。自己嫌悪感が酷くなるせいで、友達のことを心から信頼することができなくなり、他人と関わることは極力避けることが多くなりました。
「死にたい」「自分を殺したい」そう毎日つぶやいているような気がします。
また、両親は不登校の私を快く思っていないです。中二までは怒られたり説得させられたりしていましたが、いつまで経っても休み癖が治らないので、今は前のように口うるさくすることはなくなりました。多分呆れられました。
ただ今は、進路で父とすごく揉めています。私の第一志望校は、家から遠い昼間定時制高校(以下“A高校”)ですが、父は全日制高校に行って欲しいそうです(定時制や通信制の高校は、自己管理ができない私には卒業できないと思われている)。父の言い分も理解できますが、A高校を侮辱され、かなり傷つきました。
それでも、両親は私のことを愛しているのだと思います。でもそのせいで、両親に対してものすごく申し訳ない気持ちになり、とても苦しくなります。正直、なんで自分のことを愛しているのだろうと思ってしまいます。そりゃあ、自分の子だからでしょうけれど。
今は別室登校で出席日数を稼ぎながらA高校の受験対策に取り組んでいます(集中力が続かないので少時間ですが)。別室で仲良くなった子はいるし、その子たちとの会話は楽しんでいます。
他の友達は、“毎日” 学校に “朝から” 行って、授業を受け、友達とふざけ合い、放課後には部活に塾。そんなありきたりな青春を謳歌しています。
一方私は、学校に来て、友達と話し、受験勉強をちょっとだけ頑張る。ただ、それだけ。
こんなこと言っていいかわかりませんが、もしA高校か、公立の通信制高校のどちらかに行くことが叶わなかったら、来年の4月末までに自殺しようかなと、少しだけ思っています。
どうせ死ねないだろうけれど。死にたきゃ今死ねよ。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。「軽度発達障がいと診断されたことがある過去」を知ってから、自分のことが嫌いになったということだったので、もしかすると、軽度発達障がいと診断されること=わるいこと、だめなことという思いがあるのだろうか、と想像しました。また、「馬鹿、うるさい、空気が読めない、…」から始まる「自分が嫌いな理由」はあなた自身が感じる前に、もしかするとだれかにそう言われたのかな?と思いました。
また直接言われたわけではなくても「○○な人は××だ」というような言葉を聞く中で、自分と結びつけて、ダメなことだと感じていることもあるかもしれないと想像しました。実際、そういう社会の圧力はとても強いと感じますが、それはあなた自身の問題ではなく、そのような偏見や差別に満ちている社会の問題だと私は思います。それは発達障がいがある人だけではなく、多くの別の少数者をも苦しめるもので、変えていかなければならないと思います。
ちなみに、私は発達障がいの診断をされていて、自分としても多数派との違いはかなり多いなぁと思いますが、それが悪いとも思わないし、多数派と違うとしても、違うのはお互い様なので少数者だけが我慢したり頑張らなければいけないというのはおかしな話だと思っています。
でもあなたが仲良くしたい人や大切にしたい場所などでうまくいかないことが多いと、自分がいやになってしまう気持ちが湧くこともあるかも、と思いましたし、また、私も10代のころは周りに合わせなければいけないと思っていて、それができなくてしんどかったので、あなたが自分を責める気持ちにも共感しながら読みました。
私も学生時代に不登校の経験がありますが、学校は別に行かなくてもいいと思います。もちろん学校に行くことで学べるものもありますが、自分を押し殺したり無理したりしてまで行くような場所でもないなぁと私は思います。無理をしてまで周りに合わせろというのは同調圧力という社会の悪しき慣習で、なくなっていかなければいけないと思っています。
不登校や定時制の学校をよく思っていないということで、あなたの両親は今の社会における多数派の行動が唯一正しい、という価値観が強いのかなぁと想像しています。
実際にはそれ以外の選択肢もいろいろあるのでは、と私は思いますし、定時制高校も一つの選択肢だろうと思います。(その中にも当然いろいろな学校があるので、一概に定時制なら合う/合わないということも難しいですが……)
生活において周りと同じことをしているかどうかはあまり重要じゃないと思います。それより、あなたにとってほっとできる瞬間や楽しい瞬間があり、気持ちを落ち着けて過ごせることが重要ではないかと思いました。その点で、「別室で仲良くなった子はいるし、その子たちとの会話は楽しんでいます。」ということを読んで、よかったと思いました。
あなたが自分を責めたり、いないほうがいいのではと思いながら、葛藤しながら、この経験談を送ってくださったことをありがたく思います。またよかったら死にトリにきてください。