経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

普通

15歳の時に初めて付き合った方に交際相手がいて、相手の子と大きな揉め事が起こりました。
私の幼なじみと浮気相手、浮気相手の新しい交際相手が家まで押しかけてきて、家の前から何度も電話をかけ、インターホンを鳴らし
最終的にSNSに個人情報、暴言を書き込まれました。
その日から知らない人からのLINE、非通知設定からの着信、迷惑メールが何度も何度も送られてきました。
叔父が警察に連絡してくれたのですが、何も被害がないなら動けないと言われ、学校混じえて解決してくれと言われました。
やった本人たちは認め無かったものの同級生のこのおかげで
幼なじみ(SNSアカウントの作成)が1週間ほどの停学、浮気相手とその交際相手が指導という形になりました。
私はストーカーや、毎日の着信、メールに悩み、最終的に高校は不登校により留年、中退。
着信音や通知音が8年たった今でもトラウマで、聞こえる度に身構えてしまいます。

19歳の頃勝手に家を決めて一人暮らしを始め、昨年望まない妊娠、今年出産しました。
やりたいこと、頑張りたかったこと、目指してたもの。
全てが一瞬にしてなくなった気持ちです。
子どもは可愛いと思うのですが、どこか第三者目線というか、小動物に対してや、友達の子に対して可愛い!って思う感覚と似ている気がします。
親と言う自覚を未だに持てなくて、トラウマから自分自身を認めることも出来ず
ただ、”世間一般”や”普通”に近いものになろうと頑張っていますが、周りからしたら私が自分の精神や、体調を犠牲にして頑張っている”それ”は、当たり前のことなんです。
普通になるために頑張るって言うのは、間違ったことなのでしょうか。
頑張っていることを自画自賛することはダメな事なのでしょうか。

もう何がなにか、何をどうしたらいいか
私には分かりません。
死ぬと言うよりも、元々なかったものになりたいなと思ってしまいます。

感想1

思春期の頃に初めて付き合った相手を発端としたトラブル、その後に重なる苦悩の連続・・納得しようと思っても到底出来ない、苦しい出来事だったのではと感じています。今もそれらを思い起こさせるような瞬間には全身に緊張が走るのですかね。からだそのものに、トラウマが刻まれていることを想像しています。悪いのは相手方なのに、あなたが傷を負って今も苦しまなければならないこと・・勝手ながら私自身が悔しく、やるせない思いでいます。

そんな過酷な体験を経て、妊娠と出産をご経験されたのですね。確かに子育てをしながら自分の時間を持つことや、行きたい方向へと向かっていくことは両立が難しい場面もあると感じます。同じく妊娠と出産を経た友人が、ぽつりと「自分がなくなっていくような気がする」と呟いていたことをふと思い出しています。
周囲が求めてくる「当たり前」は、あなたの「当たり前」とは違うのではないかと、率直に感じたところでした。自分のからだや心を犠牲にしてまで得ようとする「普通」は、一体誰が作り出したものなのか・・社会の中で蔓延する「普通」や「当たり前」は、これだけ多様な人々、ひいては多様な人生のあり方がある中で、実は全然見当違いのことを言っているんじゃないかと私は思っています。そして、「それ」をまるで正しいかのように押し付けてくる奴らの正体は一体何なのかとも感じています。
あなたなりの「普通」を目指していくことは、何も間違っていないと私は感じます。そして、頑張っているご自身を労ってあげてほしいなとも思っています。

最後の「死ぬと言うよりも、元々なかったものになりたいなと思ってしまいます」との言葉には、まだ整理のついていないあなたの複雑な内情を表現した言葉のように感じて、もう少し深掘りしてみたい気持ちになっています。
良かったらまたお話を聞かせて下さい。経験談への投稿ありがとうございます。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。最後の、「元々なかったものになりたいと思ってしまいます。」という言葉から、これまでの人生の中で経験してきた辛さや苦しみの深さが伝わってくる感覚になりながら読んでいます。15歳の頃に起こった交際相手を含む人たちとのトラブル、その後のストーカーまがいな嫌がらせの数々や最終的には不登校、中退せざるを得なかった経緯は、どれほど恐怖で無力感を抱いたか想像に難くありません。それに加えて、本来、被害を受けた側をまず守らなければならない警察や学校の対応が不十分だったことも、絶望的な気持ちや不信感も募ったのではないでしょうか。今でもトラウマに苦しめられ、影響を受けていることを考えると、勝手ながら胸が締め付けられるような思いを抱いてしまっています。それと同時に、時に人は“過去のこと”としてなんとか対処しようとしますが、心の傷はそう簡単に癒えることはなく、その時の恐怖が生き続けている感覚になることを身を持って私も感じることですが、でもそういった傷を抱えながらも生き抜いてくることは気力も相当必要なことだと思いますし、あなたに労いの言葉を送りたい気持ちになっています。
19歳で一人暮らしを始め、昨年望まない妊娠とそして今年にかけて出産という人生を大きく揺るがす出来事が続いた中で、「親と言う自覚を未だに持てない」というのは無理もないことだと私は思いました。そもそも心の土台が形成されていく時期に不安定な環境や人との関わりによる影響は大きいと思いますし、自分の人生を立て直そうと、これからという矢先に自分以外の命の責任を持つことになるのは、もう何もかも分からなくなってしまうのには十分な出来事だと思います。“世間一般”や“普通”になるために頑張ること、頑張っている自分を自画自賛することが間違っていることだとは私は思いません。ただ、もしその“普通”になることであなた自身がすでに頑張りすぎている状態にあるとするのなら、その“普通”にはならなくてもいいと私は感じています。何が正しくて、何が間違っているか自分で分からないと周囲の人の思いを反映させがちではありますが、“犠牲”という感覚であるとか辛さや苦しさなどの自分の感覚をまずは優先させてほしいと思ってしまいます。
トラウマもそうですが、今の状況についても、身近に話を聞いてくれたり一緒に考えてくれる人はいるでしょうか。子育てに関しては保健師さんなどもいますし他にも地域にはサポートしてくれるサービスや相談機関等もあるかと思うので、過去のこともあって不信感があり相談できない思いもあるかもしれませんが、あまり一人で思い詰めないようにしてほしいと思いました。リアルでは難しいということであれば、またいつでもご自身のペースで死にトリを活用して少しでも自分の中にある思いを整理したり、自分だけのことを考えられる時間をつくっていってほしいなと思っています。

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