経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

もうむり

私は小5の時にバレーのクラブチームで6年生から虐められてました。無視は当たり前、何回も聞こえる距離で悪口を言われてました。でも、誰にも言えずに毎晩枕の中で泣いていました。「あんな奴らに負けるか」と思いながら。
家に帰っても同居人がいてその人も私と合わず、大嫌いでした。何度も「勉強しろ」と言われていやいやしていました。たまに暴力も振るわれていました。周りより太っていたので学校でも「デブ」「大根足」と言われ、どこにも休める場所がなくて何度も「死にたい」と思い、こうしたら死ねるかなと思ったこともあります。

中学ではバレー部に入部しました。キャプテンであり、エースでもあったので誰よりも上手くないといけないというプレッシャーを感じていました。そこで昔言われた「デブ」「大根足」というフレーズを思い出し、もっと痩せないといけないとその時は普通の体型なのに思ってしまいました。そしてどんどん体重が落ちるのが楽しく、辞め時が分からなく、拒食症になりました。学校も7ヶ月程行けず、このままじゃダメと思い食べだしたら過食症になりました。そしてそのままの身体で登校すると、明らかに周りの目が変わりました。仲良くしてくれてた子も離れていきました。「あ、私ここに必要ない」そう感じました。

高校は誰も知っている人がいない、親からも離れられるところに行こうと思い遠くの学校に通っています。そこの人たちと全然性格が合わず、ずっとしんどいです。ちょっと前まで仲いい子も含めみんなから空気のような存在にされたと思ったらまた関わってきたり、もうしんどいです。信じれる人がいません。学校辞めたいと思っています。でも、ここで辞めてしまうと夢を諦めることになりそうだし、親も失望すると思うと耐えるしかないです。何回も「死にたい」と思っています。でも行動に移せない自分に失望します。

あと何回「死にたい」と思う日が来るんだろう

感想1

見た目についてひどい言葉で罵られて、ルッキズムに振り回されてきたということがまずは経験談から伝わってきましたし、「どこにも休める場所がない」と苦しみを抱きながら生きてきたあなたのことをまずは労わりたい気持ちになりました。
先ほど「ルッキズムに振り回されてきた」と書きましたが、見た目のこと以外にも何かひどいことを言われたりされたときには、その傷つきを引きずったり、「自分が○○だから悪いんじゃないか」ってその価値観を受け入れてしまうような気持ちになったりするのではないかと思いました。突然の自分語りなんですけど、私は周囲の人からひどいことを言われたときには、「自分って存在してるだけで迷惑なのかな」って思う気持ちが日に日に強くなっていきました。ひどいなって感じるようなことを言ってくる人も何かしんどいことがあるのかもしれませんが、当時の私は「私は傷ついた!つらい…」って気持ちでいっぱいでした。あなたもそんな気持ちでいっぱいだったのではないかと、私は思いながら読んでいました。
そういうしんどいときに支えになる人がそばにいたのなら、多少は安心できるかもしれませんが、そういう人がいない人もたくさんいるだろうなぁ…と思い、経験談を読んでいてやるせない気持ちに私はなっていました。あなたの場合はしんどいときに周囲の対応がコロコロ変わったふうに見えて、混乱しただろうなぁと思います。「信じれる人がいません」と書かれていますが、確かにその状況では「誰を信じればいいの?」っていう気持ちにもなるだろうなと私は思いました。「環境を変えよう」って思って遠くの高校に行ったはいいものの、そこでも手のひら返すように対応が変わったり、合わないな…って思う環境だったりで、さぞかし苦しいだろうなぁと思います。最近は転職する人も結構いる印象ですが、なんとなく転校のハードルが高い気がするのはなんでだろうなぁ…と読んでいて思いました。
経験談を読んでいて、あなたの「気が合って、自分が変化しても変わらず仲のいいままでいてくれて、自分が苦しいときに力になろうとしてくれる人がほしい」という願いを私は感じました(「ちょっと違うかも!」って思うかもですが…)。それは私も思いますし、わりと多くの人が「こういう友達がほしい」って思うときに考えることかなぁと私は勝手に思ってます。そう願う権利は誰にでもあると思いますし、全ての人のそういった願いが叶うような社会であってほしいと思いました。経験談を投稿してくださり、ありがとうございました。

感想2

どこにも自分の居場所がない…そんな気持ちが聞こえたように感じました。あなたは確かに自分の感じ方や考えがあり、それをあなた自身は大切にしたいし、優先したいと思っていたのに、周囲から理解をされなかったり、いわれのない否定をされたり、存在を無視されるような経験を繰り返したように思いました。その蓄積はあなたが自分なりに築いてきた自分の尊厳のようなものをどんどん崩していったように私は思えました。
そのような中で、摂食障害になったことは、あなた自身が自分の尊厳を守ろうとする、生存戦略であり、同時に捨て身の抵抗のように思えました。ただ、摂食障害は実際には心身への負担は大きいと思いますし、周囲からの理解が得られにくく、違和感を大きくしているようにも感じました。
私は、心の中で「そこまでして学校に行かなくてもいいよ」「バレーもしなくていいよ」と伝えたくなりました。一方で、あなた自身がおそらくバレーが好きなのだろうと思いましたし、楽しく学校に行きたい気持ちもあるのかもしれないと考えました。そうすると、単純に嫌なら行かなくていいという問題ではないことも分かります。また、子どものあなたが行かない選択肢をすることは親を含めて周囲の大人がちゃんと理解してくれないかもしれない心配もしています。それでも、私は子どものうちに自分の気持ちを押さえ込み、我慢するようなところから逃げてもいいし、理解のないところからは離れてもいいのだと伝えたいし、そのための方法を一緒に考えたいと思いました。
物理的に環境を変えるのは簡単ではないかもしれませんが、気持ちを整理したり、心の中でつながる相手を調整することはすぐにできると私は思っています。それはあなたも何となく気づいているのかなと思いました。こうして、死にトリに気持ちを書いて送ってくれたからです。だから、死にトリはあなたの味方でいたいと思いました。こうして気持ちを受け止めるぐらいしかできないのですが、また気持ちを書き出したいと思ったら、死にトリにいつでも参加してください。また、身近なところでも、少しでも息がしやすい相手や場所がありそうなら、あなたの感性を信じて、見つけてほしいと思っています。

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