がんばらないと生きていけないなんて、がんばり続けないといけないなんて。
ただ普通に生きていくだけの事、ただ普通に過ごすだけなのに、がんばらなくてはならない。がんばれば生きていける。がんばればできるんだから、がんばりなさい。できるんだから。
人は誰しも何かを悩んでいて、問題のない人間なんていない。みんな頑張ってるんだ。がんばらなくても生きていける人間なんてどこにもいない。みんな多かれ少なかれ何かを頑張ってる。
あるよね、よくある言われる。でもこれを言われると、正論すぎて、ぐうの音も出ない。がんばるって何なんだろう。自分の力の出力110%出し続けるのががんばるってことじゃないの?そんなこと、一時的にはできるけどずっとやり続けるのなんて無理だよ・・・。
うつ病にはがんばらないでいいよ、というのが定石だけど、がんばらないと生きていけない人はどうすればいい?がんばってやっと人並み、がんばってやっと人の80%くらいだったら??もっとがんばれというの?
気分障害、いわゆるうつ病。気分が落ち込んで、戻らなくなってしまう病気。そのまま死にたい、消えたい、人生終わりたいと思ってしまう。何かの拍子にうつ病のスイッチが入ると、スパイラルの輪の中に入り込んでしまう。それがいいことでも、悪いことでも。自分の病気がこれ。
考え方の癖があって、生きづらさを助長していると思う。その癖というのは「申し訳ない」。すべての事象について、申し訳ないと自罰的な考え方をしてしまう。何か良からぬことがあると、自分のせいだと思い込んで、「申し訳ない、ごめんなさい」と謝りたくなる。なんでもそうやって謝れば済むと思ってるの?いわれることもしばしばあった。
うつ発症のきっかけは仕事。大阪に単身赴任して、任された仕事はシステム管理。社内システムエンジニアとして、システム構築、維持管理、機器の更新などなど。日々の仕事でいっぱいいっぱいだった。そこに、勤怠システム構築プロジェクトのプロジェクトマネージャーを任されることに。プロジェクトメンバーは全員自分より役職が上の人。プロジェクトマネージャーが一番下という状況。プロジェクトは進まず、叱責に似た励ましのための面談の回数だけが増えていった。仕事のことが頭から離れなくなって、隠れ残業・休日出勤しないと仕事が終わらずに、不安で押しつぶされそうだった。もう限界、と思って上司にしんどいことを相談したら、すぐ休みなさいということで引き継ぎも何もなく、1週間余りで休職に。とにかく休めの一点張り。休職始めは申し訳なくていっぱいった。早く戻らなくちゃという気持ちと、全部放り投げてきてしまったという気持ち。無責任さに自分を責めて、休みどころじゃなかった。一日布団に横になっていたり。
週に一度の病院以外は外に出なかった。自分を責めすぎて、希死念慮。首をつってみたり、ODしてみたりした。でも、死ねなかった。そして休職から約一年、ついに閉鎖病棟に入院することになった。入院生活は3か月に及んだ。保護室にも閉じ込められた。保護室には何もない真っ白い部屋、扉、便座のないトイレ。ベッドも撤去され、マットレスだけがぽつんと置いてあった。世間から隔絶され、携帯も没収。規則正しい生活に、服薬。なんでそこまでするのかと思ったけど、振り返ってみれば、全部自分を守るための事だったんだと思う。入院して、世間と隔絶した世界はとても居心地が良かった。世間の流れと違うスピードで流れる時間、完全に保護された環境、自分の事だけを考えていい。仕事も、家族も関係ない、自分の事だけ。
残念ながら病気は寛解には至らなかったけど、いろいろなことが吹っ切れた。自分ファーストでいいんだと思うようになった。そこから復帰に向けて歩み始めることになる。リワークに通い始めて、復帰の準備も始めた。でも、会社は病気を理由に解雇された。「一年半ゆっくり休んで」という言葉を信じてた。待ってくれてると思ってた。幻想にすぎなかった。「もう後任も雇い入れたし、戻るポストがない。現場の負荷の少ない仕事(いわゆる雑用)しか用意することができない」。でも、悲観的にはならなかった。リワークに通い続けていたから。会社は首になったけど、次が決まるまでいていいよといってくれたリワークへの所属意識というのが自分を強く支えていた。
転職活動では、最初はクローズ就労を希望して、活動していたもののまったく決まらず。内定1社も取れなかった。そこで手帳を取得して、障がい者雇用枠で働くオープン就労に切り替えた。
今の職場には障がい者雇用で入社した。うつを患っていることをみんな知っているから気が楽だけど、その反面やっぱりどこか超えられない壁のようなものがある。すごくいい職場でほとんどみんなと同じ扱い。障がい者だからといって差別どころか区別もない。普段はどうってことない。契約社員で入社して、認められて正社員に登用してもらえた。ただ、どこか腫れ物扱いされることはある。ほかの社員と越えられない壁のようなものを(勝手にかもしれないけど)感じてたりもする。障がい者と健常者のはざまに落ちて、う~んと思うこともある。会社的には障がい者で健常者ではないけれど、正社員でフルタイム勤務してるから社会的には健常者扱い。社会的なサポートは受けにくい。会社としてもそこは心配してくれてる。。。うつはいまだに克服できてなくて、希死念慮も頭の中にこびりついてる。
でもどうにかこうにか生きてる。積極的に死なない。死なないから生きてる。これで十分でしょ。がんばる必要なんてないと思うんだ。でも世の中的にはがんばらないといけないこともある。あっちでは頑張って、こっちではぐで~っとしてもいいんじゃないか。そんな切り替えが上手にできるようになった時に、本当の寛解にたどり着けるのかもしれない。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
生きるをがんばる
感想2
考え方を、生きづらさを助長させる「自己責任」から「自分ファースト」に変えるのが生きやすくなるコツなのではと考えさせられました。しかし、それはとても難しいのだろうと思います。あなた自身も、考え方を変えようと試みている最中なのではないかと想像しました。この文章には、あなたの移り変わる心が表れていると感じます。そこには、あなたにしか生みだせないリアルさがあるように思いました。
「自己責任」が生きづらさを助長させるとおっしゃっていますが、まさに今の社会は自己責任社会ともいわれています。そのため、あなたが生きやすくなった経験や方法はこの社会を生き延びる上で非常に価値あるものだと思います。もちろん、それを見出すに至った経験も貴重なものだと思います。
病院に入院した時のことを「自分を守るために必要だった」と表現してるのがとても素敵だなと感じました。バリバリ仕事をしていたころから休職、そして入院するまでの状況がとても分かりやすく書かれていて良かったです。詳しい業務内容等も書いていただいていたので、相当辛い気持ちでいっぱいいっぱいになってしまったのだろうなと想像ができました。うつを抱えながらも、自分なりの意思を持って転職活動に取り組まれた結果、今の職場にたどり着かれているのだなと思います。
休職されたときには、自分を責めてしまったと書かれていたので、あなたは責任感が強い方なのではないかと思いました。もちろん、それほどの責任を押し付けてくる会社の対応に一番の原因があると思います。責任感が強いからこそ、周囲からの(時には重すぎる)期待に応えようと「がんばって」こられたのだろうと想像しました。本当は、「健常者と障がい者」、「あっち側(うつに理解の乏しい世間)とこっち側(うつに理解のある今の会社)」という区別をしなくていいような世の中になれば理想なのかなと思います。そうなれば、自分の意志でやりたいことは頑張るけれども、周囲の期待に押しつぶされる程は頑張らないような、あなたにとってちょうど良いバランスを保って生きられるのではないかと思いました。全体を通して、主に仕事について書かれていたので、あなたは人生の中で仕事に大きな価値を置かれている印象でした。
お返事1
インタビュー
・今の職場で感じる「壁のようなもの」についてもっと詳しく聞きたいです。
→本文中にも書きましたが、自分が勝手に壁を感じているだけかもしれません。どのようなことか文字にするのはとても難しいのですが、輪の中に入り込んでいけない、自分だけ取り残されているような感じがしてしまうのです。同じ色の仲間の中でぽつんと一人だけ違う色の存在、というような感じなのですが・・・。会社的には健常者と障がい者は同等です。しかしながら、障がい者は合理的配慮という名の特別扱いを受けていて、私はそれを負い目に感じてしまいます。今一つ、仲間に入りきれないのはそういう背景があるからかもしれません。みんなプライベートも仲良く、昼食や夕食を食べに行ったりしているようなのですが、私だけ誰の連絡先も知りません。
壁のようなもの、の先にあるものは「孤独」です。私の部署では約50名の社員がおりますが、そのうち私を含めて3名の障がい者が働いています。精神障がいはわたしだけで、残りの2名は知的障がいです。仕事の内容的にも、知的障がいの方々よりは健常者に近い仕事をしています。しかしながら、健常者と同じように働けません。そこでも一人です。状況を分かち合える仲間が欲しいのかもしれません。
・冒頭のほうに「考え方の癖があって、それが生きづらさを助長していると思う。」とありましたが、「申し訳ない」という考え方の背景にどういったものがあるのか気になりました。また、その考え方の癖がうつ発症までにどう影響したのかも気になりました。
→申し訳ない、の背景には極端ともいえる自尊心の低さと自己否定があると考えています。これは、私の成育歴からくるものかもしれません。私の両親は私が小学校高学年の頃離婚しました。父が3兄弟を男手一つで育ててくれました。いい子でいなければならない、迷惑をかけてはいけない、顔色をうかがい、その言葉の裏側の意図を深く考え、行動する、そんな子供になりました。その結果、自分のことを大切にできない人間に成長してしまいました。自分のことを大切にできないので、自分より他人を優先するようになります。本当は自分を優先したい気持ちと、他人を優先する癖の間にギャップが生まれ、自分の意志に反した行動をとることで、生きづらさとなっているのではないでしょうか。
仕事ができないのは、自分の頑張りが足りないからだ。プロジェクトが進まないのは、自分のせいだ。自分じゃなければ、もっとうまくこなせるのかもしれない。自分は会社の迷惑になっている。いないほうがいいんだ。自分が存在して申し訳ない。このように自分を大切にできず、自己否定を繰り返した結果がうつです。常に自分を否定して存在まで否定するようになると、生きていることがつらくなります。死んだほうが楽になれるんじゃないか、と考えるようになります。こうした考え方が、うつ発症に強く影響しています。
・「自分ファーストでいい」そう思えるようになるまでの入院生活がどんな感じだったのか、リワークに通っていた日々で感じた所属意識がどのようにあなたを支えてくれたのか、クローズからオープンに切り替えて転職活動の詳細も聞いてみたいと思いました。
→閉鎖病棟への入院で完全に保護された環境でした。自分の事だけ考えればいい時間です。他人ファーストで生きてきた自分にとって、そのことは革命が起きたと思えるくらいの出来事でした。始めは病棟のスタッフに、「他人のことは構わなくていいの。自分のことをまず考えなさい」と何度も言われました。規則正しい生活のなかで自分と向き合い、同じ病棟の当事者同士で辛さを分かちあいながら少しずつこじれた気持ちがほどけていったような気がします。入院中は、今思えばなぜ?ということでたくさん涙を流しました。ほかの患者との衝突や、これまでの成育歴の話、家族の話、病棟においてあったマンガに感動して泣いたこともありました。
リワークは私をうつだけでなく孤独からも救ってくれました。どこにも属しない転職活動は孤独です。不採用になるたびに、自分が否定されているような気持ちになります。行く場所、帰る場所があるというだけで、ホッとできます。リワークはそんな存在でした。どんなに不採用になっても、行くところがあるということは安心感があります。その安心感が、自分の支えになりました。
クローズでの転職活動は正直言ってしんどかったです。隠し事をして、嘘をついているからです。うつでリワークに通っているのに、健康には問題ないフリをしなければなりません。なかなか決まらず、1年以上転職活動をしていました。安心感があるとはいえ、1年以上も無職では自分も焦ります。また、クローズでの嘘もだんだん厳しくなってきます。1年もブランクがあるのは、何か問題があるのではないか?と見抜かれるからです。
そこで、リワークのスタッフや主治医の勧めで、障がい者手帳を取得し、うつをオープンにして転職活動をすることにしました。今まで嘘で塗り固めていた退職理由やブランクのことを隠さなくていいようになりましたので、すごく気が楽になったのを覚えています。病気を理由に解雇されたこと、リワークを1年以上続けられていることはオープン採用では逆に強みにすることができました。自分の意志で辞めたわけではないこと、リワークを継続していられることは、うつで不安定な他の応募者よりも安定して見えたようです。障がい者雇用のとある転職サイトに登録し、面接会に参加しました。そこで紹介されたのが今の会社です。障がい者雇用のサイトを見ても、正社員での採用はほんの一握りです。そのほとんどがアルバイトや契約社員です。お給料についても一般採用に比べると安いと言わざるを得ません。私も採用当初は契約社員でした。1年更新で、ボーナスもなく雇用について不安な日々を過ごしていました。幸いにして体調は安定していたのですが、契約社員の間は体調を崩せないぞ、休んだら切られるかもしれないとハラハラしていました。
・再就職に至る過程でリワークが大きな役割を果たしていたという印象を受けましたが、リカバリーの過程で周囲の環境が果たす役割や求められるもの、保障して欲しい部分といった観点から、リワークの良かった部分、助かった点などをより具体的に聞きたいです。
→まず、リワークの良かった部分、助かった点ですが、出勤しているのを想定した生活をすることができたことが一番大きかったと思います。うつであろうがなかろうが、転職活動中に困るのが、日中の過ごし方です。毎日面接や試験があるわけではないので、どうしても昼間だらけてしまったり、生活リズムが狂いがちになります。私の通っていたリワークは、平日週5日、9時半にスタートし、16時におわる、土日は休みという生活を送ることができました。
私はたまたまリワーク中に解雇されましたので、リワークの継続を認めてもらえましたが、リワークはそもそも復職を前提とした場所なので、戻る場所がない無職の人は本来参加できないといわれました。社会復帰のためには訓練(リハビリ)は絶対にあったほうがいいと思います。企業もそこを見ています。この人は入社後遅刻を繰り返したり休みを繰り返したりしないか、という保証が欲しいのです。私の場合はリワークに通っていたからまだよかったのですが、無職の人間は本当に居場所がありません。周囲のサポートもありません。お金もありません。無職の精神障がい者が社会復帰をしようと思ってもなにをしていいのかわからないのが実情かと思います。
とにかく、一人にしない、孤独にしないことが肝要かと思います。無職になったら本当に誰ともかかわりがなくなってしまいます。精神障がいを持っていたら、さらに引きこもる可能性もあります。周囲の環境はその人にかかわりを持つことが重要ではないでしょうか。
感想1
原稿ありがとうございます。
「がんばる」っていうのは日本特有の言葉だと聞いたことがあります。私は全然英語には詳しくないのですが、英語に訳すのは難しいらしく、頑張っている人に声をかける言葉としては「Good luck!」(幸運を祈るよ)だったり、「Do your best!」(ベストを尽くしてね)「Relax!」(気楽にね!)になってしまうそうです。聞いたことはありますか?つまり、ベストを尽くしたんなら、それでよし、結果は運もあるし、それ以外のこともあるから気にしないで。楽しもうよって考え方が一般的なんだろと思います。私はあなたに、日本語の「がんばって」じゃなく英語バージョンで声掛けがしたいと思いました。
それに対して、日本は我慢することが美徳だったり、結果を出す、結果を評価されることが多かったり、人(特に立場の上の人)の言うことを聞くこと、大きな組織に適応することがよしとされる傾向があり、必要性とか関係なく「がんばらなくてはならない」状態に追い込まれることが多いのかもしれません。
それから、今の職場で感じる「壁のようなもの」についてもっと詳しく聞きたいです。私自身は障害はないですが、重度の障害がある娘がいるので、一緒に生活しているとうまく言えませんが、社会の中に「障害」という見えない壁みたいなものを感じることがあるので、機会があったら話してみたいと思いまいた。
いろいろなつらいこともあったかと思いますが、自分に起こったことをよく整理できているんだなぁと思いましたし、辛いだけではなく貴重な経験として語れることが素敵だと思いました。そうした経験を糧に次に向かえるあなたと一緒に仕事をしてみたいとも思いました。こうした経験をした方たちと私たちは一緒に暮らしやすい社会づくりをしていきたいと思っています。このネットの居場所事業は全国各地で出前居場所も実施する予定なので、機会があったら参加しに来てください。