経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

居場所

3歳の時に実母が病気で亡くなり、8歳まで父と父方の祖父母の4人で暮らしました。
祖父は些細な事ですぐに声を荒げて怒る人でした。祖母は祖父に泣かされては「もう死にたい」とよく言っていました。
父は母を亡くしたことを長い間悲しんでおり、よく夜中にお酒を飲みながら泣いていました。事あるごとに「お前はまだ小さかったから、お母さんの事を覚えていない分寂しくなくてよかったね」と言われ、その度に傷付きました。 私は私で母が居なくて寂しかったのですが、周りの大人達がこの有り様なので、自分の気持ちを打ち明けることは出来ませんでした。

8歳の時に父が再婚し、父と継母と3人で暮らし始めました。 継母は気に入らないことがあるとネチネチと嫌味を言う人でした。一緒に暮らし始めてから1〜2年間は、大げさではなく毎日のように叱られました。「甘やかされてきたからいけない」「こんな事も出来ないなんて女の子なのにみっともない」「ブス」「太り過ぎ」等、劣等感を植え付けるような言葉を言われました。殴る蹴る、家から締め出すといったことも日常茶飯事でした。
今思うと彼女自身が劣等感の塊だったのですが、当時子供だった私はそれが分からず、「私はなんてダメな人間なんだ」と自分のことが大嫌いになりました。 父は継母の言動を「全部お前のためだ」と言って我慢するように促してきました。「お父さんの仕事はお金を稼ぐことで、もうそれを果たしているからいいんだ」と言って、面倒事からは逃げる人でした。
学校でもいじめられていたので、暴力や誹謗中傷の不安は常に付き纏いました。こんなに辛いのは自分が悪いからだと責め続け、毎日「死にたい」と思うようになりました。継母と暮らし始めてからストレスのせいかおねしょをするようになったことも、劣等感に拍車をかけました。
暴力を受けない為に常に継母の機嫌を伺い、服も継母の好みに合わせ、必死で勉強して、継母の望む「品行方正で成績優秀な良い子」のように振る舞いました。合格点を取り続けないと居場所が得られない出来損ないの自分が嫌で嫌で仕方ありませんでした。
そんな調子で生きていたら、高校1年生のある日、人が喋っていることの意味が理解出来ず、ペンを持っても字の書き方が分からなくなりました。精神科で鬱と診断されました。
唯一褒められた勉強が無くなったら、デブでブスでみっともない私しか残らない。それなのに何も出来ない。もう生きている価値なんてない。ベッドから動けない日々の中、そんなことばかり考えていました。
そんな私に対して、父と継母は甲斐甲斐しく寄り添ってみせました。「鬱になった娘を大切にする良い両親」という自己像に浸っているのが丸わかりで本当に気色悪かったです。自分達のせいだなんて1ミリも考えていないその様子を見て、 この家にいたら駄目になると思いました。
1人で生きていけるようになりたい。その一心で高卒認定を受け、大学受験して家を出ました。
一人暮らしを始めてからも鬱は続き、それまでの拒食が転じて過食症を発症しました。怒りとも不安とも寂しさとも形容し難い感情がふいに襲ってくると、「食べたい」という思考に頭が占領されて、食べ物を詰め込むまで止まらないのです。毎日のようにお菓子や菓子パンを過食しました。お腹が膨れて背中まで痛くなるほど詰め込んでもまだ食べたいのです。どんどん太っていく自分が嫌で、そのストレスでまた食べるの悪循環でした。 そんな私に対して父は「そんなに食べるならせめてスルメとかにすればいいのに」と言いました。本当に想像力の無い人でした。
社会人以降も過食と鬱は続き、よく体型をからかわれて辛い思いをしました。学生時代よりは量や頻度はかなり減ったものの、今でも少し鬱っぽくなると過食してしまいます。最近は、過食をする自分に対して「今まで辛かったから仕方ないよね」とほんの少し思えるようになりましたが、やっぱり過食をした後はすごく死にたくなります。

両親に対しては、「あの人達にもああなった経緯があるのだ」「人は誰しも完璧じゃない」「今更責め立てても仕方ない」という考えで自分自身を納得させようとしていました。過去がフラッシュバックしたり、たまに会う父の呑気な顔を見る度に苛々したりしましたが、親子なんてこんなもんだと思うようにしていました。怒りを消化しきれていない自分を子供じみているとさえ思っていました。
それが良くなかったのか、今年に入ってフラッシュバックが悪化し、鬱と不眠で休職を余儀なくされました。耐えられなくなって今までの怒りを父にぶつけた時、自覚していた以上に自分が傷付き、人間不信に陥り、怒っていたことに初めて気付きました。それでも相変わらず自分がやった事の深刻さを理解していない父の態度に、良い意味で諦めがつきました。

私の場合、否定され続けたこと自体は勿論、それによって「快不快」「好き嫌い」「喜び悲しみ」といった自分の感覚がわからなくなっていったことが生き辛さに大きく影響していると思います。
日常的に否定され続ける内に、怒りや不快といった感覚が湧いても「こんなことを感じるのは私が悪い人間だからだろうか?」と自分の感覚に自信が持てなくなりました。その為に罪悪感に漬け込んでくる抑圧的なタイプの人間を拒まず、無駄に傷付いた経験が何度もあります。
ポジティブな感覚も同様です。「これを好きと言って叱られないだろうか」「こうしたいと思うのはおかしい事だろうか」という気持ちになるので、素直に表出できなくなりました。いつも他人の顔色を伺って正解を探していました。
「好き」という感覚は、社会人以降徐々に取り戻してきた気がします。特にアニメや映画、音楽には救われました。
でも人間関係については、「もう人なんてうんざりだ。これからの人生は安心安全な場所で生きたい」という想いが強く、人と親密になりたいと思えません。だから結婚はしたくないし子供も欲しくない。その反面、気を許せる人が側に居ることには憧れてもいるので、相反する気持ちの狭間で疲弊しています。

いつまでも過去に囚われている自分は、やっぱり好きにはなれません。
もう全部面倒くさいので、いっそ死んで全てから解放されたいです。
そう思う自分を赦そうと思います。
赦せない自分も含めて赦そうと思います。
そこが私がずっと求めてきた、安心安全な居場所だと思うのです。

感想1

これまで辛かった経験の積み重ね、今感じている生きづらさについて丁寧に描写された経験談だと感じました。ケアされず生きる大変さを痛感しながら読んでいたので、最後に前向き(だと私は感じました)な言葉でしめられていたことに、ちょっと意外な気持ちになりました。そして、何があなたに「自分を赦そう」という気持ちをもたらしたのかを知りたいなと思いながら、想像を巡らせながら、感想を書き始めています。

過酷なことの多い人生だったかと思いますが、父と継母のあなたへの関わりが、私にはもっとも罪深く感じられました。
「お母さんの事を覚えていない分寂しくなくてよかったね」などはとくに、あまりに幼いというか、想像力がないというか・・・。子ども以上に子どもな言動だと思いましたし、本来自分を守ってくれる立場にある大人に、大人が自分で消化すべき感情を押しつけられていたら、人間に不信感を抱くのも自然なことだと思います。また、あなたはこれまで父側の感情や都合をうんざりするほど押しつけられてきたと思うので、あなた自身で思う以上に、怒りも溜まっているかもしれないと想像しています。
継母についても、当時は家にいるのも家に帰るのも、相当気が重かったのではないかと思いました。学校もいじめられていて安心できる場所ではなかったと思うので、ほっとできる隙間もないまま、子どものあなたは傷つきを深めていったのではないかと想像しています。
「『鬱になった娘を大切にする良い両親』という自己像に浸っている」という描写も、個人的に自分の経験と重なる部分もあり、本当にそれは勘弁してほしいやつですよね…とあなたの嫌悪感に共感しています。自分のことを理解してくれない、傷つけてくるだけでも十分に困るのに、それに加えて「良い人」だと自分を思っているのは・・・なんというのでしょう。そういう状態の人に自己主張しようとすると、高く分厚い壁を相手に、自分という球(たぶん心とか自我とかのイメージです)がはじき返されて、自分だけがただダメージを受ける感覚が私はあったなと思い返しています。(突然自分の話で申し訳ありません)
この家にいたら駄目になると感じ行動できたことには、勝手ながらほっとしつつも、本当は小学生の頃に家から出られたなら大分違う今もあったのかもしれない…と、家を出ることの難しい社会にもどかしさを感じる自分もいます。

その中で「人は誰しも完璧じゃない」などで自分を納得しようとしてきたのは、なんとか適応して生きていこうという意思があったのかと想像しているのですが、心身には負担がかかってたのかもしれないと私は感じました。
どのような事情があれ、子どもを否定したり自分の都合を押しつけていいとはならないと私は思うし、何よりどのような理由や事情があれども、あなたが(どんな人間も)傷つけられていい理由にはならないと思っています。
怒ったり恨んだりするのもそれはそれで大変な部分があるので、過去の辛かった経験をどう捉えてどう対処するのがいいかは人それぞれかと思うのですが、自分を傷つけてきた人に対して想像や理解をしてあげるのは、傷ついた側の人が頑張らなくていいことだと私は思っています。嫌いなものは嫌いでいいし、内心でどれほど悪者扱いしてもいいし、許したくないものは許さなくていいし、許したければ許してもいいし、もう関わりたくないなら逃げていい、と私は主張したいです。

自分の感覚を少しずつ取り戻しているのかなという部分には、また勝手ながらほっとしつつも、子どもの頃からの傷つき体験の影響の根深さを感じています。
過去に囚われている自分は好きになれないとありましたが、私は、人間という生き物は経験の集積によって自我が形作られるのかなと思っています。だから過去に囚われるのは、ある意味自然なことだと思っていて、世の中で簡単に「過去のことなんだからもういいじゃん」みたいなことが言われるのは個人的には納得できていなかったりします。

なんだか持論ばかり並べた感想になってしまい、押しつけを批判しているにもかかわらず、私も自分の言いたいことを押しつけている気がしてきました・・・。
想像力の足りない関わりが、子ども(自己主張する力の弱い者)をいかに傷つけるかをこの経験談で改めて感じたからこそ、想像力のある大人でありたい、あれるだろうか…とぐるぐる考えています。
最後になりますが、あなたの好きなアニメや映画、音楽について聞いてみたいと思いました。辛かった話を聞くと、なんとなく私は「大変な経験をした人」みたいにちょっと相手を捉えてしまう部分があるのですが、あなたはあなたという一人の人間なので、そのあたりのことも本当は知ってみたいです。(もしかしたら「自分を赦そう」という発想も、あなたが好きな何かから影響を受けていたりするのだろうか…?という考えがふと思い浮かびました)
経験談の投稿ありがとうございました。

感想2

 投稿、読みました。これまでに子どもの頃から長年受けてきた抑圧的関係で小さくさせられた自己肯定感が、今の投稿者さんの思考・行動のあり方を決めてきているのかなと想像しています。誰かと繋がりたいと、心のどこかでは思っているけれども、対人関係における苦手感や不安感から、諦めのような気持ちが強く出ているのかな、と。
また、後半の方で書いているように、社会人になり好きなものに触れる時間が増えたことにより、好きという気持ちに関しては輪郭がはっきりしてきたような、心の中でご自身の感じ方を否定する声が聞こえなくなってきた状態なのかなと想像しています。
 全体を読む中で感じたのは、投稿者さんのこれまでの経過や投稿者さんを取り巻く状況がとても整理されているということです。これまで長年ずっと抱えてきた想いのほどを、たくさん整理して投稿されたのかな?と想像しています。そうやって、胸の中にたまっていくことどもを文字に書き出してみると、ご自身のつらさ・しんどさが少しずつでも楽になることもあるかもしれないと期待しています。そのプロセスって、子どもの頃訳もわからず継母さんに合わせざるを得なかったこと、誰からも助けてもらえなかったあの頃の投稿者さんを、今救い上げるような、そんな働きがもしかするとあるかもしれません。(私は個人的に、中高生の頃に部活の顧問から抑圧的関わりをされたことがあり、長い間対人関係において苦手感がありました。色々な人と話をする中で、やはりあの時感じていた違和感は正しかったのだと、成人してだいぶ経ってから気づいて、怒りを始めとする色々な感情が押し寄せた経験があります。)
今の社会では、しんどさを抱えさせられているけど誰かと繋がりたい、そういう想いを持つ人が安心して繋がれる場って少ないように感じています。(また、成人してから、お金がかからずお酒もいらず、新規で友人を作れるような場所を見つけることの難しさをひしひしと感じています。)

 ここに書きに来て他の人の経験談を読んだりご自身の経験談を書いたりして、対人関係への苦手感が減ったり、ご自身の中での過去のできごとに対する見方が変わったりすることがあると良いかもしれない、と思っていました。今回は経験談を書いてくれて、ありがとうございました。

お返事1

この度は経験談の感想をお聞かせくださいましてありがとうございました。
親身なお言葉に丁寧に読んで頂いたことを想像し、とても嬉しく思いました。同時に長年抱えてきた辛い思いが癒やされたように感じました。
感想を読みながらまた思うことがありましたので返信させて頂きたく思います。

感想1
> 「『鬱になった娘を大切にする良い両親』という自己像に浸っている」という描写も、個人的に自分の経験と重なる部分もあり、本当にそれは勘弁してほしいやつですよね…とあなたの嫌悪感に共感しています。自分のことを理解してくれない、傷つけてくるだけでも十分に困るのに、それに加えて「良い人」だと自分を思っているのは・・・なんというのでしょう。そういう状態の人に自己主張しようとすると、高く分厚い壁を相手に、自分という球(たぶん心とか自我とかのイメージです)がはじき返されて、自分だけがただダメージを受ける感覚が私はあったなと思い返しています。(突然自分の話で申し訳ありません)

この嫌悪感は今も根強いので共感して頂けて嬉しいです。こういう状態の人達はいくら言葉で言っても響かないんですよね。
少し愚痴になってしまうのですが、先々月父からラインが来たので「家族のトラウマのせいでフラッシュバックが起きて辛い。そのせいで休職までしている。今はお父さんと関わるのが負担だからしばらく連絡しないでほしい」と返信したのです。それなのに先日またラインが来たのです。心配している気持ちを伝えるような内容でしたが、私は「この人は本当に自分のことしか考えていないのだ。私は父にとって”自分は良い父親だ”と自己肯定するための道具なんだ」とゾッとしました。
相手の意見を尊重せず、自分の価値観を押し付けているという自覚もなく、むしろ良いことをしたつもりになっている父を見ていると、人はどこまでも自分の色眼鏡越しでしか世界を見られないのだなとつくづく思います。父のように想像力に乏しい人間は、きっと色眼鏡の色彩が乏しいのだと思います。色彩が乏しいこと自体は悪ではないとは思うのですが、時として人を傷つけるのも事実ですよね。色彩を豊かにしていきたいものだなと思います。

> その中で「人は誰しも完璧じゃない」などで自分を納得しようとしてきたのは、なんとか適応して生きていこうという意思があったのかと想像しているのですが、心身には負担がかかってたのかもしれないと私は感じました。

その通りだと思います。私はずっと両親を許せない自分が受け入れ難かったです。特に20代の頃は「いつまでも父と継母を憎んだままなのは被害者意識に囚われているからだ。あんな人達を憎むことにエネルギーを割くなんて馬鹿馬鹿しいし、これだといつまでも自分の人生を生きられない」という焦りがありました。両親を許し、過去を振り返らず生きていく自分が理想でした。時々両親に対して違和感や怒りが湧きかけましたが、その度に綺麗な言葉で自分を納得させて理想の自分になれた気でいました。
そうやって無理やり蓋をしてきたものが今回フラッシュバックとして再燃したのだと思います。両親への怒りや悲しみが突き上げるように湧いてきて、自分の中にまだこんなものがあったことに心底驚きました。それらのネガティブな感情に向き合う中で「私は、理想の自分みたいに強くないし立派でもない。今もちゃんと両親に怒っている。両親のせいで苦しんでいると感じている。彼らを許すことなんてできない。それ以上でも以下でもないのだ」という着地点が見つかりました。両親への怒りを再確認したら、自分に期待しすぎていた自分にも気づけました。誰に対するいい格好だったんだろう。嫌いなものは嫌いでいいじゃないかと今は思います。

> 怒ったり恨んだりするのもそれはそれで大変な部分があるので、過去の辛かった経験をどう捉えてどう対処するのがいいかは人それぞれかと思うのですが、自分を傷つけてきた人に対して想像や理解をしてあげるのは、傷ついた側の人が頑張らなくていいことだと私は思っています。嫌いなものは嫌いでいいし、内心でどれほど悪者扱いしてもいいし、許したくないものは許さなくていいし、許したければ許してもいいし、もう関わりたくないなら逃げていい、と私は主張したいです。

そうですね。傷つけてきた相手に対して怒る、嫌う、許せないと思うのは自然な流れだと思います。そもそも人間関係に限らず「好き」「嫌い」という感覚や感情は自然発生的で、意識でコントロールできるものではないですしね。
なのに何故かそこに罪悪感を感じて、相手を許せる自分になろうとするのはしなくていい努力なんだろうなと思います。
許せるのが良くて許せないのが悪いわけでもありません。自分が許せない人は他の誰かが許してくれるだろうし。そんな風に思います。

> 最後になりますが、あなたの好きなアニメや映画、音楽について聞いてみたいと思いました。辛かった話を聞くと、なんとなく私は「大変な経験をした人」みたいにちょっと相手を捉えてしまう部分があるのですが、あなたはあなたという一人の人間なので、そのあたりのことも本当は知ってみたいです。(もしかしたら「自分を赦そう」という発想も、あなたが好きな何かから影響を受けていたりするのだろうか…?という考えがふと思い浮かびました)

「赦し」という言葉の意味を考えるきっかけになったのは、主に五木寛之さん、樹木希林さん、月夜見さんの著書です。 他にはヨガ哲学や仏教に関する本も読みました。月夜見さんの著書はスピリチュアル的な内容が多いですが、ヨガ哲学や仏教にも通じるところがあって面白かったです。あとは歌手の宇多田ヒカルさんの歌や言葉にもインスピレーションを貰いました。
私達はつい自分の欠けている(と感じる)所を取り繕ってまっさらにしようとしてしまいがちですが、その歪さも含めて”自分”の自然な形なんだと思います。半分好きで半分好きじゃないくらいが自然で、人間ぽくて良いかなと思います。

感想2

> 投稿、読みました。これまでに子どもの頃から長年受けてきた抑圧的関係で小さくさせられた自己肯定感が、今の投稿者さんの思考・行動のあり方を決めてきているのかなと想像しています。誰かと繋がりたいと、心のどこかでは思っているけれども、対人関係における苦手感や不安感から、諦めのような気持ちが強く出ているのかな、と。

この感想の中で使われている「諦め」のニュアンスと、私が実際に感じている感覚は正直乖離しているかなと思います。
「諦め」という言葉はネガティブな意味合いで使われることが多いですが、元々は「明らかに究(み)る」が語源です。物事の理を明らかにして捉える、というような意味です。
私の持つ対人関係における苦手意識が、両親との関係性のみの影響とは言えないと思います。両親以外の人間との関わりもあったでしょうし、生来の気質もあるかもしれません。
色んな要素が絡み合った結果、今このようにしてここに在るというだけです。
これをすべて「両親のせいで」としてしまうと無駄に重くなってしまってその場から動けなくなると思います。

> 今の社会では、しんどさを抱えさせられているけど誰かと繋がりたい、そういう想いを持つ人が安心して繋がれる場って少ないように感じています。(また、成人してから、お金がかからずお酒もいらず、新規で友人を作れるような場所を見つけることの難しさをひしひしと感じています。)

たしかにそうですね。しんどさは、相談する相手を選ばないとかえって傷つく結果にもなりますしね。
私も家族のことは友人達にはずっと話せずにいました。不安なく相談できる場所があったら、もう少し生きやすかったかもしれません。
なのでこういう経験談を書ける場所はありがたかったです。

一覧へ戻る