経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

良い子にしてても良いことなんてなかった

私は、1年前の25歳の時にうつ病と診断されました。
25年間頑張って生きてきた私は、病名がついて救われたような気持ちがしています。

話は遡り、幼少期です。
幼稚園生の時に両親が離婚、私と姉は母親に着いていき引っ越しをしました。その後、すぐに新しい父親が来て、最初は平和に暮らしていましたが、新しい父親による家庭内暴力が始まります。「怒らせてはいけない」「良い子にしていないといけない」そんな気持ちを持って生きていました。

文字通りの「良い子」に育った私は、私立の中高一貫校・私立大学に奨学金を受けながら進学しました。
暴言や暴力を振るう父親と守ってくれない母親、身を守るために実家を離れた姉。
私はまだ学生でお金もなかったので、両親に反抗しながら、なるべく関わらないようにして学生時代をやり過ごしていました。次第に父親からの暴力はなくなりましたが、母親への暴力や暴言は増えていきました。

そして、大学4年生になる春、母親が入院の必要な病気に罹りました。私は就職活動の合間で、母親の着替えを持って病院と家を往復する生活をしていました。帰る家には私と父親の2人。父親は、入院の手伝いを1度もしてくれませんでした。自分が病気になった時に何もしてくれない男の何がいいのかなど考えながら、ひとりで母親の面倒をみました。当然、2人では上手く生活できるわけがありませんでした。

そんな状態が耐えられなかった私は、両親に離婚を迫りました。母親は泣きながら「上手くやっていく方法はないのか」と言っていましたが、ここまで上手くやれていないのだから無理でした。父親はすんなりと受け入れて、家を出て行きました。

そして、当時22歳未婚の大学生は、自身の手で離婚届を提出しました。
この時のことは今思い出しても涙が出てしまいます。

さて、母親が退院してからは、母親と姉と3人で束の間の穏やかな生活を送りました。
私が就職して実家を出てしばらくしたある日、母親に「残りの自分の人生のために、また父親と籍を入れて一緒に暮らそうと思う」と話をされました。最後まで身勝手な人間なんだなと思い、私はガッカリしました。あの父親が戻ってくるなら、私や姉があなたの元に帰ってくることはもう一生ないということを伝えましたが、母親の気持ちは変わらないようでした。

その日を最後に母親とは縁を切り、私の実家はなくなりました。

家族からの縛りを受けることがなくなり、やっと私の人生が始まったと思っていました。
新卒で入った会社を2年程で辞め、転職をしました。試用期間中、なかなか思うように上司に認めてもらえず苦戦していました。部署の目標が達成できないのはなぜか対策を練るために毎日のように会議、会議、会議。会議してる時間があったら現場で動いた方がいいんじゃないかなあ…と思いつつも、新人なので何も言えませんでした。ある日、部長が気に食わない先輩社員に社内チャットでキレていました。部長のことは嫌いではなかったのですが、その内容を見て「あ、父親と同じタイプだ」と気付いてしまいました。その日から部長に嫌われてはいけないと思うようになり、「良い子」の私が顔を出してきました。次第に会社に行く足取りが重くなり、会社のトイレで泣くこともありました。こんなにも私の人生は上手くいかないものかと、泣きながら起きて出勤する日々でした。

ある時、憂鬱な気持ちだけでなく身体が動かなくなってしまい会社を休みました。
思い切って精神科を受診し、うつ病と診断を受けました。

私が良い子じゃないからダメなんじゃなくて病気なんだ。
良かった。もう誰かのために生きなくてもいいんじゃないか。
やっとそう思えました。

現在、精神科に通院を続けて1年が経ちました。
今度こそ、幸せになりたいです。
でももう今人生が終わっても別にいいかなあなんて思いながら、のんびり生きています。

感想1

投稿ありがとうございます。

過酷な経験がこれほどまでに整理整頓されて綴られていることに敬意を抱きつつ、読めば読むほどあなたの力を感じさせられました。

母の再婚相手による家庭内暴力は率直に怖かっただろうと思います。そんな環境にいては、あなたが「怒らせてはいけない」「良い子にしていないといけない」という気持ちを持つことは当然のことであり、「良い子」であろうとする術を身に着けるのも無理はないと思います。本来、家庭という場はこどもにとって守られ安心して過ごせる場であるはず(べき)と私は考えますが、あなたにとっては孤立無援の中を生き延びるしかない場だったのだろうと想像します。それでもあなたは両親に反抗しながら、または距離を取りながら過ごし、さらには父親のことを「何もしてくれない男の何がいいのか」と考えられていたり、両親に離婚を迫ったりしてきていたとのことで、それらはどれもあなたの持つ力ゆえの賢明な選択だと私は思いました。と同時に、そうした選択をあなたがひとりでしなければならなかったとすると、私は歯がゆい気持ちになります。

そうやって生きてきて、やっとの思いで「穏やかな生活」を手にしたにも関わらず、母親が選ぼうとする道を聞いたときはさぞかし「ガッカリ」したことと思います。その「ガッカリ」は、あなたが書くように母親の「身勝手」さを感じたということもあると思いますが、私としては、どれほどの思いであなたが生きてきたかということが母親に大切にされなかったところにあるのかなと勝手ながら感じました。その上であなたが母親と縁を切る選択をしたことを私は支持したいと思います。たとえ実家を失おうとも、あなたがあなたの人生を生きようとする力を感じます。

ほとほと私が嫌になるのは、この社会にはあなたの父親的なもの(≒家父長制社会によって生み出されるもの)がいたるところに存在しているということです。あなたが「やっとあなたの人生が始まった」と思ったところにそれらは案の定立ちはだかってしまった。その現実を前にあなたが「良い子」を発動させるのはあなたが自身を守るためであって自然なことだと思いますし、なぜこうも「上手くいかないものか」と思うのも、本当そうだよな…と思います。それでもあなたはこれまでずっと、振り回されながらも「あなたの人生」を生きてきた(やっと始まった感覚を否定するものではないです)と私は思いますし、あなたが「良い子じゃないからダメ」なのでは全くないと思います。

最後に、この社会において「父親的なものの存在」や、あなたが負った傷による影響、「良い子」にならざるを得ない状況などは、これからももしかしたらあなたの前に立ちはだかるかもしれません。それでもあなたが通院を含めて他者の力を借りながら、まっとうな感覚を胸に、のんびりと生きていけることを陰ながら私は応援したいです(私ものんびり生きていこうと思います)。うつ病の治療もゆっくり焦らずに続けてもらえたらと思いますし、あなたがまた書きたいともし思ったなら、その時にはぜひあなたの近況や気持ちなど、自由に書きに来てもらえたらと思います。

感想2

読み終わって、「良い子にしてても良いことなんてなかった」というタイトルに重みと説得力と、切なさを感じました。
良い子にしていることは、その場で自分の身を守るための術であると同時に、「良い子にしてればいつか良いことがあるはずだ」という自分の支えの側面もあると私は感じています。その支えが幻想だったと気づき、それを手放すことは、痛みを伴うことだと思っています。でもそこが人生の再スタートなのだとも私は思うので、あなたのこれからを応援したいし、これまでを労いたい気持ちです。
(想像がずれていたらごめんなさい)

家族の話を読んでいて、あなたの両親が子どもを守るような存在ではなかったこと、それがあなたにとってつらく苦しいものだったことをとても感じました。
母親には「なんて幼いんだ…」と評したいほどの身勝手さを感じましたし、保護者の身勝手さに振り回されるのは、子どもの心に傷を残すものだと思います。安心・安全の感覚がうまく持てなくなってしまい、大人になってからも、生きづらさにつながってしまうものだと私は感じています。
父親タイプの部長に関して、そんな部長は誰にとっても嫌だし、仕事は休んでも辞めちゃっても全然いいと私は思うのですが(私は辞めちゃう気がします)、自分で自分をコントロールできないほどしんどくなるのは、これまでの傷つきの影響を感じます。
一方で、子ども時代に「何もしてくれない男の何がいいのか」と思ったり、職場で「会議してる時間があったら現場で動いた方がいいんじゃないか」と思っている部分に関しては、冷静で健康な突っ込みだと感じました。
そういった冷静な思考力は、あなたの一つの強みであり、これからの回復を後押しするものになるかもしれないと私は思いました。

あなたの人生はもちろんあなたのものだし、誰かのために生きなくていいと、私も心から言いたいです。
これまで自分をすり減らしてきた分、思う存分のんびりしてほしいし、あなたにはその権利があるとも伝えたいです。
言葉にすることが何かしらの救いや、回復の後押しになるならば、またいつでも死にトリに書きにきてください。

お返事1

この度は、経験談への感想をいただきありがとうございます。
今回、言葉にして書くことで気持ちの整理をしたいということと、誰かに聴いてほしいという気持ちから経験談を書きました。
お二人からの感想を何度も何度も読み返しています。当時の私を知っているのかなと思うぐらい寄り添って、優しい言葉をいただけて、心があたたかくなりました。
親と暮らしていた頃の私も、父親的存在に震えていた時の私も、経験談を書いた時の私も、今の私も、大変救われたように思います。本当にありがとうございます。

またここにお邪魔する時は、どうぞよろしくお願いします。
この経験談がいつかどこかで誰かの支えになれば嬉しいです。

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