経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

自閉スペクトラムと優等生気質

これまでに二度、体験談を書かせていただきました。
 二回目の投稿から一年半ほどが経過し、また体験談を書きたくなったので投稿させていただきます。

 一度目の体験談で社会に出るのが怖い、二度目の体験談で仕事がきついと言っていて、結局、近々退職する運びになりました。
 やはり、しんどかったみたいです。これから先の何十年も同じような仕事を続けていくと考えたときに、心が折れた感覚でした。

 仕事の環境は、少なくとも自分には適していなかったと考えています。ただ、業界の中では良い方なのでは、と思います。
 自分の特性を理解せず、むしろ隠して就活、配属の面談を行った自分にも非があると今は考えています。「にも」という言葉を使った辺り、身の回りの社会に対する不満が隠せずにいます。
 ではどうするべきだったか、と問われると、あのときの自分の状態では社会経験が無さすぎて判断のしようがなかった気がします。今この時が社会経験と言えるのかもしれませんが、だいぶ無責任なことを言っています。
 こうなる結末が予感できていたのなら、いっそのことより不適合だったとしても、自分が興味を持っている職種を希望すればよかったです。

 ここ十年ほどの間に感じたのは、恐らく自分は自身の心情を理解または制御できていなくて、他者にそれを伝えることも苦手であるということでした。
 掘り下げると、自分は他者に自分のことを伝えようとします。
 これの逆で、他者に自分のことを伝えようとしない人がいるらしいことを知ったときには衝撃を受けました。それは自分の視点では全く考えもしないことなので、まるでその概念が自分にありませんでした。
 どうして他者に自分のことを伝えようとするのか。それはどうやら、他人に自分のことを分かってもらいたい、理解してほしいという強い欲求(承認欲求?)が背景にあるようでした。

 承認欲求が強くなった原因のひとつは、子どもの頃にあったと思います。
 長男でかつ親族の繋がりが深かったため、親や周囲からの期待は大きかったです。
 特段何かを言われたとか強制されたという感覚はないのですが、振り返れば自分でも驚くくらい、自然と周囲の視線をうかがう性格になっていました。
 一人のときに死にたいと零すようになったのは五歳辺りからだったはずなので、あの頃から心の歪みみたいなものができていたのかもしれません。それを今まで放置し続けたら、それは自分の本心も分からず、表現もできないだろうと思いました。

 人と話す中で、自分には自分の意思というものが無いらしい、ということに気が付いたのはつい最近のことでした。
 進路や就職先、習い事などは基本、周囲の反応が良いか悪いかを見て、正解を見つけるような感覚で選びました。正解の選択肢を選べた際にはひどく安心したものでした。
 その陰で、自己は薄れていったようでした。本当は何がやりたかったのか、今から何がしたいのかと問われても、その素地から自分は持ち合わせていないので、困ってしまいます。
 ただ、結果として自分の人生に対して責任意識が薄いので、きつかったら簡単に辞めてしまうし、平気で人のせいにできます。
 自分の意思で自分のことを決定し、その責任を負える人はすごいなと他人事のように思っています。ただ、そういう方は自分の弱みを人前に出せなかったりするみたいです。

 学校での正解は優等生であること、と自分は判断し、そのように振る舞うことで安心を得ようとしました。
 優等生であろうとし、苦手なことは隠して表面上取り繕ったまま、行けるところまで行ってしまったことで、後から大変なことになってきました。
 もともとの失敗を恐れる性格がさらに強固なものとなり、失敗や叱責を極端に怖れ、そのような目に遭うと、自分からその記録を消すために強硬な行動に出るまで行きます。例えば仕事や学校を辞めるなどです。
 自分の優等生気質というものは、ある種の依存症にも近いと思っています。もはや病気と言えるものです。こればかりはどうにか治療できないものかと、悩みの種になっています。
 不治の病だとするのなら、せめて発症は防げなかったのかと、逃避的ですが考えてみました。ですが、そのいずれもが生存戦略から来る選択であり、他の選択肢は取りようがない、ある種の必然性があるようでした。

 自分が仕事で抱えた悩みは、主に仕事の遅さから来るものでした。
 事務系の業務で、判断に迷いがある、表計算にミスが多い、文字を打ったり文章をつくることが遅いなど、素早くこなせる仕事がほとんどありませんでした。
 もともと、小学生の頃の百マス計算辺りを始まりに、人並み外れて作業が遅いという認識はありました。
 これまでは他の能力で穴埋めしてきたり、取り組む作業に対して自信を持っていればある程度フォローできたのですが、今回は立て直すことができませんでした。
 職場の理解というものは、正直厳しいだろうと思います。その人の持つ常識の範囲外にいる人を認識することは、とても難しいことです。チーム単位となると、尚更のことでした。

 人それぞれだと思うのですが、今の感覚的には、自分の中に二つの自我があり、それらの主張が真っ向から対立するため、出力までに時間と労力を要しているようです。
 自分の場合、基本は人の三倍、苦手な事柄であれば五~十倍の時間が欲しいと常日頃から思っています。
 この二つの自我というものは両親から来ているのだろうと、兄弟と話す中で推測がされました。多かれ少なかれ、この無駄の多い思考は兄弟間で共通して現れていました。

 両親はほぼ真反対の性格をしていて、父は読書家で口下手、母は世話焼きで口喧嘩が上手でした。彼らから生まれた子どもは、その嚙み合わせで面白いこと(?)になりました。
 内向的な自分も、外交的な自分もいる。一人でいる時間が必要だけど、人と話したい欲求もある。事前の準備を入念にしたいのに、それを面倒くさがる自分もいる。
 挙げてみればこの二面性は割と誰にでもありそうですが、それらが極端なのかもしれません。手綱を握ろうにも、それらが一対どころか大量にあって、その場その場で適切な手綱を握ることは難しいです。
 自分の場合、さらに厄介なのが、この自分でもよく分かっていない感覚を他人と共有したがることです。
 とにかく他者の承認が欲しいのに、そもそも自分が暴走気味で自分が何を伝えたいのかも分からないので、結果として自分と相手に失望し、拒絶に走って人間関係を壊すという言動を何度も繰り返してきました。

 ここまで思い浮かぶことを書いてきましたが、死にたくなると非常に苦しいですし、余裕が無くなって周りに対し攻撃的になってしまうため、基本的にはあまり深く考えないようにしています。
 目を背けているだけで問題は放置されたままなので、実際には既に心の余裕は少なくなっていることを、人と話しているときに感じます。
 困った状況ですが、解決策は見つかっていないのが現状です。この状況からずっと抜け出せない人もいるのでは、と思います。
 離職が決まり、進学・就職と続いてきた安定の道筋を初めて外れることになり、両親の期待も初めて裏切ったということで、あとは気力が続く限り、解決の糸口を探っていけたらと思います。

感想1

経験談、読ませていただきました。
まず少しだけ自己紹介をさせてもらうと、私も自閉スペクトラムで、いわゆる優等生タイプだとも思います。だからといってすべてに共感や正確な理解ができるわけではありませんが(それはどんな相手だろうとそうですね)、基本的には「うんうん、分かる」と頷きながら読みました。とくに、なるべく客観的に分析的に物事を捉え、自分と世界のありようを理解しようとする姿勢に共感しました。あくまで私の感覚になりますが、それは理解しようとする主体的な取り組みというよりは、そうしないと上手くこの世界を生き抜いていけないという切迫した必要性からきている姿勢だと思っています。

他人に自分のことを分かってほしい気持ちの強さ、身の回りの社会に対する不満についても、自分と共通する部分があるように感じました。私は、今の社会で自閉スペクトラムとして(として、というのは少し変な表現ですね…あくまでただ与えられた自分の特性の一つで、人格ではないので…。でも他にいい表現が浮かばないので使います)生きるというのは、常に異文化の中で、異文化を「正解」「当たり前」として説明もなしに押しつけられ続けること、と言ってもいいほどきついことだと思っています。
それだけ慢性的に余裕を奪われ続けていれば、せめて誰かには正確に理解してほしいと思うのも、周りに不満を抱くのも、自然なことではないでしょうか。ただ、その欲求や感情に吞まれてしまうと自分も周りも苦しいので、大事な自分の感情(心の叫び)として受け止めてあげた上で、どう付き合っていくかはまた別の話になるのだとは思います。

私はどちらかというと恵まれた環境で、自主性を重んじられて生きてきた方だと思いますが(とはいえ集団生活では優等生でいた方が平和に生きられますし、周りが見える方なので優等生でもありました)、何を本当に心から求めていて/何がつらくて悲しいのか、に気づくまでに30年近くかかりました。優等生であることを求められていたのならば、さらに自分というものが見えなくなって当然ですし、特性的に判断軸がないのが不安な部分もあるかと思うので、自分の心とうまく付き合えるようになるには時間はかかるかもしれません。
自分の感覚や感情をどうにか共有(適切に想像)してほしくて、人間関係を壊すのは私もしてきましたし、今もまだ課題のまま、深く人と関わらないようにして心身を守っています。

なんだか暗いことばかり書いてしまいましたが、投稿者さんが離職を決めたことは、私はとても大きな一歩だと思います。周囲に気を遣い、仕事内容でもすり減る人は、ストレスから一度解放される期間を設けないと、自分を知りコントロールするのを覚えていくのが難しいと思うからです。実際に自分もそういった期間を設けたことで、いくつかの問題が前向きな方に変化していった経験があります。
期待という抑圧(と呼ぶのは極端かもしれませんが、自分はそう思います)から解放されて、その自分と向き合い考える力を武器に、投稿者さんが少しずつ自分を見つけていけることを願っています。経験談の投稿、ありがとうございました。

感想2

今回3回目の投稿ということで、あなたの人生の局面に経験談を思い出し投稿してもらえたことは何だか光栄な気持ちになりました。
文章がとても読みやすく、あなたが仕事に就いてから何を感じてきたのか、そしてそれがどこから来ているものなのか背景も含めてとても理解しやすかったです。
「やはり、しんどかった」とありました。ある程度予想できていた結果とも書かれていましたが、前回の投稿から1年半の間、事務作業のやりにくさもある中、職場で自分のことを伝える難しさを感じつつ、逆に伝えてもらえないことを不可思議に思いながら仕事を続けてきた様子がわかりました。私が関わっている職場でも相手に思ったことを伝えずに悟り合いしたり、噂話が後から聞こえてきたりすることが多くあり、いつも不可思議に思っています。考えていることを率直に伝え合えない、確認できない中で働くことは見通しがつかない霧がかかった中を歩いていくようなイメージが浮かびます。しかもそれが毎日何時間も続くとしたらしんどさしかありません。経験談の中で「自分には自分の意思というものが無いらしい」「今から何がしたいのか問われてもその素地から自分は持ち合わせていない」と書かれていました。そこから連想するのは、仕事をしながら「これで大丈夫か」と正解を確認しながら進むことができない、業務のメンター的なひとがいない職場で働くことはとてもしんどいことだろうと思いました。あなたは承認欲求が強いと言っていますが、“自分のことをちゃんと理解してもらいたい”ことの表れで、“自分を見て!”とは違う印象を私は受けました。あなたがおっしゃる通り、人間は少なからず両面性や両価性を持っているものかなと思います。(私もひとが嫌いなわけではないけど面倒くさく感じるとか。ん?嫌いなのか…自分でもわからない)例えば、ひとが怖いけどひととつながりたい。ひとに合わせようとする自分もいるけど、自分の考えを頑なに持っている。そこに人間関係が絡んでくるので、一貫性をもって操縦できるひとはあまりいなくて、両面が揺れ動く時に悩んだり、ふさぎ込んだり、疲れて動けなくなったり、死にたくなったりするのかな…とあなたの経験談を読みながら考えていました。
あなたの表現を借りると、あなたが初めて優等生から外れたいま、改めてあなたの奥にある意思や感情を率直に出しながらこうやって対話して、これからを考えていく機会をもてると良いのかなと思います。なによりあなたは自分自身の感情や考えを捉える感覚を持っているし、今回の就職を通して悩んだ分だけ更にその力をつけていると私は感じました。
今回の経験談は私も職場、自分、人間について考えることができました。
ありがとうございました。

お返事1

感想1の方
冒頭に書いていただいた、「すべてに共感や正確な理解をする」ということについて、それは実質不可能だということに、最近実感が追いつき始めた気がします(勘違いかもしれません)。
人の心を分析しようとすることは、たしかにどちらかと言うと必要だと思うから行っています。興味があって主体的に、とはならないですね。そこに興味を持てていたら、また何か違う生き方をしていそうです。

常に異文化の中にいる感覚というのは実際にその通りで、特に仕事絡みでそれを感じることが多かったように思います。
自分が少数派なのだとしたらある程度は仕方ないし、相手にこちらの文化を受け入れろと言っても難しいだろうし、でもやっぱりきついことに変わりはないな、ということを悶々と考えています。
このまま詰んでしまうのも困るので、心はそう簡単には変わらないことは承知の上て、自分の物事の捉え方を深堀して立ち回りを工夫したいです(これかな、と思う方法がぼんやりと浮かんできているくらいではありますが)

自主性という言葉を書いていただいて、その言葉をもとに考えたことはなかったので、何度目かの人生の振り返りをざっとやってみました。
自主性を重んじられた、または奪われたという、どちらの記憶もあまり該当がないため、奪われた経験がないなら重んじられた方かな、という結論です。
しかし、一番しっくりくるのは自分から自主性を捨てていった、という表現です。この体験談で何度も取り上げられている優等生ですね。
何を心から求めていて/何がつらくて悲しいのか、は時間がかかると聞いて、そうだよな、と目を逸らしています。時間が解決するだろうと全力で見ないようにすると、その分延伸しそうな気さえしますが、どうでしょうか。
ただ、深く人と関わらないようにすることは、自分の衝動が耐えられるかはともかくとして、これまでの経験からも自分もその選択を取った方が無難かもしれないと考えています。

実際に離職がきっかけで、考えることの幅は広がったように思います。特にストレスからの解放は実感していますが、今度は生活の乱れとの戦いになりそうです。
時間を必要としてそれを確保することと、それと向き合うことは別ということですね。大分だめな発言をしていますが、事実なので、せめて忘れないようにしたいと思います。
実体験に基づいたご感想をありがとうございました。参考になりました。

感想2の方
過去の二つの体験談を読むと、当時と今とでは心境の変化があったり、経験の有無が出てきたりしています。前とはまた別で綴りたいことがある、という思いが筆を執らせています。
今は、今回の体験談で充足していますが、何年後かまた見返すと、表現したい事柄がまた出てきたりするのかもしれません。

まだ仕事に対しては客観的になれていないでしょうが、自分のことを伝えるのは本当に難しかった、というよりも最後までできませんでした。
相手から伝えてもらっていないことについては、直接伝えられると傷つくかもしれませんが、噂を立てられるよりはましかも、と思いました。
気付かないまま、あるいは自分に暗示をかけてそのまま、が心の安寧的にはいちばん良いか、あるいは「正直に伝えてもらう」以下で「噂」以上くらいの立ち位置になりそうです。

これで大丈夫か、正解の確認にもたしかに困っていましたね。そもそもこれは確認を取るほどのものなのかが分からないという状況でした。
こんなことは聞かなくてもいい、なんでこの確認を取らなかったんだ、の両者の間で判断を迷って続けて時間が過ぎていく事態が、ほぼ毎日発生していました。
この数年間で新人という立ち位置からは一切動かなかったな、という感覚があるのですが、これは結局、自分の判断を止めて何から何まで全て上司に確認を取ることから抜け出せなかったのが要因にあるようです。
その申し訳なさからくる心理的な負担も、衝動的で拒絶的な退職を後押しした気がします。

両面性については、そもそも自分はその概念自体をかなり否定したいのですが(人にそれをされるとわけがわからなくなるため)、本文に書いたように、自分自身がより極端にそれが表れていることを否定できません。
両面が揺れ動くことは自分にとって日常茶飯事でしたが、それに対し自分で怒っているようなので、疲れてしまうのはあると思います。この揺れ動きが少なくなる未来は、正直想像がつかないです。

優等生気質はほぼ本能のためこれからも腐れ縁のようになってしまうのでしょうが、少なくともそれを自覚して行動したいと思っています。
自分の物の捉え方は自分を振り回すしあまり信用できないと感じています。しかし、経験を言葉にすることについてはご指摘の通りなんとかやっていけている気がするので、活用できるのであれば使っていきたいです。
体験談だけでなく感想を通じて再び考える機会をいただき、ありがとうございました。

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