経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

何も出来ないことの辛さ

ずっと何も出来ない日が続いています。部屋の片付け、ゲーム、読書、その他諸々…色々試してみましたが、どれも数分で疲れてバテてしまいます。大学の課題もテストも出来た時に頑張ってはいましたが、それも身を結ばず中途半端で評価にすら至りませんでした。先生方も凄く救ってくれようとあれこれしてくれたんですけどね。
そんな事がずっと続いて、大学を休学してしまいました。みんなと一緒に卒業して仕事に就きたかったのに。
大学に関わらなくなっても何も出来ないのは変わっていません。毎日起きるのすら億劫ですし、起きてもだるくて何か趣味とか前はすごく楽しく感じてたことを少ししただけでまた寝ちゃう。毎日ただ息してるだけって感じです。
こんな状態から元に戻れるんだろうか、戻れるとしたらいつぐらいに戻れるんだろうか、それまでの間、私に何が出来るんだろうか、どうしたら、この何も出来ない辛い気持ちを完全にとまではいかなくても無くせるんだろうか、毎日ずっと考えては落ち込みます。
そもそも大学を休学したこと自体正しい決断だったかどうかも分かりません。これが向き合うべき人生の試練だったとしたら、その試練に背を向けて逃げているだけですからただの甘えになりますし。
今の休み方とか、どうしたらいいかとか自分で調べてみたり相談したりしてみましたが、どれも相手を困らせてしまうだけで答えにたどり着けませんでした。もう迷惑かけるだけの存在だなって感じました。そんな生きる価値も見失った私はなんのために生きているのかも分かりません。
この前見かけた動画で「100万貰えるけど明日死ぬ、だとしたらこの100万受け取りますか」というのがありました。私は受け取ります。だってその日中に使えば良いのですから。使えきれなくなって周りの人にあげたりすればみんな少しは幸せと思いますし。そして次の日に自身が消えていればもう誰もが幸せでしょう。

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。何もできない状態を何とかしたい思いと、思うように動くことのできない現状に気持ちが揺れ動き、日々葛藤している様子が伝わってきました。深い無力感や虚しさ、不安や焦り、様々な複雑な感情があなたの中に混在していて、目の前の毎日がただ過ぎていく感覚の苦しさによって、「なんのために生きているのか」と迷いが生じてしまうのは無理もないことだと私は思いました。
以前はそつなくこなせていたこともすぐに疲れてしまい、続けられない状況は何かに挑戦してみようと思う気力さえもなくなってしまいそうですし、心と体がまるで鎖に縛られているかのような状態を想像していました。今の何もできなくなってしまった状態に至るまでの経緯は書かれていなかったので、詳しくは分からないですが、恐らく自分でも気づかぬうちに無理が積み重なってしまったのではないでしょうか。
私もある日突然動けなくなってしまった経験があります。自分の生きている意味が分からなくなったり、何もできない状態なのに気持ちだけは焦ってしまい、余計しんどくなって回復に時間がかかったなぁと振り返っていました。(今もその時ほど調子を崩すことはなくなりましたが、波はあるなと感じています)なので、「毎日息してるだけ」や自分を「もう迷惑をかけるだけの存在」という言葉に、他人事とは思えない感覚に勝手ながらなりました。
この社会は、休むことや立ち止まることが「逃げ」や「甘え」とされる風潮があって、それが余計に何もできない状態になった自分を責めたり、自分がした選択(あなたで言うと大学を休学したこと)に疑問を抱いてしまうことに繋がってしまうのだろうと思いました。個人を追い詰めてしまう今の社会の在り方が変わるには何が必要なのか…すぐに答えが見つかるものではないと思うのですが、あなたの経験談を読んで考えさせられています。
あなたが今何もできなくなってしまっている状態は、限界がきてしまって心が“もう無理”と叫んでいるからこそ起こっているのではないかと私は感じました。決してそれが「逃げている」とか「甘えている」とかは思わないですし、休学をしたことはむしろあなたが自分を守るために、下した賢明な判断だと思います。「休む」ということはあなたがこれから再び歩き出すためには必要な過程でもあると思っています。
とはいえ、今の自分について考え続けることは止まるものではないと思いますし、なかなか休まらないものだと私も経験して感じることです。どういうことがあなたにとって回復の兆しに繋がるかは分からないですが、一人で考えていると行き詰ったり見失ってしまうものがどうしてもでてきてしまうものですし、またこうして思いや考えを届けてもらって一緒に考えたいなと私は思いました。良ければいつでも死にトリに参加してください。お待ちしています。

感想2

タイトルの「何も出来ないことの辛さ」は言い換えると頭の中ではわかっているけれど、心身がそれについていかないことへの苦しさなのかなぁと思いながら読みました。人間ではなく動物なら、幼い子どもだったら?、その苦しさはないだろうと想像を巡らせています。今の自分にとってやらなければならないこととか、将来のこととか、周囲からの評価などが分かるからこそ、そこから離れてしまっていることに不安や焦りなどを感じるのだろうと改めて考えました。
私にはあなたの心身がシンプルに「今は無理だ」「エネルギーが足りない」などと訴えているように思えました。詳しい出来事などは書いていませんが、理由はなんだっていいのではないかと私は思います。単に、動けないから今は休む、それでいいと思いました。でも、現実的にはそうはいかないこともたくさんあるだろうことも理解できます。何もしないことや、理由がよく分からないのに休むことなど、後ろめたかったり、申し訳なかったりするのも想像はできます。自分もやる気が出ないときややることがあるのに思うようにできない時になぜだか分からないけれど、罪悪感が湧いてくることがあります。これは何なのかな?とあなたの経験談を読んで改めて思いました。一生懸命に手を抜かず、生産性や成果を上げることが善なることだと盲目的に思わされているかもしれないと気づき、ちょっと恐ろしくなりました。本当は一人ひとりのペースで休みたい時には休み、動けない時には「そういうときもある」と思えるような環境だといろいろな人たちが生きやすいだろうし、お互いを想像する余裕もできそうだと思いました。
そうはいっても、この先が見えない不安や絶望感はあるだろうと思います。〇日休んだら動けるようになると言われたらそこまで辛くないと思いますが、一体、いつまでどのように過ごしたらこの先に何があるのか分からない状況はとても苦しいことだろうと思いました。ただ、こうして気持ちを表現して死にトリに送ってくれることは「何も出来ない」中でもできていると私は受け止めました。仕事や勉強も大切ですが、こうして自分の気持ちを表現して誰かに伝えることもとても大切なことだと思います。忙しいほど、それができなくなって別の苦しさに苛まれることもあります。もしも、気持ちを表現することができそうなら、死にトリには掲示板もありますし、またこれからも来てもらえたらと思います。

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