思えば、ほんの些細なことの積み重ねだった。「たったそれだけのことだけど、どうしてこのタイミングなのか」と思えるようなちょっとしたストレスが本当に運悪くいっぱい重なってしまった。
「そんなときもある、だから大丈夫」と自分に言い聞かせ続けたけど、心も体もすり減っていくのを止められなかった。
何をやっても、何を言っても意味をなさないような日々が続くうち、いつしか地面を踏みしめる感覚が遠くなって、目の前の景色の立体感が薄れるような?感じがして、ついには現実感を手放してしまったらしい。比喩じゃなく、本当に生きている心地がしなくなった。頭がなんかぼんやりする。日付感覚も記憶もどこか自分のものではないような、昨日と今日が繋がらない感じがする。自分の体が脱け殻のようだ。そんな状態が3年以上も続いている。
何の薬も常用していない。それどころか酒やタバコも一切やらないというのに。
かつて(2018~2021)お世話になったスクールカウンセラーの先生は「それはきっと自分を守るための反応だろう」と言った。
カウンセラーの先生にはTEGを受けさせてもらって、ACの傾向を示す値が高いことを教えてもらった。それと、アサーションとか自己認知療法、曖昧さ耐性とか他人との境界線の話もした。具体的な定義を知ったら、なんだか少し安心した。
でもそうして解明されればされるほど、心は空っぽになった。周りの出来事も自分の言動も嘘みたく感じて、何が正しいのかもわかんなくなって、なんか無性に虚しくて、明らかな理由があるわけでもないのに死にたくなった。そして同時に 、自分の苦しさから目を背けられなくなった。「生きることに疲れた」「楽になりたい」と思う気持ちが誤魔化せなくなっていった。
これからどう生きればいいかを考えれば考えるほど、生きる意味を見出だせなくなっていった。
これ以上、つらい思いをして生きるぐらいならさっさと消えたい。死んだように生きるくらいなら生き生きと死にたい。自分の存在なんて無かったことにして、痛くも苦しくもなく、静かにこの世界からログアウトできたらいいのに。
なんて、ワガママなことを思うようになった。
現実感を失ってすぐの2019年頃は、いくら寝ても疲れが取れないし、頭が重くて、地面はふわふわ揺れて船の上にいるような感覚だった。布団からほとんど動けない日もあった。でも、その感覚はなかなか他人に理解してもらえなかった。(スクール)カウンセラーの先生の勧めで学内の精神科?にも行ったけど、「うつではない」とだけ言われて帰されてしまった。病気じゃないから休学はできない。大学を無断で休む日が続いた。症状を全然伝えられなかった私が悪いけれど、ボロボロの時に理路整然と語るのは無理だろう、と今なら思う。
その後 カウンセラーの先生と相談しながら、なんとか大学に復帰しようとしたけれど、いくらカウンセリングで「休みながらでもいいから授業に出る回数を増やそう」と決めたところで、それは欠席や遅刻の正当な理由にはならない(当たり前)。というかそもそも、カウンセリングには守秘義務があるとかで 家族にも学校にもその内容はおろか、カウンセリングを受けていること自体知らされないわけで。実際、何人かの先生には「なぜこんなに休むのか。やる気がないのか」と怒られてしまった。しかも運悪く、よりにもよって復帰を決めた最初の授業で当てられ、答えられずに「今までの授業で何をしていたのか」と怒られてしまった。
それ以来授業に出られなくなり、カウンセリングのためだけに籍を置いているような日々が続いた。最終的には退学届を出し、そこからはアルバイト1つせず、カウンセリングや診察を受けることもなく、いい歳をして引きこもっている。退学届を出すと決めた頃は家でずっと泣いてたはずなのに、今となっては焦る気持ちも必死になる気持ちも失くしてしまった。
もう、現実の出来事を理解したくないのかもしれない。頭が、新しい事柄を受け入れようとしないような感じがする。
気持ち的にはもうとっくに死んでいる。
体がここにあるのか自体 時々疑いたくなる。自分はもう死んだものとして生きている。自分でも変だと思う。幽霊とかゾンビの方がまだまともかもしれない。
中学生のころ、当時では珍しい「起立性調節障害」と診断された。体が思うように動かない苦しみだけでなく、信頼していた人たちからも理解されない、「怠けていないで頑張れ」と言われる苦しみを嫌というほど味わった。部活も辞め、中学生活の多くを棒に振った。
だから高校では病欠以外では一度も休まず、勉強もたくさんした。より高いレベルを目指したくて浪人もさせてもらった。人生を賭ける覚悟をして、頑張って頑張って勉強したのに。頑張って唯一得られた(希望通りではなかったが)大学合格という結果すら、結局自分で無駄にしてしまった。
人に言われたことを優先して行動できること、真面目に頑張れることだけが取り柄だった。でももう頑張り疲れたし、頑張り方さえも忘れてしまった。
あの時の私は誰なんだろう。
自分の弱さを言い訳に引きこもったつもりじゃない。これでも自分の弱さと付き合いながら生きる方法を必死に模索していたつもりだった。
怠けたくてこうなったわけじゃない。
カウンセリングや学校に向かう電車に飛びこみたいと思ったことだって一度や二度じゃない。退学を考えはじめた頃は高校時代の光景が何度も夢に出てきた。
でもそれは、誰にもどこにも通用しない。
どこかふわふわした思考の中、何を思ったかアルバイト面接を受けたのが去年の12月のこと。
いくつか質問をされるうち、急に生きている感覚が戻ってくる気がして、なんか気持ち悪くなって、怖くて、なんかふとまた死にたくなった。
自分が存在していることを実感するのが嫌だ。自分が生きているという事実を信じたくないことに気づいてしまった。
私は今までどうやって生きてきたんだっけ?
というか、
生きてるって、何だっけ?
(ここまで長々と失礼しました。
自分勝手なこと、おかしなことを書いている自覚は十分あります。場違いな内容でしたら申し訳ありません。)
感想1
経験談の投稿、ありがとうございました。あなたが自分の弱さと付き合いながら生きる方法を必死に模索していたことが、この経験談を通して私にはよく伝わってきています。あなたは、自分をコントロールしようと自分に言い聞かせ続けたり、スクールカウンセラーの先生の所に通ったり、様々な知識を身につけたり、大学に復帰しようとしたり…こうして並べてみると、本当に沢山の事をされてきたのですね。「もう頑張り疲れた」と書いてくれていたことに、とても納得がいきます。
「どう生きればいいのか?」と沢山考えても、考えても、あなた自身が納得いく答えは出なかったのかなと想像していました。この問いは、すぐ答えが出るような問いではないと私は思っています。(実際、私自身も考えたことがありますが、全然わかっていません。)すぐ答えが出ない問いを考え続けること自体、膨大なエネルギーを使いそうで、その疲労感から「つらい思いをして生きるぐらいなら…」という考えに至ったのでしょうか。そう考えると、私はあなたの考えに対してワガママだとは思いません。楽になりたい、消えたいなどと言った気持ちになるのは、自然なことだと思います。
アルバイトの面接を受けたとき、あなたは気持ち悪くなって、怖くて、死にたくなったと書いてくれていました。これはどうしてだったのかを、ちょっと私なりに考えてみました。アルバイトなど、「仕事」をするということは、自分が社会の一部となるということだと私は思っています。社会の一部になれば、周囲の人々に一人の人間として認識され、必要な頭数として数えられることになる。そのことが、あなたが書いてくれていた「自分が存在していることを実感する」ということだったのかなと、私は思いました。同時に、それはプレッシャーでもあったのかなと想像をしていました。退学をしてからは引きこもっているとのことでしたので、面接を受けるまでのあなたは、自分を外の世界と一時的にシャットアウトしていた状況だったと私は認識しています。(違っていたらごめんなさい。)その状況から、外の世界に踏み出すことは、ものすごく怖いだろうなと思いました。
もし私が外の世界をシャットアウトしている時、自分が存在していることを実感すれば、嫌でも「生きていかなきゃいけない」と思わされているようで、「生きろ」と突きつけられているようで…それはすごくしんどい思いになりそうです。(あなたが面接後にどんな気持ちになっていたのかを理解したく、「もし自分だったら?」とあれこれ考えてみました。)
今、あなたの中には様々な「問い」が存在していて、よくわからない状態…まるで霧の中にいるような状態なのかなと私は思いました。こうして経験談を書いてみたりすることは、少しでも視界がクリアになる事に繋がるかもしれません。ですので、また来て欲しいと思いました。