私は保育所時代からずっと父からの暴力を受けてきました。1人で働き一家を支えていた母はそんな父に疲れ果て、私の誕生日などの特別な日も両親は喧嘩していました。私は母に心の内を聞いて欲しかったところがありますが、母は向き合うのが怖くて私の話を聞くことができなかったようです。私自身も虐待されていることを恥ずかしいと思っていたため周りには隠して生きてきました。ピアノ教室に行く前は母が父から殴られた時の顔のあざを化粧で消してくれました。
学校では字を書くのが遅く、授業についていけませんでした。その上忘れ物も多く先生でも思ったことを忖度なく言ってしまうために学校の先生には嫌われてよく何時間もみんなの前で怒られたりと吊し上げにされました。家でもこだわりを持っていたことで母にわがままで、頑固、節約を知らない子と怒られていました。後に発達障害のASDと診断されましたがとても合点がいきました。一度父からの暴力を学校の先生に相談したこともありましたが、嫌われていた私は結局帰らせられました。
死にたいと思い始めたのは小学高学年の頃です。それまでは父の優しい時を知っていたので家に居たくない、死にたいと思いながらも虐待されている自覚もありませんでした。しかし友達との話や家庭科の授業でみんなの家は違うんだと気づきました。今思えばある種洗脳だったと思います。こんなことをする父を好きと思っていた自分に物凄く自己嫌悪したのがきっかけです。その時は寝ている父に包丁をむけたこともあります。その当時は私が変わっていて勉強も遅れていたのでクラスでいじめに遭っていて先生にも目をつけられ、友達もいなかったのでそんなことは誰にも言えずどう死のうか常に考えている日々でした。私は自殺に憧れていてそうすれば全て解放されると思いながらも怖くてできない自分に情けなさを感じていました。
高校は寮に入り、空気を読んだ会話ができず同級生や寮の先生、先輩、後輩とトラブルになっていました。そんな中で部活に入りましたが、下手だった私は同級生や後輩に見下されてしまいました。高校になると同級生はみんな抜け私を下に見ている大勢の後輩を1人で率いることになりました。家にも帰りたくなかったので、もはや八方塞がりのような状態でした。
寮の友達から聞くと市販薬を用量以上飲み始めたのは高校2年生だったようです。私はその当時オーバードーズをしていると言う自覚もありませんでしたし、オーバードーズという言葉も知りませんでした。自分では危険なことをやっているという自覚もなくなんとなく毎日十数錠という生活を送っていました。しかし寮なので当然友達にバレ、やめるように言われ自覚し始めた頃には抜け出せなくなってしまっていました。何が辛いのかわからずその辛さに極限まで気付けないことも依存を早めた原因だと思います。当時は手に持っていないととても不安で「薬を飲んだ私は全部耐えられる」と信じられるので、何があっても薬を飲んだ私は耐え切れると安心するために薬の効果が切れないように一日中飲み続けていました。心配して止めてくれる友達に関してじゃあ今の大変な状況打破してくれんの?1人で生きていけば薬飲み放題なのに!と本気で思っていました。本当に申し訳ないです。薬を飲んだこと、あるいは禁断症状で起きた失敗も薬で解決しようとしていました。部活の試合では後輩の悪口に耐えるため先に飲んでから出発していました。当然試合中に倒れてしまいキャプテンなのにコートに居られない後輩に対しての申し訳なさと最低限のこともやれない自分に自己嫌悪し、また飲んでしまうのでした。耐性がつき薬が効かなくなってきてどんどん量は増えました。引退後も何回か倒れ救急車で運ばれ精神科にかかることになりました。薬を飲まずに1ヶ月我慢していたある日、普段の2倍も3倍もある量を衝動的に一気に飲んでしまいました。薬は脳まで回り何時間も笑い続け、いろんな人に電話してしまいました。恐ろしいことにとにかく楽しかったです。ろれつは回っていましたが話は支離滅裂で薬が抜けるまで何週間も必要でした。心配した友達が家に来てくれ一緒にいてくれました。正気になるとみんなに迷惑をかけて申し訳ない気持ちでいっぱいでした。しかし周りは全然咎めてくれないので死んだほうがいいと思いましたが死んでも償い切れないので、死にたいと思うのは迷惑かけたのに償えないという申し訳なさに耐え切れないから死にたいというとても自己中心的理由だと思いました。生まれてから色んな人に迷惑かけてきて生きてきた私は今回の件で「もう流石に死ぬべきでは?」という考えに至ったこともありますが今は今まで支えてくれた人たちに感謝してどうにか生きています。拙い文章ですがご容赦ください。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
虐待、いじめ、発達障害、オーバードーズ
感想2
たくさん薬を飲んだエピソードがつい最近のことなのか、それとももう少し前にあったことを思い出して書いてくれたのでしょうか。私の想像では、わりと最近の出来事で、その気持ちを一人では抱えきれずに書いてくれたのかもしれないと思いながら読みました。
まず伝えたいのは、幼いころから日常にあった暴力と周囲からの無理解や理不尽な扱いを受けてきた環境の中で、生き抜いてきたことへの労いと、こうして死にトリにつながってくれたことへの歓迎の気持ちです。小学校高学年で死にたい気持ちが出てきたり、自殺に憧れたり、そしてオーバードーズをすることも、どれも無理のないことであり、すべてはあなた自身が自分を何とか助けようと思っての気持ちや行動であると私は思いました。
あなたは人に迷惑をかけてきた、自分が至らなかったと思っているのだろうと感じましたが、ある意味ではそのような事実があったとしても、それはあなたのせいではなく、責められることではないと思いました。そのことは、周囲の人たちも理解をしてくれているからこそ咎めないのだろうと思います。ただ、その周囲の理解もまた、あなたにとっては心苦しいことであり、プレッシャーなのかもしれません。
周囲の理解が負担になるのも、暴力を受け続けてきた影響があるように私は思いました。人が適度に人と関わり自分らしく生きていくためには、安心安全の感覚を経験し、それが心の土台となることが必要です。しかし、あなたがこれまで生き抜いてきた道は、安心安全ではなくいつ襲ってくるか分からない暴力にいつもアンテナを張り巡らせる緊張や恐怖や不安があったでしょうし、自分の気持ちや存在も何度も打ち砕かれたきたのではないかと思います。自尊心にダメージを負ったまま、人を頼ったり、人の好意を受け止めることは想像以上に難しいと思います。この世の中があなたを守ってくれるような存在ではなく、危険がいっぱいの戦場のように感じてしまう反応が染みついていても無理はないことだろうと思います。
そして、発達の特性があり、周囲の人と理解の仕方や学び方、感じ方が異なる中で、何が起こっているのか、自分がどうしたらいいのかわかるように教えてもらった経験もとても少なかったのだろうと考えると、状況は理解できてもどうしたらよいか分からない状況は続いているのかもしれません。そうなると、周囲からの理解や配慮が分かるからこそ、自分の無力さを痛感して、いたたまれなくなる気持ちも想像できるように思いました。
言い方を替えると、私はあなたには伸びしろがたくさんあるように思っています。こうして、自分の経験を言葉にして伝えることはあなたにしかできないことであり、誰かの役に立つことだと感じながら私は読みました。「死ぬべき」という思考は確かにあるかと思いますし、そう思うことに納得できます。ただ、実際にあなたが死ぬべきだとは私は思わなかったですし、もう少しこうしてあなたの気持ちや考えていることを聞きたいと思っています。
よかったら、また死にトリに来てください。待っています。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。
自分のことを少し他人事のように切り離して語る文章だと感じて、それは生きのびるためにそうするしかなかった、傷の深さの表れのように私は思いました。
オーバードーズでの逃避も、そうしないと日々を乗り切れなかったからだと私は感じましたし、あなたの内面が孤独であり、自分だけでどうにかしないとと頑張り続けてきたのかなと想像しています。
今は支えてくれた人たちに感謝してどうにか生きてるとありましたが、もし誰かを頼れているならそれには勝手ながらほっとしつつ、感謝が支えであると同時に自分を縛って苦しめるときもあるかもしれない…?と思ったりしました。
私はASDなので、自然体で振る舞うと、忖度ない発言をしてしまうし、周りに頑固だと思われるのはよくわかります。それが相手にとって時に不快に感じられることや、困らせてしまうことも経験してきました。
でも、だからといって一方的に怒ってくるのはひどいよ・・・と私は思います。もし不快に感じる部分や困る部分があるならそれをフラットに伝えてくれればいいだけですし、「忖度する」「従順で柔軟である」ことが正しいと押しつけないでほしい・・・と私は思います。
あなたは虐待で家庭で安心できることも少なかったかと思いますし、その上で自分が自分であるだけ(だと私は思います)で周囲に攻撃や排除をされたことは、かなりのストレスがかかる日々だっただろうと想像しました。幸運なことに私は周囲に恵まれてきたので、想像しても、想像しきれないかとは思いますが…。
いつも気を張り詰めたような精神状態だったかと想像しているので、何時間も笑い続けたときは、これまでで一番解放された・安心できる時間だったとも言えるのかも?と私は思いました。
私の話になってしまうのですが、死ぬ気で正気を守り続けてまで得たいものなんてあるのか?もういっそ狂気に呑まれてしまいたい・・・と思った時期があって、正気を捨てた時間を「とにかく楽しかった」と表現してしまう気持ちに勝手ながら共感しています。
「死にたいと思うのは迷惑かけたのに償えないという申し訳なさに耐え切れないから死にたいというとても自己中心的理由」という言葉が経験談にはありましたが、死にたいはいつも自己中心的理由である・・・いや、そもそも人間はいつも自己中心的理由で行動しているのでは・・・?とまで私は思っています。
だから大事なのは、自己中心にならないことではなく、自己中心であることを「自覚していて、認められる」ことなのかも、と思います。例えば「死んでほしくない」だって、「死なれると私がつらいからやめて」という自分本位な動機だと私は思いますし(しかもそれをもっとつらい人に押しつけるなんて罪深い…!と思っています)、私が経験談の感想を書いているのは「生きづらい人が自分を責める社会だと、人を生きづらく追い込んでいるマジョリティがいつまでも罪を自覚しなくて腹立たしい」という私怨から始まっている気がします。
・・・私が何を言いたいよくわからなくなってきたのですが、自分の自己中心的な側面をもし否定的に感じているのであれば、それは論理的には変じゃないのか?(そう感じるのを否定するつもりは全くありません)という持論を伝えたかった感じです。
まだまだ気持ちの整理や消化はできていないかと思いますが、起こったことはよく整理されていると私は感じているので、どうやってここまで整理するに至ったのか、何か役に立ったものやきっかけがあったのか、ちょっと気になっています。
また何か書きたいことがあれば、私の気になりには返答しなくても全く構わないので、よければ死にトリを使ってください。