小学校の頃、軽いいじめにあいました。精神的なやつで、体育の時手を繋がなきゃ行けない時にしてくれない、すっごく嫌な顔を目の前でされる、強い言葉ではなかったけどトゲのある言葉を言われるとか、仲良くできてたと思ってたら嫌われてでもまた仲良くなってで散々振り回されました。あんまり思い出せないけど、とても嫌だったことだけは覚えてます。私は消極的な人間で先生に言えるはずもなく、家族に話せたとしても戦って貰えませんでした。そういう子なんだと納得させらせるだけでした。なんで?って思いでいっぱいでした。今でもです。その頃から学校は嫌いになって、高校になった今でも人より多く休んでしまいます。不登校じゃないのはかなりがんばっていると正直思ってます。人見知りが加速したのはこの頃かも知れません。
また、弟に発達障がいがあります。だからでしょうか、少し早く我慢を覚えたように思えます。ずっと不満なのは、家族が私をみてくれていないように感じていることです。弟に目をかけないと大変なことになるのは理解してます。それに全然気にかけていないわけでもないと思います。でも、もっと見て欲しいです。頭を撫でたり、ぎゅっとしたり、頑張ったねーとかいっぱい褒めたりして欲しかったんです。
わがまま沢山言ってしまいました。自分の部屋が欲しいがいちばん重かったと思います。今、部屋を貰いましたが全く一人でいたいって訳じゃなかったんです。
結局、自分の努力不足で成績は下がり続けてるし、頑張ろうって何度思っても無理でした。エネルギー不足です、これすらも言い訳です。なぜなら、動画とか音楽は永遠と聞けるわけですから。素直に話そうとしても涙が邪魔をするし、話せるって思った時には相手はもう居ません。友達は本当にそんなことあるのかってぐらい辛そうな思いしてて、それに対して私はどうです。こんなに平凡で普通な悩みを他人の辛さには言いませんし思いませんが、自分の辛さではどうでもいいくだらない価値のない事だと思ってしまうのです。最近やっと家族に気づいて貰えたと思いますが、そのときで終了です。失礼だと思いますがもう頭にはないんじゃないですか。どんな道でもあるといいますが、主体性が壊滅的な私はどうするつもりなのでしょうか。自分でも分かりません。誰にもこんなこと言えないのです。
まとまりのない文章、すみませんでした。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
わからない
感想2
素直な気持ちと、その気持ちをありのまま肯定・表現できないもどかしさの間で苦しんでいるように想像しながら読みました。嫌だ、辛い、という感情をはっきりと抱きながらも、「主体性がない」「自分の辛さは価値がない」という言葉で蓋をしようとしているようにも見えます。それはとても苦しい行為だろうと思うと同時に、そうしなければいけない理由があるのだろうな、とも思いました。
一番感じたことは、投稿者さんは「主体性がない」というより、「消極的にならざるを得ないような経験をたくさんしてきた」のではないかな、ということです。
たとえば、小学生時代のいじめについて、親や先生に「なんで?」をぶつけた時に、「そういう子だから」と納得させられたということですが、これは言い換えると、自分の思いや疑問(仮説とも言える気がします)が整理も解消もされなかった、という事だと思います。人は、自分が思ったことに対して何らかの結果や対応を得ることで、物事の仕組みを理解したり、判断基準を掴んだりしていくようなイメージがあるので、それを何の説明もなく済まされてしまっては、(投稿者さんの問題というよりは、周りの環境や関わりによって)投稿者さん自身の中に「こうしたい」や「こうすればいいのだろう」というふうに思える気持ち(ヒント)が十分に持てないのも、当然のように感じました。
抽象的でややこしい表現になってしまったかもしれませんし、分析されたって辛いものは辛いよ、と思わせてしまうかもしれないのですが、私が一番に伝えたい(感じた)ことは、「今の状況が投稿者さんの努力不足で起きているとは、私は思わない」ということでした。
よくわからないままの気持ちでも大丈夫なので、よければまた死にトリに、ありのままの言葉を書きに来てほしいなと思います。投稿ありがとうございました。
感想1
投稿読ませてもらいました。
第一印象は、こどもが伸び伸び安心して成長する上で大切な要素が書かれている文章だと思いました。(同時にあなたはその経験が少なかったのかな…とも感じました)
いじめにあったときは助けてもらいたかったけれど、そうしてもらえなかったことは、いじめの行為とあなたのしんどい気持ちだけが経験としてあなたに残ったのだと思います。そんな時にあなたの様子に気付いて声をかけてくれる家族や先生がいたら…って私は思いました。
頑張ったねって褒められたいって書いていましたね。褒められて(認められて)、気にかけられて、頑張ろうと思えた時にやってみて、褒められて(認められて)、気にかけられて…の繰り返しでこどもは主体性が育つと思うんです。最後に“主体性が壊滅的”って書いてあったので、とても納得しました。あなたは自分がいまどういう状況で、それがどうしてそうなのか、ある程度わかっていることはとっても大切なことだなって思います。これは辛さではないとあなたは言うけれど、自分の悩みを“どうでもいいくだらない価値のないこと”って表現しなければならないのは辛いことじゃないかなって私は思いましたがどうでしょうか。家族に対しては、もっと一緒に考えてもらいたい、放っておかれるとまだこの先迷子になりそうだから、もう少しでいいから気にかけていて欲しい…そう思っているのかなって勝手に想像しました。きっと弟さんのこともあるから我慢がデフォルトになっているのかもしれないけれど、私は家族+“相談できるだれか“がいるともう少し安心できるのかなって思ったりしました。今回の投稿もそのひとつで、こうやって家族にもなかなか言えないことを発信できる場所や存在を持つといいのかもしれません。そういう意味では今回のこの投稿は、あなたがあなた自身を助けていることにもなります。あなたは自分のことを主体性が壊滅的って言うけれど、私は誰かに聴いてもらいたいっていうあなたの主体性をしっかり感じ取りましたし、秘めている地力があるひとなんだなって思うんです。いまは匿名相談もあったりします。これからのこと…どうしようって思ったら「まもろうよこころ」って検索してみてください。誰かと色々話すうちに「私、○○したいかも」って感じることがあるかもしれないなって。死にトリにはとりコミュってコンテンツもあって、つぶやいたりできます。またよかったら利用してみてくださいね。