アラフィフ男性です。数年前にヒルティの幸福論を読み、非常に感銘を受けました。
確かに良い事も沢山書いていたのですが、中には誤りも書いてあったと今は思っています。その中で私が1番、悪影響を受けたのは、神の導き、についての彼の記述でした。人は導きに従って生きれば安泰安全だと繰り返し書かれていて、書物や人のとの出会いも導き、だと。私の常識的には、ん?と思う部分でしたが、彼の説く言葉に心酔して居た私は、私の知らない宗教の神秘かと思い、信じてしまったのです。
当時出会った、女性が、自分の為に神から遣わされた人だと何の根拠も無く信じて結婚。
良い方でしたが、私のタイプでは無かったです。
努力しましたが、自分を変える事は出来ませんでした。別れを切り出し、彼女も号泣、私の胸は張り裂けそうでした。神に対して恨む気持ちも出ました。何故こんな酷いことをするのだと。
7年経ちましたが、今でも自分が離婚で、神に逆らったと、神から責められている様に感じて本当に辛いです。
導きは、論理的、科学的に存在しないものだと今は思っています。偉人の本でも間違いが書いてあるのだと。宗教も誤っている場合があると思います。いつか自分を許せる様になって、神が本当は私を心配している事を思える様になれたらいいなあ。苦しさで死にたくなったりするから、、
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
神を信ずる時に気を付けて置くべき事
感想2
投稿を興味深く読ませていただきました。私は該当の本を読んだことがなく、また神(とくに人格神)を信仰した経験がないため、あなたが書いている経験を想像はしてみても、しっかりと理解できてきるわけではないかもしれません。
私にとってイメージしやすい言葉で書くと、あなたが「神の導き」についての記述に感銘を受けたことで、あなた自身が生きている日々やとりまく出来事をその記述を前提にして読み解き、その解釈を深く信じた、ということなのかなと思いました。
日常にあるさまざまな事実に対し、私たちは自分の経験や身につけてきた価値観、獲得してきた認識から、解釈をし続けて生きているように思います。私も本を読むことで身につけてきた価値観がたくさんあるなぁと思うので、だれかの言葉に感銘を受け、それを内面化していくという過程にはシンパシーを感じます。「信じてしまった」と書いてあることから、あなたは一番心酔していた頃よりはそれらの解釈に距離を持っているのかなと思うのですが、一方では、今も「神に逆らった」という感覚があるということで、信じること、物事を捉えることの複雑さを感じています。
国や文化、地域などによって、信仰する宗教の形はかなり様々ですよね。そういえば、ロビン・ダンバーという人類学者が人間の個別の「信仰」の意識が元になり、集団の中で「宗教」という構造的なものになっていく過程を分析していて、とても興味深かったです。個人的に、私は特定の宗教や他者がいう信仰をそのまま取り入れたことはないのですが、この世界について漠然とした信仰心は持っているなぁと思っています。
今回はあなたの信仰について書いてくださっていますが、それに至る以前のあなたがどんなふうに日々を捉えていたのか、どんな出来事や生活の中で変遷があったのか……など、別の側面についても気になりました。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。
自分は家族も友人もちょっとひねくれてるといえるほど現実派ばかりなので、触れたことのない世界に触れられた新鮮さを感じながら読みました。私はヒルティも、幸福論という本も聞いたことがなく、そういった本を読むのも苦手なので、何も知識がないまま感想を書かせていただきます。(すみません・・・)
もしこの話を教訓的に捉えるなら、いくら感銘を受けたものでも、自分が「ん?」と思うものはスルーした方がいい、という話だと私は感じました。人の論はどれほど完成されているものに見えても、一個人の「私はこう感じた」という主観であり、それが自分にとっての正解になる保証はきっとないのだろうと思います。私は書物に影響を受けることは少ないですが、周りのアドバイスは素直に聞きすぎる傾向があり、実践しては自分が苦しくなるだけを繰り返した時期がありました。
ただ、実は私は私なりに神の存在を悪用(?)していて、自分に起こった不幸は全部「神のせいだ」と思っています。不幸を周りのせいにすると周りに腹が立ってしまって不便だし、自分は自分なりに頑張っただけで責められるべきじゃないと思っているので、神に責任を押しつけている感じです。
神については浅い知識しかないですが、世界的に見れば神は何百何千といるし、ギリシャ神話の神なんか随分と欲深く私には思えるし、私は私なりの神を信じてもいいよね?と厚かましい考えをしています。また、アイヌ民族の神様の話は、厳しい自然で生きるための合理的な教えだと感じます。だから、神の存在・物語は自分の生活を守るためにあって、もし神がいるとしたら生きるのを応援するためにいるはずだ、と思っています。
その論を採用するなら、神はあなたを応援し、あなたのことを心配しているはずです。
恐れ多い内容ばかり書いてしまいましたが、神様は寛容で私を許してくれると信じています。