とある雑誌より抜粋。
質問0:初めまして、よろしくお願いします。
回答:こちらこそよろしくお願いします。
質問1:簡単な自己紹介をお願いします。
回答:一人暮らしの学生。年齢性別は非公開で。
質問2:家族構成を教えて下さい。
回答:父、母、自分、弟の4人家族。
質問3:どんな家族でしたか?
回答:父は自由人かな。マイペースで頑固。いい加減な人で腹が立つこともあるけど、そこまで嫌いじゃない。あと漫画やアニメが好き。母は正直苦手。こう、距離が近いというか子供っぽいというか……母子逆転していたんだと思う。いつも自分の方が大人だった。それからビールが好き。弟は口が悪いんだよね。ゲームが好きでいつも態度は悪いけど、中身はただの臆病者だってことは知っているよ。
質問4:幼少期はどんな子でしたか?
回答:捻くれ者の乱暴者。すぐ殴るし気が強かったしそれはもう手がかかっただろうね。でも外ではいい子ちゃんの優等生のフリをしていた。運動はダメだったけど勉強は嫌いじゃ無かったから。だからたまにうっかり本性が出てキツい言い方をして「正論ばっかり言い過ぎ」なんて先生に注意されていたな。今はもうそんなことしないけど。そんなんだったから友達はできなかったなあ。それでよく絵を描いたり物語を書いたりして空想の世界で生きていた。
質問5:それを今も気に病んでいますか?
回答:とても。
質問6:なぜ?
回答:嫌な事を聞くね。あのね、子供ならまだしも大学でもそれをやってると容赦なく留年の危機に晒されるんだよ。何だろうね。真面目って何だろうとか、努力する価値ってあるのかとか、なんで深い人間関係が築けないんだろうかとか。そういうのを考えていたら何にもしたくなくなって。何も見たくも聞きたくもしたくないなって。そう思ったら動けなくなってしまった。
質問7:つまりサボり?
回答単:……まあ、そういう事になるのかな?中学生までは死ぬほど真面目に勉強していたんだけどね。勉強とか運動とか、生きるとか死ぬとか。そんなのもうどうでもいいんだ。なんだかもう自分には全部がぜーんぶ馬鹿馬鹿しくなっちゃった。
質問8:クズですね。
回答:そうですね。
質問9:なぜ馬鹿馬鹿しくなったんですか?
回答:“It is the last straw that breaks the camel’s back”ってことわざがあってね。「ラクダの背骨を折るのは最後の藁だ」って意味なんだ。ラクダの背中に少しずつ藁を乗せていくと定量で限界を迎えるんだけど、その最後のトドメの藁一本を指すらしい。……つまり、何か1つ大きな事があったんじゃない。色んな小さなことが積み重なったんだ。15歳のときに最後の一本の藁が乗って、自分の人生の全てが馬鹿馬鹿しくなった。
質問10:最後の藁はどんな藁でしたか?
回答:「みんなそんなに真面目にやってないよ」
質問11:他にどんな藁が乗っていましたか?
回答:「あなたなら大丈夫でしょ」「お父さん手術だって」「貴方の好きだった親戚の人、入院したよ」「今度お葬式だから」「学校に行きたくない?ダメに決まってんだろ」「係の仕事?やだよ。やっといて」「1人でいいよね?」「君なら分かってくれるよね?」などなど。
質問12:詳細を教えて下さい。
回答:家族が軒並み病気ラッシュだった。学校は学級崩壊気味だった。友達がいなかった。いじめとはいかないまでもいじられていた。優等生であり続ける為のプレッシャーがあった。必死に手のかからない子を演じていたのに、手のかかる子の方が可愛いことを知った。でももう仮面の外し方なんて分からなかった。いい子いい子って、どうでもいい子だと知った。努力する意味が分からなくなった。全てがどうでも良くなった。
質問13:高校時代はどうでしたか?
回答:ずーっとフワフワしたまま現実感の無い毎日を送っていたね。死んでいるみたいだった。流されるがまま、何となく漂流物のように過ごしていたよ。進路も先生が進めるがままに選んだ。先生はそんな私に多少なりとも違和感があったようだけど、私にはもうどうしようも無かった。結局3年間ずっと私は意欲が死んでいたし夢も希望も無かったし、どうにもならなかったけど、その先生に恩義は感じているよ。
質問14:大学入学から今までを教えて下さい。
回答:それはもう綺麗に挫折したね。何となくで卒業できるほど大学は甘く無かった。やっぱりできない友達、興味の無い授業、起き上がれないベット、引きこもる毎日、落ちていく単位、確実に迫る留年の危機。睡眠も食事もままならなくなって、ここに書けないぐらい部屋も自分も荒れていた。その内に学生相談室に連れて行かれ、精神科に連れて行かれ、うつ病とADHDと診断された。自分の生きづらさには名前がつくそうで。自分が見ている世界はどうやら人とは少し違うらしい、という事を生まれてこの方初めて知った。
質問15:今とこれからについて教えて下さい。
回答:あれから薬を処方されてカウンセリングも始めて、前よりは随分人間らしい生活を送れるようになったよ。薬を飲み始めてから自分の体が重たかったことに気がついたな。初めはしていた受診に対する抵抗や反抗も、つけられた診断名に対する戸惑いや怒りも今ではすっかりなりを潜めているし。正直に言うと退学や休学も考えていたけど、ひとまずは卒業を目指そうかなと思っている。卒業したとしても就職だ結婚だと試練は終わらないわけだけども。まだここにいようと、取り敢えずはこれでいいと、今はそう信じている。
質問16:綺麗事ですね。
回答:自分でもそう思う。これで自分を殺した孤独感が消える訳でもなければ、世界が劇的に変わる訳でもない。結局母は幼いままだし、単位は落ちているし、友達はいないし、1人で泣く夜は訪れる。部屋は荒れているし、社会は都合良くならないし、自分はずっと自分だ。いつになったら自分は楽になるんだろう?答えは簡単、楽になんてならない。夢も無ければ希望も無い現実を1人で歩かなければならない。何というか、それはとても人生だ。それが人生だ。
質問17:よく分かりません。
回答:そうだね、分からないと思う。でもそれでいいんだ。分からなくていいんだよ。……というのは建前で。やっぱり分かって欲しい。理解して欲しい。自分の孤独を癒して欲しい。欲深いな。こんな願いはワガママなんだろうね。
質問18:幼少期の自分に向けて一言どうぞ。
回答:どうにもならないのでそのまま生きて下さい。出来ればあまり他人に期待しないで下さい。期待した分だけ反動と返り討ちは酷くなります。
質問19:過去をやり直したいですか?
回答:もう2度とあんな思いを味わいたくないので絶対に嫌です。戻りたくありません。
質問20:質問は以上です。楽しい取材でしたか?
回答:とても最低な取材でしたね。ありがとうございました。
感想1
前の経験談と合わせて読みました。
独特の表現(自分から自分へのインタビューだと読み取っています)をつかうことが、今のあなたの気持ちや状況を一番正確に発信できる方法だったのかな、と思いました。
私はこれまで自分の人生や感じ方を百回以上は文章で表現してきましたが、それは時にインタビューに近い自分の中での対談であったり、詩であったり、多様な形をとってきたので、勝手ながら何かしら共通する部分を感じ取っているところです。
読んでいて、なんとなくふと浮かんだのは「客観的になることの難しさ」というワードでした。
私たちは、出来事や自分の人生に、何かしらの眼差し(価値観や感性)で意味づけを行います。同じ出来事でも、人の数×その人の視野の変化の数だけ、別のストーリーが形作られます。
ただ、今の日本においては、世の中が押しつけてくる眼差しが必要以上に力をもっていると私は思っています。
「質問7:つまりサボり?」や「質問8:クズですね」などは、世の中の眼差しからが強く力をもった言葉のように見えました。逆に、全体的には、あなた自身のもつ眼差しが雄弁に語られている印象を受けています。もしかしたら、自分の眼差しに雄弁に語ってもらうためには、フィクショナライズ(小説化・虚構形式で書く)が有効な一つの手段なのかもしれません。
家族について、自分の感情ではなく、客観的で中立的に描写していることが印象的でした。何かフラストレーションや傷つきを乗り切る(ひとまずやり過ごす)ためには、客観的に中立的に捉えることは、それなりに役に立つと私は経験的に思っています。そうすると、~~だから仕方ない、みたいな納得がある程度つくからです。
でも人間は主観と感情の生き物だと私は思うので、中立であろうとすることは手間もエネルギーもかかります。その手間をかけなくてはならないということは、あなたがそれだけ家族との関係性で葛藤や傷つきを抱えているということなのかもしれないと、勝手ながら私は想像しています。
私は百回以上自分を文章で表現してきて、結局は言いたいのは「あれもこれもいやだった、悲しかった」みたいな叫びでしかないのかもしれないな・・・なんて、最近は思うことがあります。
ラクダの背骨を折るのは~のことわざを私は初めて知ったのですが、とても的確な、もっと世に広めたいことわざだと思いました。
そんなことで?みたいなところで折れたり、時にキレたりしてしまうような人は、すでに藁が乗るだけ乗ってしまっているのだと私は考えています。本当はその藁が目に見えたらいいのですが・・・。
「あなたなら大丈夫でしょ」という言葉も書かれていましたし、あなたはいい子として、周りから色々な負荷や感情を背負わされてしまっていたのだろうと思います。
背負いきれないほど背負ったものを、少しずつながらも降ろしつつある今があるのかなとは感じていますが、だからといって簡単に「楽」になれるわけではないので、生きることは理不尽で、孤独なものだと思います。
孤独を癒してほしいというのは、私も時々強く思うことではありながらも、どうしたら孤独は癒えるのだろうかと答えの出ないまま、30歳を過ぎました。
人間は皆孤独なのだとしたら、自分だけが理解を求めてもどこにも行けないのか。みんなが孤独であることを分かち合うことがせめてもの慰めなのか。でも、そんなものじゃ満たされない・・・そうやってぐるぐるしています。
また何かしら自己表現をしたい際には、いつでも死にトリを利用してください。