④迷いながらも、就活生中退
3~4月に興味のある企業の選考がほとんど終わったのと、新しく企業を探す気力もなかったこと、家の事情もあって5月からは実家に戻ることになった。
唯一いいなって思えたA社の最終面接が5月下旬にあってそれだけは行ったけど、それ以外にはほとんど何もしなかった。実家に戻ってからは知人の会社の手伝いみたいなのをしていて、そっちが結構楽しかったし、就活で求められるような変なノリもなかったから、もう一般就職はやめようかなとも考え始めていた。
結果的にA社からは内定がもらえて、もらえたこと自体は嬉しかったけど、返事は1か月待ってもらうことにした。もともと、やりたいことは特にないけど、一般企業へ就職することが多くの人のルートだったから、就職活動をしていた。でも、就職活動中に「こんなに違和感があってやりたいこともあるわけじゃないのに一般企業に就職することになんの意味があるんだろう?」って疑問に思ってしまった。私は何のために働くんだろう?って。
A社の社長は、1次面接で私の両親が離婚していることを話した時に、特別反応がなかったことが印象的で。今まで両親の離婚の話になると、私は全然離婚について気にしていないのに気を使われること多かったから、A社の社長のその反応が嬉しかった。就職活動という社会の仕組みに馴染めない中で、唯一価値観が合うかもしれないと思った企業だった。だからこそ、就職してみるのもいいかなって迷っていた。
でも、一度持ってしまった違和感はなかなか消せず。本当に就職して後悔しないだろうか?私はその企業の仕事がしたいんだろうか?と考えると素直に肯定できなかった。もともと、私の家族は「就活なんてしなくてもいいじゃん」と言ってくれていて、経済的にもすぐに就職しなくても大丈夫な環境もあったから、A社の内定を辞退して就活をやめることにした。個人的には、就活中退という言葉がしっくりきている。でも、私はたまたま幸運な環境にいたから中退できただけで、みんながそう出来るわけではないから複雑な気持ちもある。本当は就活以外の色んな道がないとダメだと思う。
就活をやめてすぐは、周りから挫折したと思われるんじゃないかとか、新卒ブランドを投げ出して大丈夫なのかとか不安になることが多かった。多くの人とは違う選択をしている自分に対して、周囲はネガティブな評価をするんじゃないかって怖かった。今は、不安になることはあまりなくなったけれど、実際にネガティブな評価を言われたら落ち込むとは思う。それはそういう性格だから、仕方ない・・・。 就活をしていく中で嫌だなって思ったことがたくさんあるけれど、その中でも特に嫌だったことが2つある。
1つは、就活の身だしなみについて。女性は化粧がマナーとして強要され、ヒールを履くのがオーソドックス。化粧は肌が荒れるし、なぜ女性だけしなくてはいけないのか不思議でたまらなかった。ヒールは靴擦れがひどいし、足にとても負担がかかる。その前にスーツが窮屈で・・・。OLになると、カジュアルな服装にスニーカーを履くことができない。勿論そういう企業だけではないんだけど、一般企業はどうしてもそういうおかしさが見え隠れして抵抗があった。就活のマナーでさえ嫌で嫌で仕方なかったのだから、その先に待っている社会人にはもっと嫌なことがたくさん待っているかもしれないとも思った。
2つめは、やりたいことが特にないにもかかわらず、「御社が第一志望です」「御社の企業理念に大変共感致しまして・・・」と自分を偽ること。自己PRでは、①目的をもって、②その実現を目指し、③結果を出した話がいつも模範解答で存在していた。「①アルバイトで売り上げを伸ばすために、②SNSでの広報を提案し積極的に発信をした結果、③売上が2倍になりました」みたいな。でも、普段からそんなに目的をもって行動してないよって思ったし、どうして急に背伸びして嘘つくみたいに話さないといけないのだろうって違和感が強かった。評価してもらうための偽りの自分を作るテクニックを学んで、それに疑問を持たなくなっていく周りがいて、それは内定を勝ち取るためにそうせざるを得ないんだけど・・・。
「就活に有利そうだから」ボランティアを始める、資格の勉強をする、講座に出る。実際に有利になるかの保証もないし、そもそも「就活に有利だから」という理由で始めるのは目的としておかしいのに、それに気づかない・・・。そういうのに本当に嫌気がさした。
⑤まとめ~就活は「個性を殺して社会の歯車になる学校の洗脳教育の集大成」
衝撃だったのは、内定もらって就活終えた友人が「就活は、いかに企業ウケすることが言えるか。言えたら勝ち」ってなんの違和感もなく言っていたこと。私は、いかに企業ウケするかを考えることが苦痛で仕方がなかったのに、友人はそこに何も感じずに、それができる人が優等生だという価値観をもっているみたいでビックリした。自分の個性をみてもらえないまま企業で働くことに、違和感を持たないんだなって。
でも、よく考えるとそう思う友達はある意味普通で。だって、学校では先生の言うことを聞いて、言われたとおりに勉強をして、なるべくいい大学に行って…、みたいなのが当たり前だから。先生の言うことをきかない個性的な子や、学校へ行かない選択をする子は問題児として扱われることが多い。小学校の時、何なら幼稚園の時から、私たちは個性を出さない教育を受けていたんだと思う。その集大成が就職活動なんじゃないかなって思った。
企業は先生と同じように文句を言わずに言うこと聞いてくれる人材を求めていたし、私たちはその企業に求められるために「企業ウケする私」を考える。そうすることが当たり前で、内定をもらうためにはそれに馴染まなくてはならなくて、内定がもらえなければダメな人間で人生挫折・・・、そういう価値観を就活では徹底的に教え込まれたように感じた。働かなくては生きていけないその中で生き残っていくためには、友達のように企業ウケすることが言えた人が優等生だと思うしかないのだと思う。思うというか、思いこむというか。その友達はそんなにキラキラしてるタイプじゃなかったし、けっこう今までは理解しあえていたから、余計にショックだった。社会の闇を強烈に感じた気がした。
就活は、広くない一本道のレールの上を歩かされていて、そこから脱線した人に待っているのは、挫折や周囲からのネガティブな評価。だから就活生はそのプレッシャーに追い詰められていく…。
就活は「個性を殺して社会の歯車になる学校の洗脳教育の集大成」だと私は思う。そんな就活だから「就活鬱」「就活自殺」なんて言葉が出てくるし、それをやるのが当たり前な社会はひどいって就活を経験した身として心から思う。今いる会社はそういう社会を変えていこうとするところだからこそ、働く選択をしなくてはいけないならここにしようと思った。本当は働かないでのんびりと暮らしたいけど(笑)みんな好きなことをやったり、気ままに仕事したり、そんな生活ができる社会がいいよね?