経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

ずっと痛い。

私は小さい頃から親の期待に答えようと頑張っていました。習い事は週7回。どれも夜十時を回っていたと思います。小さい頃だからこそ”親の言うことが正しいんだ”という概念に囚われていました。
でも小学校5、6年になると私の家がみんなと違うことに気がつくんです。友達のお家には遊びに行っては行けない。1人で自転車には乗っては行けない。テストは80点取らなければ家に入れて貰えない。みんなは私がおうちのルールを話すと嘘だと笑いました。でも私は本当に訳が分からなかった。私がおかしいのかなって。
そして中学一年生。一学期のテストの結果はどの教科も10番以内。学級委員も務めました。そして二学期に差し掛かったあたり、とうとう心身的にぼろぼろになった私は不登校になりました。学校に行かなくなると元々悪目立っていたこともあった私は学年中で笑いものにされ、私の学校ではあまり知られていなかったカウンセラーの男性の先生とよく一緒にいたこともあり、びっちと呼ばれ続け、一日中泣いていました。でも親は病院に行かせてくれなかった。私のこの苦しい気持ちに病名をつけたくなかったんだと思います。自分の娘が精神疾患を患うなんて、想像したくもなかったと思う。本当のところは分かりません。でも親は私が不登校の日を重ねるにつれて痩せていきました。沢山負荷をかけていたんだと思うと自傷に走るのも仕方なかったと今になっては思います。どれだけ苦しくても週一は担任や親族の強要の末学校に向かいました。足がガクガク震えながらカッターと錠剤をもって学校に行くんです。教科書なんて持っていけない。教室にさえ入ると過呼吸を起こすんです。人と目が合うと倒れそうなくらいめまいがして、死にたいな消えたいなと思う毎日。人の視線が怖くてもう目を潰そうかとも思ってたくらい。だからといって優しくしてくれる人が現れてもそう簡単に信じれず孤立していました。今でも薬の空き瓶を見ると苦しくなる。リスカは今でも続いています。親にバレないように苦しさを発散しました。腕はボロボロであの時の苦しさをそのまま可視化できます。
現在高校1年生。通信制に通っています。
ですが昔のトラウマ、中学時代親にかけた迷惑を考えては毎晩苦しくなって喉を掻き毟ってしまいます。友達も当然できるわけでなく、未来には不安しかありません。進路もないけれどいい大学に入ってくれ、それが恩返しになると親に強要されています。勉強に身も入りません。こんな私生きてていいんでしょうか。
毎晩カッターを持ちながら中学時代に死んでおけばと考え悩む毎日です。

感想1

幼少期から親の期待に応えようと懸命に努力してきた結果、その重圧によってどれほどあなたの心身を蝕んできたのかが痛いほど伝わってきました。今も苦しい渦中にある状態で、こうして書いてくれたことも含めて労いの言葉を送りたい気持ちになっていますし、どういうきっかけで死にトリを知り、投稿してみようと思ったのか気になりました。
年を重ねるにつれ、自分の家の異様さというのか、親に対しての不信感や違和感にどんどん気づいていってしまったのだとは思いますが、気づいてしまったからこそ、これまで自分の中で積み上げてきたものが音を立てて崩れていったり、張りつめていた心の糸がぷつんと切れてしまうような感覚もあったのではないでしょうか。心身的にぼろぼろになったり不登校になってしまったという状態は、ある意味では正しい反応(自分を守るために必要なこと)だと私は感じますし、これ以上無理をせずに済んだという点で見ればそれで良かったことかもしれませんが、それでも抱える苦しさは変わらないものだよな…と私も全て同じというわけではないですが、通ずるところがあったので自分とも重ねて感じたことです。
常に高い基準を求められ、失敗が許されない環境で育つというのは心に大きな影響を及ぼすものだと思います。親が子どもに期待をかけるという行為そのものは自然なこと(起こりうること)ですが、その期待が過度になると、子どもは自分自身の価値を他者の評価や成果にのみ依存してしまうものだと感じます。その結果、自分がどれだけ苦しんでいるかを表現する余地がなくなり、自己否定や自傷行為に陥ってしまうこともあるのかなと…。あなたにとって自傷行為はこうした環境の中での唯一の自己表現であり心の拠り所でもあるのかなと想像しつつ(違っていたらすみません)、それ以外に成す術がない状況に何とも絶望的な気持ちに正直なってしまうなと思ってしまいます。身近にサポートしてくれたり味方になってくれる大人がいなかった(そして今もいるわけではない)ことにも勝手ながら悔しい気持ちになってしまっています。
ずっと親の期待に応えようと生きてきたことで、そこから外れてしまうことへの負い目や親に対しての申し訳なさはあるのだとは思うのですが、あなたの人生はあなたの人生であって親の人生ではないです。あなたが親のために生きたいと心から思うのであれば別ですが、それが少しでも自分の意に反しているのであれば親のために、言う通りに、生きる必要はないと私は思います。「親に迷惑をかけた」ことについては、親にとっても予期せぬものだったのかもしれませんが、これは親の期待に応えられなかったあなたが悪いのではなく、勝手に期待して勝手に失望した親側に問題があるんじゃないかと私は思ってしまいます。これまで蓄積されたダメージやトラウマがそう簡単になくなるものではないですが、自分のこれからの生き方含めてまずは自分の心に耳を傾けてほしいなと思いますし、もちろんそれを一人でおこなう必要はなくて、こうして自分の気持ちを少しでも共有できる場を活用していきながら、少しずつ整理していけるといいのかなと感じました。私もまたあなたのお話を聞いて一緒に考えたいと思いましたし、もし良ければいつでも死にトリに参加してください。お待ちしています。

感想2

投稿を読みました。あなたは当然育った家以外の「当たり前」を知らないまま、親の「当たり前」に応えることに努力努力の日々だったのだろうと思います。
あなたに対してのあなたの親の期待というのは、つまり、どういうものだったんだろう…?と考えています。たくさんの習い事やたくさんのルールは、なにをどのようにするために、あなたの親が期待したものなのでしょうか。具体的なイメージがあったとしても、それはリアルに可能な子どもの在り方ではないように思い、なんだか不思議な気がしています。それとも、具体的な一つのイメージがあったわけではなく、多い方がいいだろう、あれもこれもやるべきだろう、と重ねていく中で、あなたへの要求が膨らみ続けてしまったのでしょうか。

我慢や頑張りといったものの話というより、人体(というか動物全般?)についての一般的な話として、活動するためには十分な休息が必要です。私が大人になってから思うのは、子ども時代に学ぶ必要があるのは、多種多様な活動と同時に、うまく休息を取る方法なのではないかということです。もちろん、体力がものすごくある人やメンタルがものすごく強い人も中にはいると思いますが、それは前提として、心身を休ませ回復させるのがうまい人ということなのではないかと思います。
だけど、あなたの文章からは、あなたが強いられてきた活動や、それにともなう肉体的、精神的ストレスは多大で、心身を回復させる余裕なんてまるでない状況だったことが伺えます。その中で「ぼろぼろになった」あなたは、それでも学校を休ませてもらえなかったのだから、苦しさを少しでも発散するためにあなたはあなたなりの方法を探すしかなかったのだと思います。リスカはその一つなのだろうと思うし、それは多少なりともあなたに呼吸をさせてくれる役割をしていたのかなぁと想像しました。私も10代から自傷行為をしていたのですが、今になって振り返ると、それは自分に可能な範囲で現実的に選べる、数少ない対処方法、あるいはセルフケアとも言えるものだったのかも…と思います。もちろん、人それぞれ、その意味するところも同じではないと思うのですが。

高校生になった今も毎日しんどい思いをしているのだろうと思います。あなたには十分な休息を取る権利やあなたにとって必要なケアをいつでも十分に受ける権利がつねにあったし、あるはずです。だけど、あなたのいる環境の中ではそれが後回しに後回しにされてしまっている状況があるのだろうと思います。
つらい中で親元にいて、過ごせる場所も限られていることだと思います。中学生のときのカウンセラーさんには、あなたの思いを少しでも話すことができていたのでしょうか。周りからの不躾で心ない言葉があったということで、カウンセラーさんとの関わりも難しくなってしまったのかもしれないと想像するのですが、あなたの言葉にゆっくり耳を傾けてくれる大人はいるはずだし、あなたがそういう人に巡り会えるといいな、と思っています。
言葉にすることで、落ち込んでしまうこともあるかもしれないですが、言葉にすることで少しほっとするようなこともあるかもしれません。死にトリでも、あなたの声をまたきかせてもらえたらうれしいです。気が向いたら、またきてください。

感想3

とても狭くて暗い迷路の行き止まりに追い込まれてしまったような気持ちが伝わってきました。そこまで追い込まれて、先も見えず、つらく苦しいだけの時間を重ねていることを想像すると、中学時代に死んでおけばよかったと思うことも、生きてていいんでしょうかと思ってしまうことも当然だろうと思いました。
ただ、客観的なところからあなたの経験談を読んだ私は、「その迷路はあなたが選んだものではないから、嫌だったらリタイアして、外に出ていってもいいんだよ」と声をかけたくなりました。親が子どもに期待をしたり、自分の理想や願いを子どもに託すことは、わりとよくあることのようなので、子ども思いのいい親だと思われる節もありますが、私はそうした風潮や考え方が子こどもから権利を奪い、知らないうちに追い詰めたり、苦しめたりしかねない罪深いことだと考えています。日本は国連の子どもの権利条約を批准して、子どもの権利を守ることを国際的にも約束していますが、実態として子どもの意見を尊重する点などを中心として、まだまだ子どもの権利が守られていないと勧告を受けている実態があります。あなたの経験談を読み、そんな日本における大人と子どものアンフェアな一面を思い出しました。
今のあなたもこれまでのあなたも、あなたのやりたいことや考えていることが尊重されず、一方的に親の期待(期待という言葉を通り越して、強要か強制だと私は感じてしまうほどでした)を与えられてきたことも理不尽だと思うのですが、そのことがあなたにとって疑うことのない、正しいことだ、期待に応えられない自分が悪いと思ってしまうことが、より私にとっては深く重いことだと思えました。
ただ、そんな逃げられない強いプレッシャーや抑圧的な環境にいて、半ば洗脳されているような状態と言ってもいいような状況であっても、あなたがこうして自分の気持ちを書いて、死にトリに送ってくれたことを心強く感じています。そして、中1の二学期に心身がボロボロになり学校に行けなくなったエピソードは「こんな生活はもう無理だ。嫌だ」と心身がちゃんと教えてくれたんだろうと思い、あなたの感性や心が意思を表明していると感じました。タイトルの「ずっと痛い」にあるように「痛い」と感じるのは、あなた自身が自分の気持ちに気づいているからこそだと思っています。また、周囲からの一方的な批判を受けながらもカウンセラーを頼ったのは自分を守ろうとした証だと感じましたし、リスカや過呼吸、足ががくがくすることもすべてあなた自身が自分を守ろうとしている姿だと強く思いました。
今は高校1年生とのこと、行き止まりの迷路から出て、親を頼らず生きる方法もいくつかあります。また、親との関係を調整するために大人を頼る道もいくつかあります。
経験談を読んで、あなたの中に強い意志や力があることを感じたので、少しだけ自由を手に入れませんか?と伝えたいです。
最後に死にトリの連携サイトの「生きづLABO」の記事を紹介します。
家に居場所がありません。これ以上、家にいるのは辛すぎます。家を出たいのですが、無理ですよね。 | 生きづLABO
また、必要な時は死にトリに来てください。待っています。

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