経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

生きづらさから学んだこと

こんにちは。

私は田舎生まれ田舎育ちで、現在は上京して大学生として過ごしている者です。

私の体験談は、他の方に共感していただけたりするものではないかもしれないですし、私も「生きづらいこと」について一義的な解釈を書きたいわけではないです。あくまで私個人の経験や意見として読んでいただければ幸いです。

さて、私が育った家庭はなかなか特殊です。
父親は私が小1のときに大きな病気で闘病するようになり、中3のときに亡くなりました。
母親は父親が亡くなった後、ノイローゼのような症状が出るようになりました。
姉も、父親を亡くしてから次々と精神疾患や自閉スペクトラム症が見つかっていきました。言ってみれば、私は幼い頃からヤングケアラー、そしてきょうだい児として生きてきたのです。

自分が不幸だなどとはあえて意識することなく、変に大人びて子ども時代を過ごしてきました。しかし心の中はいつもいつも不安で、生活や環境面の変化が苦手で、病院は受診しなかったものの、高校生の頃には不安障害の症状が現れてきていました。

勉強には抜かりなく取り組み、その結果それなりに偏差値の高い大学に合格することもできました。しかし、大学に合格し、引っ越しをしてから、生きづらさを自覚するようになったのです。

まず悪化したのは不安障害の症状でした。人と道ですれ違うだけで、「今自分はこの人にぶつかって大怪我をさせたのではないか」などと悩んでしまったり、頭の中に次々とおかしな考えが勝手に浮かんで不安が募ったり。不安でない時間が1日のうちほとんどなく、気づけば、「生きているのが苦しい」と考えるようになっていました。

大学1年の時、年が改まった頃には、死にトリアプリで鳥さんたちに「寝れない」そして「消えたい」などと訴えるようになっていました。

「助けて
もう消えてしまいたい
また笑える日は来るのかな」

「起きたくないベットから出てもいいことあるわけない」

これらが、その頃にアプリに書いていた実際の文章です。
もう生きていたくないと言いながらも助けてと言っている、そんな自分に葛藤を覚えながら過ごしていました。

そして、大学2年生になった初夏、大学の課題に追われて夜の睡眠時間が2時間というような日が出てきました。その時期は決死の思いで乗り越えたのですが、まもなく私は無気力になり、それまでの努力が嘘のようなくらい、動けなくなってしまったのです。

授業に行けないことが増え、課題をきちんとこなせなかったりと今までできていたことができなくなりました。息をすることで精一杯でした。

成績は下がりました。なにか恐ろしい気持ちがして、憂鬱で、不安で、今まで楽しかったものを楽しめなくなりました。

夏休み、とうとう精神科を初めて受診したところ、医師に「あなたは今うつ状態です」と、伝えられました。これまでの症状のいくつかが不安障害によるものであったことは、このときに教えてもらいました。長く続いた不安障害のせいで、うつ状態になってしまったとのことです。
双極性障害の可能性も伝えられました。想定外の診断名に驚きが隠せませんでした。

不安障害の症状が出始めた高校生のときに病院に行っていれば。
後悔はたくさんあります。
ただ、現在は薬を服用しながら、自分の症状に丁寧に向き合い、自分をきちんと理解する機会を与えていただいていると感じています。過去について後悔はありますが、現在について不満は特にありません。

薬の副作用やまだ続く症状に、今も苦しめられています。しかし、このような生きづらさを抱えたからこそ、自分の大変だった生い立ちや苦しかったことひとつひとつに、丁寧に向き合っていくことができています。
過去を無かったことにするよりも、全て活かして、将来だれかの助けになりたい。そんな風に思います。もちろん今はまだ病気があって、思うようには動けませんし、自分の健康を第一にしなければいけない時期だとはよくわかっています。でも、いつか、近い未来でも遠い未来でも、どちらでもいいから。私は心にたくさん光をためて、輝いてみたいのです。

推しの存在、家族の存在、友達の存在などに支えられてはじめて、生きることができているということもよく考えていたいです。

もちろん、生きづらさを綺麗事にしたいのではありません。生きづらさはそんなに単純なものではないでしょう。でも、複雑で、全然綺麗には見えないものだからこそ、それを持っていることによって、いつか自分自身が輝き、だれかの助けになれることを夢のようではありますが、祈っています。

感想1

あなたが幼少期からどんな風に家族を眺め、向き合い、感じとって自分がどのように振舞ってきたのか、そしてその後どう生きてきたのか、あなたの中の主観と客観が分かりやすい文章として表現されていました。
遊び、はしゃぎ、わがままを言う…そうしていいはずのこども時代に自身の感情を抑え、家族を優先してケアしようと色々なことを我慢し、自制を覚えた結果、大人びたこどもになったのかなと私は想像しました。それが日常の当たり前だったのだと思いますが、あなたのこころは正直に不安感を強く抱きながら育ってきたんでしょうね。このころ築かれた土台はその後のあなたの生き方や体調にも影響を与えたように思います。
死にトリアプリの鳥さんたちへつぶやく言葉も変わっていったんですね…。
私が時々サポートする20代の方もヤングケアラーの状況で育ち、現在うつや強迫性障害からの回復の過程にありますが、「今自分はこの人にぶつかって大怪我をさせたのではないか」と同じことをよく話していて道を歩くのも苦労しているので、あなたの投稿文を読んで少し驚きました。なぜそう感じるんだろう…と感じていたのですが、少し理解できたような気がしました。
あなたが丁寧な生き方を大切に日々暮らしていることがとても印象に残りましたし、投稿してくれた文面からもそれが感じ取れました。あなたが丁寧を言葉にするとどんなものになるのか知りたくなりました。私が“丁寧に生きる“ということを自分なりに言葉にしてみると、「ひとつひとつのできごとや人との付き合いなどに対していいかげんではなく、よく内省し、振る舞いを考え行動する」という少し緊張感を感じるものでした。そう考えると私はいいかげんに生きている部分が多いと思います。最初に主観と客観と書きましたが、丁寧に生きるというのは常に自分のことをもうひとりの自分が眺めている…そんなイメージも湧きます。あなたが今も自分を抑え気味に思慮深く、穏やかに生きていることを思わせる言葉として私は捉えました。一方で推しの存在も出てきたので、少し気持ちを緩ませる時間もあるんだなと想像して、ちょっとホッとしたところです。
あなたが光と表現されたものには希望や気力、意思など色々含まれているように私には思えました。丁寧に、時に少しゆるやかに生きる中でそれらを少しずつ明るく灯して行ける地力があなたの言葉から感じ取れました。そしてその言葉は経験談を読む方の力にもなります。
私も生きることについていくつかの角度から考える機会をもらいました。
ありがとうございました。

感想2

生きづらさの話なのですが、爽やかでいて、眩しすぎず、自然体でわかりやすい文章だと思いました。ちょっとだけ無理をしている感じもしましたが、あなた本来のナチュラルな未来志向、社会適応しようとする思考がにじみ出ているだけなのかもしれません。会ったこともないのに、勝手に人物像が浮かんでくるぐらい人柄が感じられる経験談でした。
あなたの経験から浮かんだのは、人の心身は連動しているのだなということ、そして、人間の心の精密さと繊細さと強さでした。あなたは自身で「なかなか特殊」と表現する子ども時代を過ごしていたようですが、読んで確かに私も「なかなか」と思いました。私の場合は特殊というより、「なかなかハード」あるいは「なかなかタフ」というイメージです。子ども時代に与えられた環境は子どもにとってはそれがスタンダードになるため、それが事実として特殊であっても、特殊と思えないこともありますし、大変だったとしても大変だと思わないこともあります。あなた自身が「特殊」と思ったのはいつ頃、どのようにそう思ったのだろうかと考えています。そして、当時はあまり私が今感じているようなハードさやタフな状況についてはあまり感じていなかったのかもしれないと思っています。あなたは、不幸と意識していなかったと書いていますが、大変さもあまり感じていなかったのかなと思いました。ただ、ずっとあった不安が膨らんでいったり、眠れなくなったり、動けなくなっていったりした様子を見て、自覚はしていなくても心身がちゃんと機能して、「これ以上は無理だよ」と教えてくれているように感じました。
あなたにとって、思うように動けないことはそれまでできていたことや想定していたことが覆る出来事であり、本当にどうしていいか分からない絶望的な事態だったのだろうと推測しますが、それまでの人生を考えると必要なプロセスであるように私は思えました。(そんな時にアプリのトリさんに話しかけてくれたことが書いてあり、とても嬉しく思いました。まさにそういう時に使ってもらえたらと思っていたのです)
そして、そういった自分の歩みを振り返り、学んだことを整理し、今後につなげようとするあなたの意思表明についても頼もしく思いながら、読みました。なぜなら、実際のつらさを経験した人がその経験を生かす機会が、今の社会の課題を明らかにし、今後の社会をどうしたらよいか考える上でとても重要だと思うからです。だからこそ、死にトリもこうして多くの人たちの経験を集め、共有しています。
「生きづらさを綺麗事にしたいのではありません」
それにも深く共感します。私は生きづらさもそうですが、相談や支援なども綺麗事にしてはいけないと思います。生きづらさも、それを支える役割も自分自身を見つめて、自分たちが生きる社会を見つめ直す機会であると思っています。機会がありましたら、いつでもまた死にトリに参加してください。待っています。

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