経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

低過ぎる自己肯定感で何も上手くいかない

仕事が続かない原因は全て人間関係の悪化によるものだった。遡れば幼稚園の頃から友達が作れなかった。
私、長男、次男の3兄弟だったが、男の子が欲しかった母と父は弟2人を可愛がった。代わりに祖母が可愛がってくれたが、10歳で亡くなってから孤独になった。兄弟喧嘩をすれば私が押し入れや倉庫に閉じ込められ兄弟平等ではなかった。
この頃には家族を含め人間が嫌いになっていた。
学校卒業と同時に母が病気になり、「子供が親の面倒をみるのは当たり前」「介護は女のするもの」「1番上だから家事と弟の面倒をみろ」と一方的に押し付けられた。
母はただごはんをくれる人で愛情をくれなかったのになぜ犠牲にならないといけないのか…辛い20代だった。

家族での会話はあまり無かったので人との距離や会話の仕方が分からないまま大人になってしまったのだと思う。
職場で上司から「あなたには自信が足りない」と指摘された事がある。自分でも分かっていたが変えられない事に苦しんだ。本を読んで自己肯定感は幼少期の愛情で高くなると知り、どうしようもないと分かった。

30代で母が亡くなり、結婚して親から離れられて幸せだと思った。が、子供ができてから夫の人格が変わりモラハラ男になった。
子供第一で嫁は家政婦扱い。
「自分で稼いでみろ」「努力が足りない」
人の弱みを突く暴言を吐いてくる。
自分だって自立して生きていきたいが仕事のキャリアはない。稼げるのであればとっくに離婚している。
子供はママ嫌い期。パパがいい、ママあっち行ってと平然と言う。
家にも居場所がない。
消えれたら良いのにと思う日々。

感想1

「消えれたら良いのに」と思うまでのつらい積み重ねが、実感をもって伝わってくる感覚がありました。
小さい頃から「ひどいよ」「おかしいよ」「しんどい」などを一人で飲み込んで、歯を食いしばってくるような人生だったのかなと想像しています。人間が嫌いという感情を抱くのも自然なことだと思いましたし、もしかしたら、嫌いと思うことで人に期待しないように自分を守っている側面も(無意識的に)あったかもしれない…?とも、ちょっと思いました。

母の面倒を押しつけられたときや、家で家政婦扱いをされているときなどに、あなたはどんな態度で対応しているのだろう・・・と私は想像を巡らせています。もう反応する元気もなく、心を殺して作業をこなしているのか。平気なふりをして笑うのか、時に反発もしてみるのか・・・。私の想像では、明確に怒りや拒否の感情を出す力は、あなたには残っていない気がしています。
私は、人間関係がうまくいく(自分に破滅をもたらさない)ためのポイントは、嫌なことを嫌だと伝えられるか&相手がそれを受け取ってくれる人か、だと思っていて。あなたはこれまでも、今も、そのことがとても難しい状況にあるのではないかと想像しています。
だからあなたが嫌だと思うことを吐き出せる場所や、あなたの気持ちをきちんと聞いてくれる関係に出会えたら、少しずつ何かが変わるかも・・・なんて勝手に考えていて、モラハラ被害や子育てに関しては相談機関が結構あるので、色々な相談先をあたって味方を見つけられないだろうか・・・と思いを巡らせてしまいました。

また、話は全然変わるのですが、日本社会で女子が「家族から解放されたい」と思った時、その方法が「結婚」になりがちなことに私は問題意識を感じています。(結婚が悪いとかではなく、他のいろいろな方法が手軽にあってほしい、という話です)
別に結婚しなくても親から離れていいのですが、なんというか、女性は「親」または「夫」に所属するもので、「夫」がいないなら「親」の所属ですよね、そして所属しているのだから自己犠牲して貢献して当然ですよね、みたいな空気感がある気がしています。だから結婚して家から解放されて幸せになれると夢見たら、またもや理不尽に自己犠牲を迫られました、といったことが起こりがちに感じています。
出産・育児によって仕事のキャリアが大きく失われやすく、キャリアがないと働きづらい世の中であることも考えると、あなたの「何も上手くいかない」は、自己肯定感だけの問題ではなく、女性の置かれている社会状況もあると私は感じました。

あなたの抱える苦しい思いや状況を読むほどに、簡単に励ましの言葉は出てこなくなりますが、あなたが悪いわけじゃないとは伝えたいし、都合のいい存在として雑に使わないでくれ…!と、夫さんに言いたくなる私がいます。
経験談の投稿、ありがとうございました。

感想2

子どもの頃のまわりは弟第一、母になってからは子ども第一、自分が大切にされた瞬間はほんのわずかで、それも愛情を注いでくれたのは親ではなく祖母。これまで自分が得られなかったものを、今はイヤイヤと拒否する子どもに与えなければならない…ずっとずっと自分の順番が回ってこない、でも並ぶのをやめることもできない、そんな日々だったのかなとイメージしました。

生まれた場所での所属感のなさが、幼稚園から今日までの集団やコミュニティにおいて影響し続けているように見えています。人が嫌いなのだから信頼も歩み寄りもできなくて無理はないと思いますし、人に対する不信感や嫌悪感を覆したいと思えるような出会いも、現実世界にはなかなか起こらないでしょうから、それが自然なことなのだと思いました。
お子さんの「ママ嫌い、パパがいい、あっち行って」という言葉、あなたが子どもの時は口に出すことができていたでしょうか。これらは自分が安心・安全な環境にいるという実感があってこそ言えるものだと思います。経験談をお読みした限りでは、あなたが育ったお家には、この言葉を言える保障はなかったのではないかなと思いました。

自信がないと言われたり、自己肯定感が低いと感じたりして、どうにかしようと考えたり調べてみても、大抵はその原因が家庭での成育歴にあると突き付けられるのみで、その先の解決策は「自分を大切にすること」と、ぼやっとしたことを提示されて終わりな気がします。原因は自分ではなく周りの環境にあるのに、生活に支障をきたすのは自分。不条理以外のなにものでもないと感じます。

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